今日は何の日

「今日は何の日」は、今日、過去に起こった注目すべき出来事等をご案内致します。

    「今日は何の日」は、今日、過去に起こった注目すべき出来事等をご案内致します。

    カテゴリ:日記 > 日記

    1996721日は、「自然公園の日」

     

    1957(昭和32)年721日は、自然公園法が、制定されました。自然公園とは、自然のままの風景地を生かした公園で、だれでも自由に風景を楽しみ、動植物や地質などの自然を学ぶ記念日です。当時の厚生省の呼びかけで、財団法人国立公園協会などの主催で、記念行事が行われています。

     

    ・自然公園には、国立公園、国定公園、都道府県立自然公園があります。動植物の採取や本来の生息地ではない生物を放すことには、許可が必要となります。

     

    ・私たちが住む優れた風景を持つ美しい国、日本には、たくさんの文化財や史跡、山岳、高原、滝、渓谷、海岸などすばらしい風景があります。「自然公園」はこれらの風景地を指定するもので、この自然公園に指定した優れた自然の風景地を未来に残し、そこにいる生物を保全するとともに、これを秩序立てて広く利用してもらおうというのが「自然公園制度」の目的です。

     

    ・私たちの生活にとってかけがえのない自然を長く後世に残すため、国や県では各地域の人々の協力を得ながら、自然の保護に積極的に取り組むとともに、多くの人々に利用してもらえるよう、園地、広場、駐車場、公衆便所などの整備を進めています。

     

    ・近年、社会状況や環境意識の変化などに伴い、自然公園を利用する人が大変多くなっています。

     

    ・自然に親しみ、自然から何かを学ぶということは非常に有意義なことです。この私たちの地域の宝をいつまでも将来に引き継いでいくため、この記念日は、制定されました。

     

    ・自然公園法とは「優れた自然の風景地を保護するとともに、その利用の増進を図ることにより、国民の保健、休養及び教化に資するとともに、生物の多様性の確保に寄与することを目的(第1条)として定められた法律。」です。

     

    ・公園は私たち人間が利用することだけでなく、自然を守り生物の多様性を確保するという、動植物のためのものでもあるのですね。近所にある各都道府県立の公園も、意外とたくさんの動植物がすんでいます。

    ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村


    683655_m

    198568日、「大鳴門橋開通の日

     

    1985(昭和60)年68日は、四国と本州をつなぐ「大鳴門橋開通の日」です。この日に、住民の長年の夢でした、徳島県鳴門市と淡路島を結ぶ、大鳴門橋が開通しました。

     

    ・本州四国連絡高速道路が管理しており、本州と四国を結ぶ三つの本四架橋ルートの1つである神戸淡路鳴門自動車道として供用され、四国地方と近畿地方の交通の要になっています。

     

    ・この橋の橋長は1,629 メートル、中央径間は876 m、幅は25 m、主塔の高さは144.3 メートルです。鳴門海峡の渦潮に影響を及ぼさないようにするため、多柱基礎工法とよばれる特殊な工法が採用されています。

     

    ・開通当初は橋上で鳴門の渦潮を見ようとするドライバーが後を絶ちませんでした。

    そのため橋上区間全体にわたって路側帯には「停駐車禁止 路側走行禁止」と標示されています。また、橋上には至る所にスピーカーが設置されていて、ドライバーに警告を発しています。

     

    ・大鳴門橋は瀬戸内海国立公園および名勝に指定された鳴門海峡にふさわしい景観をもつ道路として、昭和62年度「日本の道100選」に選定されました。

     

    ・徳島県鳴門市と兵庫県南あわじ市を結ぶ吊り橋「大鳴門橋」が198568日の開通から30周年を迎えるのを記念して、徳島県知事の飯泉嘉門氏、兵庫県知事の井戸敏三氏らが出席する「記念セレモニー」が、鳴門公園内の千畳敷において66日に開催されました。

    ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村



    3104118_m

    195567日、「母親大会」の日

     

    ・「母親大会記念日」は、1955(昭和30)67日に、初の日本母親大会が開催されたことを記念して設けられました。

     

    1954年のビキニ環礁でのアメリカの水爆実験を受けて、日本婦人団体連合会が、国際民主婦人連盟に原水爆禁止を提案し、世界母親大会が、スイスで開かれることになり、これに先立って、平塚らいちょう国際民主婦人連盟副会長らの呼びかけで、第1回日本母親大会が、東京豊島公会堂で開催され、約2千名が参加しました。

     

    ・その日のスローガンは、「生命を生み出す母親は、生命を育て、生命を守ることをのぞみます」という力強いものでした。そして、スイスでの世界母親大会への日本の母親代表を送ることを決定しました

     

    ・日本の母親たちの社会活動の意識が、この大会によって高まりました。

     

    ・この記念日には、生命と暮らし子供と教育、平和、女性の地位向上等に関する分科会や講演会等が開催されます。

     

    ・現在では、第1回から、60年余続いていますが、「ポストの数ほど保育所を」の保育所づくり運動、小児麻痺ワクチン緊急輸入運動など、この母親大会から生まれた運動も多く、大きな成果をあげています、そして、47都道府県の実行委員会と50の中央団体が参加しています。

    ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

     

    3080038_m

    196867日、「スウェーデンが原子力発電所の廃止を決定の日」

     

    1968(昭和43)年67日は、スウェーデンが原子力発電所の廃止を決定した日です。この日に、スウェーデン政府が、徐々に、火力や水力、風力などによる発電に移行し、原子力発電所の段階的廃止を決定し発表しました。

     

    ・スウェーデンでは、原子力は、水力と並ぶ主力電源でした。1972年に国内最初の商業用原子炉が運転を開始し、石油危機以降、原子力が石油代替エネルギーの主翼を担ってきました。

     

    ・しかし、1979年の米国スリーマイル島原子力発電所における事故発生と、翌1980年に実施された国民投票の結果を受けて、スウェーデンは脱原子力政策に舵を切りました。

     

    ・政府は当時、運転中・建設中の原子炉を除いて新たな原子炉の建設は行わないこと、また、2010年までにすべての原子炉を閉鎖することを決定しました。

     

    ・ただし、この脱原子力の決定は、雇用と社会的利益が損なわれないこと、石油と天然ガスの使用量が増加しないことなどを条件としていました。そのため、その後、代替電源の開発が進まなかったこと、また、産業界や労働組合の反発もあって、実際には原子炉の閉鎖は進展しなかった。

     

    1990年代後半になると、与党に復帰した社民党が原子力反対政党と政策協力を行ったことから、原子炉の閉鎖の実現に向けた動きが再び活発化した。1997年に成立したエネルギー政策法では、従来、2010年とされていた原子炉閉鎖期限は明記されなかったものの、具体的に2基の原子炉を閉鎖する方針が決定された。閉鎖されることになったのは、海を挟んだ隣国デンマークの首都・コペンハーゲンのちょうど対岸に位置していた、バーセベック発電所1号機と2号機でした。この決定に基づき、1号機は199911月、2号機は20055月に閉鎖された。

     

    ・スウェーデンでは、原子力発電所から発生する使用済燃料物の最終処分場建設に向けた手続きも、他の先進諸国と比較して順調に進んでいます。20096月には、最終処分場の建設サイトの決定が発表されました。

    ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村



    2118129_m

    19271230日、「地下鉄記念日」

    1927(昭和2)年1229日は、東京の上野から浅草間の2.2キロメートルに、日本最初の旅客用地下鉄が開通しました。所要時間は、2キロ余りでしたので、僅か5分程度でした。この地下鉄は、物珍しさもあって、この日1日だけで、約10万人の人出があったそうです。この日を記念して、「地下鉄記念日」に制定されました。

    ・この地下鉄の建設をするうえで重要な働きをしたのは、早川徳次氏という人です。彼は大学を卒業すると鉄道員中部鉄道管理局に就職し、新橋駅の駅員となりました。その後1914年に会社を辞職し、欧米の鉄道や港を調査するためにロンドンを訪れました。彼はロンドンの町で地下鉄が発達しているのを見て、東京の発展にも地下鉄が必要であると考えました。

    1916年に帰国するやいなや彼は地下鉄の調査研究を行い、1917年に地下鉄を建設することを日本資本主義の父と言われた財界の第一人者、渋沢栄一氏に認めてもらいました。

    1920年に東京地下鉄道株式会社の社長となりました。1925(大正14)年9月に上野と浅草を結ぶ地下鉄の建設に着工、23ヶ月後の19271230日についにアジアで初めての旅客用地下鉄を開業しました。これは、現在の東京メトロ銀座線の一部となっています。


    c121c3a3d091b7deea412286a016034d_m

    19601220日、「道路交通法施行記念日」

    1960(昭和35)年1220日は、道路での危険を防ぎ、交通の安全を図ることを目的に道路交通法が施行されたのを記念する日です。

    1220日は「道路交通法施行記念日」です。1960(昭和35)年1220日、それまで施工されていた道路交通取締法が廃止され、新たに「道路交通法」が施行されたことに由来します。

    ・同法は交通に関する状況の変化に併せて適宜改正されており、主な改正を年を追ってみます。

    1963(昭和38)年714日、 名神高速道路の開通に合わせ、高速道路に適用される特別規則が整備される。

    1965(昭和40)年91日 自動二輪車は高速道路で、ヘルメットの着用が義務化されて2人乗りが禁止される。

    1968(昭和43)年71日 交通反則通告制度が定められる。

    1970(昭和45)年820日 酒気帯び運転に罰則が復活される。

    1978(昭和53)年121日 自動二輪車のヘルメット着用が、一般道路、高速道路を問わずに義務化される。

    1997(平成9)年1030日 高齢運転者標識(紅葉マーク)が定められる。

    1999(平成11)年111日 運転中の携帯電話の使用が禁止される。

    2002(平成14)年61日 酒酔い運転、酒気帯び運転、死亡事故など悪質で危険な違反は、罰則が強化される。

    2004(平成16)年111日 走行中の携帯電話等の使用の罰則強化。

    2008(平成20)年61日 後部座席のシートベルト着用義務化。

    2017(平成29年)312日  高齢運転者対策の強化(75歳以上の運転者)  臨時認知機能検査、臨時高齢者講習の新設。
    4abee18caf4c03b167349f20675ae508_m

     

    1964917日、「都市交通の東京モノレール」開業日

    1964(昭和39)917日は、東京オリンピックが開幕する3週間ほど前の1964917日、東京モノレールが開業しました。羽田空港と浜松町の間を約15分で結びました。

    ・これは、日本初の旅客用で、世界的に見ても、初めての本格的な都市交通機関としてのモノレールでした。

    ・当時、最新鋭の東京モノレールは、各国から訪れるオリンピック選手たちを運びました。

    ・東京オリンピックが開催されたこの年は、競技場や宿泊施設、競技場までの輸送施設、東海道新幹線や首都高速道路網、地下鉄などが整備されました。そして、都市上空の高架軌道上を走る交通機関として導入されたのが、東京モノレールです。

    ・モノレールをはじめ、街の上空を有効に利用する交通システムは、交通の円滑化を実現するとともに、車窓からの魅力を再発見する機会を私たちに与えてくれています。

    ・モノレールは軌道をまたいで走る「跨座型」と、ぶらさがる「懸垂型」に大別され、国内で現在運行する最古のモノレールは上野動物園にある懸垂型です。

    ・東京モノレールは跨座型の本格的な都市交通として、東京五輪開催直前に開業しました。全長17.8キロで、開業50周年の2014年度末までの乗客数は総計18億3千万人以上を数えます。

    e65dd71058a43cb9ecc15f9f6406fb02_t[1]

    このページのトップヘ