今日は何の日

「今日は何の日」は、今日、過去に起こった注目すべき出来事等をご案内致します。

    「今日は何の日」は、今日、過去に起こった注目すべき出来事等をご案内致します。

    カテゴリ: 日記

    1945626日は、「国連憲章調印記念日」

    ・国連憲章調印記念日 1945(昭和20)年のこの日、米国のサンフランシスコ会議にて、「国連憲章」に51か国が調印し、国際連合の設立が決定しました。この記念日は、世界の平和と人類の福祉向上のために活動している公益財団法人 日本国際連合協会が制定しました。

     

    ・国連憲章とは、国連の設立根拠となる条約で、前文と第1章から第19章で構成されています。

     

    ・国際連合憲章とは、国際連合の設立根拠となる条約です。1944(昭和199月、米英ソ中の四カ国代表がワシントン郊外のダンパートン・オークス会議で、戦後の世界平和を保つための原則・組織・活動方法を決めた「国連憲章の原案」を決定しました。

     

    ・国際連合とは、世界の平和と経済・社会の発展のために協力することを誓った独立国が集まってできた機関であり、4つの重要な義務があります。

     

    1、 全世界の平和を守ること。

    2、 各国の間に友好関係を作り上げること。

    3、 貧しい人々の生活条件を向上させ、飢えと病気と読み書きのできない状態を克服し、お互いの権利と自由の尊重を働きかけるように、共同で努力すること。

    4、 各国がこれらの目的を達成するのを助けるための話し合いの場となること。

     

    ・設立当初は、51カ国だった加盟国の数は、今では196カ国以上に増えています。設立以後脱退の国は、ありません。

     

    ・国連憲章が発効し国連が発足したのは1945年の1024日で、この日は「国連の日」となっています。

     

    ・日本の国連加盟が認められたのは1956年(昭和31年)1218日で、この日は「国連加盟記念日」となっています。

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    1946月年625日は、「住宅デー」

    1946(昭和21)625日は、全国の住宅を中心とした建設作業に従事している町の大工さん、左官屋さんらの団体である全国建設労働組合総連合が、大手業者だけでなく、地域の身近な職人さんの存在を知ってもらおうとスペインのアントニオ・ガウディ建築家の誕生日の625日を、1978(昭和53)年から記念日として制定されました。

     

    ・住宅デーが、制定された頃、当時の日本は、高度経済成長期で、住宅も大量生産で作られていく中で、工場で、多くの建築部品が作られるようになり、昔からの建設職人さんが居なくても家が出来る住宅業者が誕生しました。

     

    ・この頃までは、家を建てるなら大工さんや左官屋さんという繋がりがありましたが、徐々に住宅業者に、その地位を奪われるようになってきました。

     

    ・そこで、地域の皆さんに改めて、町の大工さんや職人さんなどの腕前や仕事ぶりを示すことを目的につくられたのが「住宅デー」です。

     

    ・地域の職人さんたちが、住宅相談、住宅リフォームなどの情報提供や修繕ボランティアなどを行ってくれるイベントです。

     

    ・家のことで困ってどこに相談していいかわからないときに、直接職人さんに相談出来ることは、本当に心強いですね。

     

    全国建設労働組合総連合は、「住」の生産に携わる建設職人を中心に作っている組合です。わが国の建設産業で働く者の最大の労働組合で、かつ、日本の労働組合では4番目に多い組織数です。20163月末で、約108万人を超えています。

     

    ・全国建設労働組合総連合は「個人加盟の居住地組織」の形態として出発しました。企業の枠を超えたところで、一人ひとりを説得し、本人の自発性に基づく加盟を原則にしています。会社や事業所ごとにつくられている組合ではなく、個人個人が自分の意志で地域の組合に加入するのが大きな特徴です。

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    1947624日は、「空飛ぶ円盤記念日」

    1947(昭和22)624日は、自家用機で飛行中のケネス・アーノルド実業家が、アメリカのワシントン州のレニア山上空で強い閃光を目撃します。よく見ると空中に一直線に並んだ9個のソーサー(受け皿)型の謎の飛行物体が、猛烈なスピードで急降下や急上昇を行っているのを発見しました。相手の速度を測定すると時速約2700km(約マッハ2.2)ものスピードでした。

     

    ・この物体は、「フライング・ソーサー(空飛ぶ円盤)」と呼ばれました。これが、全米に報道されました。その後、同様の目撃証言が相次ぎました。

     

    ・これを、米空軍は、他の国の秘密兵器ではと事態を重視して、調査に乗り出しました。

     

    ・この謎の飛行物体を、米空軍は、UFO(未確認飛行物体)と名付けました。

     

    ・しかし正体もつかめず、具体的な証拠も見出せず、米空軍は結局19691217日、UFOというのは、車のサーチライトの誤認とか目の錯覚の類ではないか、との調査報告を提出するに至りました。

     

    UFOライブラリーでは、最初のUFOの目撃者の発生の624日を記念日として、この日、世界のマニアが、こぞって観測を行っています。

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    1894623日は、「オリンピック・デー」

    1894(明治27)623日は、パリ万国博覧会の国際会議で、フランスのピエール・ド・クーベルタン男爵の提唱で、国際オリンピック委員会(IOC)が創立されました。

     

    クーベルタン男爵は、世界平和のために、古代オリンピックを復活させようと提唱し、オリンピック競技会創設委員会を開くと同時に、国際オリンピック委員会の創設が満場一致で採択されました。

     

    ・クーベルタン男爵は、「近代オリンピックの父」と言われ、この日に世界各国で記念行事が行われます。

     

    ・オリンピックは古代ギリシャのオリンピアの町で行われていたスポーツ大会で、4年に一度ギリシャ全土から、選手が集まって各種の競技で競い合いました。

     

    ・この古代オリンピックは、約400年間続いたとされています。近代オリンピックは、その精神を継いで、世界中のトップクラスのスポーツマンが一同に集まり、技と力を競うものです。

     

    ・第1回大会となる近代オリンオイック最初の大会は、189646日から415日まで、ギリシャのアテネで行われました。古代オリンピック同様に、男子選手のみの大会でしたが、第2回目からは、女子選手も参加するようになりました。

     

    ・日本では、日本オリンピック員会(JOC)の主催で、5月から、8月まで各地で、「オリンピックデー・ラン」が開催されます。

     

    2020年東京オリンピックは、2020724日から89日までの17日間、東京で開催されるオリンピック競技大会です。1964年以来2回目で、第32回オリンピック競技大会になります。

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    2013622日は、「富士山が世界遺産に登録」

    2013(平成25)622日に正式に世界文化遺産として登録されました。日本国内では17件目の世界遺産登録となります。

     

    ・富士山は、静岡県と、山梨県に跨る活火山です。標高は3776.24メートル、日本最高峰の独立峰で、その優美な風貌は日本国外でも日本の象徴として広く知られています。

    ・さまざまな「信仰」と「芸術」を生み出した名山として世界に誇る価値がある、と認められました。

     

    ・富士山は、信仰の対象と芸術の源泉」の名で、関連する文化財と共に世界文化遺産に登録されました。

     

    ・富士山の世界遺産登録は、富士山という自然の営みに宗教性、芸術性を見出してきた日本人の自然観や文化観が国際的に認められたからであり画期的なことでした。

     

    ・古の人々にとって、高くて美しい富士山は、噴火や溶岩流出を繰り返す恐ろしくも神秘的な山でした。

     

    ・古来、日本人は噴火を繰り返す富士山を神が宿る山として、信仰の対象でした。

     

    ・噴火活動が沈静化する平安時代後期以降、富士山は、富士山にいると信じられている神仏を拝みながら、修験者たちは修行のために富士山に登るようになったと言われています。

     

    ・また、富士山は、その雄大で美しい姿から芸術面でも多くの人々にインスピレーションを与えてきました。

     

    ・人と自然が信仰や芸術を通して共生する姿は、富士山が持つ大きな特徴の一つです。

     

    ・「信仰の対象であり、芸術創作の源泉である」この見えない価値こそが、富士山を世界文化遺産に導きました。

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    756621日は、「正倉院建立日」

    8世紀の中頃,奈良時代の756621日、聖武天皇の七七忌の忌日にあたり、光明皇后は天皇の御冥福を祈念されて、御遺愛品など六百数十点と薬物六十種を東大寺の大仏殿に奉献されました。

     

    ・光明皇后の奉献は前後五回におよび、その品々は東大寺の現在の正倉院に収蔵されて永く保存されました。

     

    ・奈良時代の寺院や官庁の主要な倉庫のうち、東大寺正倉院が最も有名で、唯一の遺構であるため現在は固有名詞となっています。

     

    ・これが正倉院の起りです。大仏開眼会をはじめ東大寺の重要な法会に用いられた仏具などの品々や、光明皇后奉献の品々と併せて、厳重に保管されることとなりました。

     

    ・東大寺正倉院は大仏殿の北西に位置し、聖武天皇の御遺愛品および東大寺の寺宝や文書類など約 9000点を収納しています。

     

    ・国宝の正倉院は、原形のままで保存されていますが、収蔵品は1962年鉄筋コンクリートの宝庫に移されました。

     

    ・この正倉院は,千有余年の間、朝廷の監督の下に東大寺によって管理されてきましたが、1875(明治8年)、宝物の重要性にかんがみ内務省の管轄となり、次いで農商務省を経て宮内省に移り、引き続き宮内庁の所管するところとなりました。

     

    ・正倉院は、1997年に国宝に指定され、翌1998年に「古都奈良の文化財」の一部としてユネスコの世界遺産にも登録されています。

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    2001620日より今日は、「世界難民の日」

    2001(平成13)年より毎年620日は、国際デーの一つ世界難民の日です。

     

    2000124日の国際連合総会の決議により制定されました。

     

    ・元々は、アフリカ統一機構の「アフリカ難民条約」の発効の日でした。アフリカ地域およびアフリカ以外の地域での難民問題の深刻さに注目し、国連難民高等弁務官事務所らの申し出により、「世界難民の日」」が制定されることとなりました。

     

    ・世界各地で毎年イベントが実施されています。第1回の2001年には「難民の子供たち」をテーマとして掲げました。

     

    ・今、世界には、住む場所を奪ばれている難民が、2016年で、約6560万人もいます。

     

    ・難民とは、国境を越えて避難している人のことをいいます。難民の多くは、人種や宗教の違いによって起こる戦争によって生まれています。

     

    ・難民の多くは、難民キャンプで生活しています。厳しい生活の中、十分な栄養を取れずに、病気や栄養失調になる子供たちも、たくさんいます。

     

    UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は、1950年に設立された国連機関の一つです。紛争や迫害により難民や避難民となった人々を国際的に保護・支援し、難民問題の解決へ向けた活動を行っています。

     

    ・国連難民高等弁務官事務所は、スイスのジュネーブに本部を置き、約12,000人の職員(日本人職員70人以上)が世界約135か国で約7,144万人の支援に従事しています。1954年と1981年にノーベル平和賞を受賞。

     

    2011620日、この日に合わせて、東京タワーが、国連のカラーの青色にライトアップされました。

     

    2019年の620日には、全国14か所のモニュメントが国連ブルーに染まり、東京スカイツリー、さっぽろテレビ塔、函館・五稜郭タワーではイベントも開催します。

     難民について「知る、広める、参加する」をテーマに、日本からできるさまざまな支援の形をご紹介します。

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    1992619日、「世界遺産条約」国会承認

    1992(平成4)6月19日の今日は、世界遺産条約が、我が国の国会で承認されました。

     

    1992630日に受託書を寄託し、この年の930日に発効して、世界で126番目の条約締結国となりました。

     

    ・世界遺産という考え方は、1959年のエジプトのナイル川のアスワン・ハイ・ダムの建設にあたって水没する運命のアブシンベル宮殿等のヌビア遺跡群を救おうと国際連合の専門機関の一つであるユネスコが呼び掛けたことに、始まります。

     

    ・この時は、多くの国々が協力して、移築が実現して、遺跡群はまもられました。

     

    ・その後、19721116日のユネスコ総会で、「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約」採択されて、19751217日に発効されました。

     

    ・この条約に基づいて世界遺産リストに登録された物件「世界遺産」といいます。

     

    ・世界遺産の認定は、各国推薦の遺産を、国際記念物遺跡会議、国際自然保護連合が調査して、世界遺産委員会が、最終的に決定します。

     

    ・日本では、この「世界遺産」に該当して、登録した物件には、法隆寺、姫路城、白川郷、京都の文化財、広島平和記念碑、厳島神社、奈良の文化財などがあります。毎年増え続ける世界遺産。 20173月現在、日本にある世界遺産は文化遺産16、自然遺産4の合計20です。

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    1908618日、「海外移住の日」制定

    1908(明治41)6月18日の今日は、本格的な国策海外移住の第1158家族781人を乗せた笠戸丸が、ブラジルのサントス港に到着しました。

     

    ・この日を記念して、昭和41年(1966)に、総理府(現在の内閣府)と国際協力事業団移住事業部が記念日として制定しました。

     

    ・この記念日は、国民一般、特に青少年に海外に広く眼を向けさせ、海外移住に対する理解を深めることなどが目的となっています。

     

    ・この日を含む10日間は、兵庫県神戸市の神戸港にある波止場の一つ「メリケン波止場」で、国際協力事業団により催しが行われます。

     

    ・神戸で人気の高いサンバは「ブラジル音楽」神戸市とブラジルの縁の深さがわかります。

     

    ・第一回の移住者の中で最後の生存者は中川トミさんです。1997年に天皇皇后両陛下がブラジルを訪問なさった際に、歓迎式典に招かれました。

     

    ・現在までに約13万人のブラジル移民、約160万人の日系ブラジル人がいるとも言われています。

     

    ・ブラジル移民は既に4世の時代になっています。好むと好まざるに関わらず、生活苦から異国に移民した日本人を忘れずに思い出す日にしてもらいたいものです。

     

    ・海外移住は、現在では、農業移住から、技術移住へ変わるなど、技術大国に、ふさわしい形態に変わってきています。

     
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    1994617日、「砂漠化および干ばつと闘う世界デー」制定

    1994(平成6)6月17日の今日は、国連で砂漠化防止条約が採択されたことにより、1995130日の国際連合総会の決議により定められました。

     

    ・砂漠化は、地球規模で広がる環境破壊で、アフリカ、アジアなどで、全陸地の約4分の1で砂漠化が進んでいます。この条約は、砂漠化を防止し、旱魃から人々を救うことを主な目的としている。

     

    ・世界で、約9憶人以上が、その影響を受けています。気候変動や行き過ぎた耕作や放牧、森林伐採などの、人為的要因が、原因とされています。

     

    2001年に開催された第五回国連砂漠化対処条約締約国会議で、毎年テーマを設定することが決定され以後毎年テーマを決めて砂漠化防止活動を実施しています。

     

    ・この条約は、砂漠化の影響を受ける地域における持続可能な開発の達成に寄与するため、国際協力及び連携によって支援されるすべての段階の効果的な行動により深刻な干ばつ又は砂漠化に直面する国のうち特にアフリカの国において砂漠化に対

    処、及び干ばつの影響を緩和することを目的とします。

     

    ・この目的の達成には、砂漠化の影響を受ける地域において土地の生産性の向上並びに土地及び水資源の回復、保全及び持続可能な管理に同時に焦点を合わせた長期的かつ総合的な戦略、特に地域社会における生活条件の改善が必要です。

     

    ・この地域社会における生活条件の改善については、「砂漠化および干ばつと闘う世界デー」の2009617日、国連環境計画によって、次のような農地の回復や自然保護区の制定などを含む、アフリカでの砂漠化防止の改善計画が発表されました。

     

    ・植林の最新技術を投入するだけでなく、市場価格の高く、緑地回復の高い農作物を砂漠際に植え、緑地化を図りつつ農業生産力を高め、現地の経済も建て直すというものです。最新技術と現地の生活様式との融合できる改善案として期待されています。

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    1963616日、「初の女性宇宙旅行」記念日

    1963(昭和38)6月16日の今日は、ソ連のワレンチナ・テレシコワ少佐が、宇宙船「ボストーク6号」から、「私は、かもめ」の呼び名を送ってきました。

     

    彼女は、人類初の女性宇宙飛行士で、地球を48周して、3日後に無事地球に帰還しました。

     

    彼女が、「宇宙へ行きたい」と思ったのは、19614月ガガーリン少佐が人類初の宇宙飛行を成功させた時だったといいます

     

    ・「男が飛んだから、この次は女の番だね」その日、何気ない母の言葉が、彼女の心を打ちました。

     

    ・戦争のため、幼くして父親を失ったテレシコワ少佐は、厳しい環境の中、女手ひとつで育ててくれた母親の存在が支えでした。

     

    彼女は、働きながら工学を学び、地元の航空クラブでスカイダイビングを行っていました。

     

    1962年、400人を超える候補の中から女性宇宙飛行士に選抜され、想像を絶する厳しい訓練を経て、念願の宇宙へ飛び立ちました。

     

    ・まさに、人類で初めて女性が宇宙に飛び出した瞬間でした。彼女は、宇宙から地球を見て故郷の母親を思いました。祖国の上空に差しかかると、「わが母と、世界のすべての母親の幸福を希望する」と感謝の気持ちを発信しました。

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    1870615日、「米100俵の日」記念日

    ・この「米百表の精神」を次世代に伝えていくことが目的で、長岡市が1870(明治3年)6月15日の国漢学校新校舎開校の日を記念して、「米百俵デー」に制定しました。

     

    ・長岡市米百俵財団は、「米百俵」の精神を普及・啓発するため、「米百俵デー市民の集い」を長岡市と共に毎年開催しています。

     

    ・この日に長岡市米百俵財団が、人材育成に大きく貢献した個人・団体に米百俵賞を贈呈しています。

     

    ・米百俵とは、幕末から明治初期にかけて活躍した長岡藩の大参事小林虎三郎藩士による教育にまつわる故事を言います。

     

    ・この逸話は、現在の辛抱が将来利益となることを象徴する物語として引用されています。

     

    ・幕末の戊辰戦争の一つ北越戦争で敗れた長岡藩は、74000石から24000石に減知され、実収にして6割を失って財政が窮乏し、藩士たちはその日の食にも苦慮する状態であった。このため窮状を見かねた長岡藩の支藩三根山藩から百俵の米が贈られることとなりました。

     

    ・藩士たちは、これで生活が少しでも楽になると喜んだが、藩の大参事小林虎三郎藩士は、贈られた米を藩士に分け与えず、売却の上で学校設立の費用とすることを決定しました。

     

    ・藩士たちはこの通達に驚き反発して抗議しましたが、それに対し大参事小林虎三郎藩士は、「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」と諭し、自らの政策を押しきりました。

     

    ・この米百俵の売却金によって開校したのが「国漢学校」であり、洋学局と医学局が設置されました。この学校は士族によって建てられた学校ですが、一定の学力に達した庶民の入学も許可されました。

     

    ・国漢学校は、現在の長岡市立阪之上小学校、新潟県立長岡高等学校の前身となりました。

     

    ・なお長岡藩江戸上屋敷にも国漢学校があり、長崎に医術の修行のため内地留学も出していました。

     

    ・この物語は「米百俵の精神」という言葉になり、小泉純一郎内閣総理大臣が、小泉内閣発足直後の国会の所信表明演説で引用されて有名になり、2001年の流行語大賞にも選ばれました。


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    1914614日、「五輪旗制定」記念日

    1914(大正3)年614日は、フランスのパリで開かれたオリンピック委員会で、オリンピック旗が制定されました。

     

    ・オリンピック復興20周年記念祭のため、オリンピックの創立者であるクーベルタン男爵が発案したものです。

     

    ・五輪のマークは五大陸を意味していて、色それぞれがどの大陸を指しているかは決まっていませんが、青がオセアニア、黄がアジア、黒がアフリカ、緑がヨーロッパ、赤がアメリカとする説もあります。

     

    ・近代オリンピックの象徴でもある五輪のマークは、五つの自然現象である火と水と木の緑・土の黒・砂の黄色とスポーツの5大鉄則である情熱と水分と体力と技術と栄養を、原色5色と5つの重なり合う輪で表現したものです。

     

    5輪の旗は、左から青と黄と黒と緑と赤の5つの輪がWになるように組み合わせたものです。

     

    5つの重なり合う輪はまた、平和への発展を願ったものであります。

     

    ・この五輪マークは、1914(大正3)年に、国際オリンピック委員会の創設20周年記念式典で披露されて、1920(大正20)年のアントワープ大会から使用されていますが、木綿で作られた五輪旗は一度盗まれ、1992(平成4)年のバルセロナ夏季大会から合成樹脂の五輪旗が使われているそうです。

     
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    2010613日、小惑星探査機「はやぶさ」帰還

    2010(平成22)年613日は、小惑星探査機「はやぶさ」は、地球と太陽を20往復する約60億キロメートルの距離を7年に及ぶ宇宙の旅を終えて帰還しました。このミッションの成功の偉業を記念しての「はやぶさ」の日です。

     

    ・この「はやぶさの日」は、宇宙航空研究開発機構の施設がある相模原市他の42町で構成される「銀河連邦」によって、記念日として制定されました。

     

    ・この記念日は、「はやぶさ」の開発や運用に関わった人達の「あきらめない心」と「努力する心」を、永遠に全国の人々に、伝えていこうという意味がこめられています。

     

    ・耐熱」カプセルから小惑星「イトカワ」で採取した微粒子約2000個が発見され、人類初の快挙に日本中が感動で湧きました。

     

    宇宙航空研究開発機構の相模原キャンパスは、この日の出来事で喜びに満ち溢れていました。

     

    ・小惑星探査機「はやぶさ」の落下地点は、オーストラリアのウーメラ砂漠でした。夜空に光る点となって現れた「はやぶさ」は、貴重なカプセルを切り離した後、残っていた最後のガスなどによって、爆発し、明るい光を放ちながら南十字星の方へ消えていきました。

     

    ・この感動的な本体とカプセルが大気圏に突入した時の光の航跡が、テレビでライブ中継されました。

     

    ・「はやぶさ」が帰還して、4年後の201412月には、種子島宇宙センターから、「はやぶさ2」が打ち上げられて、現在もなお宇宙の旅を続けています。

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    1961612日、「農業基本法」公布

    1961(昭和36)年612日は、農業基本法日の公布日です。

     

    ・政府は、国の農業に関する政策の目標と施策の方向を規定する「農業憲章」とも言うべき農業基本法の制定に取り組みました。同法は、1961年612日公布・施行されました。

     

    ・農業基本法は、農業に関する政策の目標を示すために制定された日本の法律です。1999年、食料・農業・農村基本法の施行によって廃止されました。それまでは、「農業界の憲法」という別名を持っていました。

     

    ・農業基本法の内容は、農業生産性の引き上げと農家所得の増大を目指した法であり、高度経済成長とともに広がった農工間の所得格差の是正が最大の目的でした。

     

    ・この法律によって農業の構造改善政策や大型農機具の投入による日本農業の近代化を進めました。

     

    ・結果として生産性を飛躍的に伸ばすことと農家の所得を伸ばすことには成功しましたが、大部分の農家が兼業化したことや、農業の近代化政策による労働力の大幅削減で農村の労働力が東京、大阪などの都市部へ流失し、農業の担い手不足問題の引き金となり、食料自給率低下の要因を作ってしまいました。

     

    ・農業基本法公布の目的は、戦後格差の開いた農民と都市勤労者の所得の均衡を図るとともに、農家の自立経営を目指して、経営規模を拡大し、畜産・果樹などの需要の伸びるものを増進するものでした。

     

    ・農業基本法は、農村に残った農家の経営規模の拡大を目指していましたが、多くの農家は、土地を手放したがらず、また,地価が高騰してしまったために農地の譲渡も進まず、零細的な経営から脱却することは、出来ませんでした。

     

    ・そこで、政府は、1999年、38年振りに、「新基本法」を制定して、食料の安定供給、農業の多面的機能の発揮、農業の持続的な発展、農村振興などの基本的施策を制定しました。

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    1942611日、「関門トンネルの開通した日」

    1942(昭和17)年611日は、世界初の海底トンネルの関門トンネルが開通した日です。

     

    ・本州と九州を結ぶトンネルを造り、鉄道を走らせることは、日本の長年の課題の一つでした。

     

    ・山口県の下関駅と福岡県の門司駅の間には、関門海峡があり、当時は、鉄道での連絡は無く連絡船に乗り換えなくてはなりませんでした。

     

    ・そこで、1936年に、関門海峡の下を掘り抜く関門トンネルの建設が始まりました。

     

    ・下関側からは、トンネルを直接掘り進めていく山岳工法、門司側からは、日本で初めてのシールド工法の技術が使われました。

     

    ・シールド工法とは、シールドマシンという巨大な鋼製の掘るための機械を、前進させていくもので、海底等の柔らかい土のある所でも、使用出来ました。

     

    1942611日に、単線下り線の試運転列車が走りました。世界で初めての海底トンネル3614メートルが、ついに開通しました。

     

    ・工事開始から、6年間での完成でした。さらに、2年後には単線上り線の2本目のトンネル3605メートルも開通しました。

     

    ・関門トンネルが、開通したことにより、本州と九州の行き来の時間は、大幅に短縮されました。

     

    ・開通から、70年以上経った今は、九州旅客鉄道が管轄し、山陽本線の在来線の列車が関門トンネルを利用しています。

     

    ・また、「関門トンネル」は山口県下関市と福岡県北九州市を結ぶ国道2号の別の海底トンネルと同じ呼び名ですので、この山陽本線の同名のトンネルと区別するために関門国道トンネルと呼ばれています。

     

    ・新関門トンネルは、西日本旅客鉄道の山陽新幹線新下関駅から小倉駅間にある鉄道海底トンネルです。関門海峡を横断する交通施設では最も新しいものであります。 19753月の開通当時は日本一長い鉄道トンネルでした。 

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    1959610日、「国立西洋美術館の開館日」

    ・今日1959(昭和34)年610日は、「国立西洋美術館の開館日」です。

     

    実業家の松方幸次郎氏が、長年にわたり、ヨーロッパで集めた美術品が、第二次世界大戦後、フランスに引き取られました。

     

    ・その後日本政府は、当該美術品の返還を、粘り強くフランス政府と交渉し、国内に西洋美術専門の美術館を造ることが等が、返還の条件となりました。

     

    ・そして、出来たのが、現在の国立西洋美術館で、1959610日に開館しました。

     

    ・国立西洋美術館は、東京都台東区の上野公園内にある、西洋の美術作品を専門とする美術館です。独立行政法人国立美術館が運営しています。

     

    ・松方幸次郎氏は、川崎造船所社長として隆盛を誇った第一次世界大戦の際、ヨーロッパで買い集めた絵画、彫刻、浮世絵は松方コレクションの名で知られ、その一部は国立西洋美術館の母胎となりました。

     

    ・松方幸次郎氏のフランスのパリに保管してあった約400点は第二次世界大戦後、敵国資産として、フランス政府に接収されました。この約400点が、今日一般に松方コレクションと呼ばれるもので、近代フランスの絵画・彫刻等が中心です。

     

    1951年(昭和26年)のサンフランシスコ平和条約締結の際、日本の吉田茂首相は、フランスのロベール・シューマン外相に松方コレクションの返還を要請しました。

     

    ・その後の日仏政府間の交渉の結果、フランス側は条件付きで返還に応じることとなりました。

     

    ・その条件とは、日本政府がコレクションを展示するための専用の美術館を設置すること、美術品の輸送費は日本側が負担すること、ロダンの作品『カレーの市民』の鋳造費は日本側が負担することの3つでした。

     

    ・日本側が美術品の「返還」を希望したのに対し、フランス側は、美術品はいったんフランスの所有となったものであり、フランスから日本へ「寄贈」するとの立場でした。

     

    ・このため、国立西洋美術館では「寄贈返還」という言葉を使い、パンフレット等にも「フランス政府から寄贈返還された松方コレクション」と紹介しています。

     

    20167月には、この建物を含む「ル・コルビュジェの建築作品」が、近代建築運動への顕著な貢献として、世界文化遺産に登録されました。

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    193369日、「ネッシーの日」記念日。

    ・今日は「ネッシーの日」です。イギリスのスコットランドのネス湖に巨大な怪獣が棲むという記事が写真とともにイギリスの新聞に掲載されました。それが、1933(昭和8)年のこの日69日です。

     

    ・ネッシーは、イギリスのスコットランドのネス湖で目撃されたとされる未確認動物「ネス湖の怪獣」の通称です。

     

    ・今まで大がかりなソナー探索が何度も行われ、「謎の物体」の水中写真が、一部分撮影されています。

     

    ・未確認動物の代表例として世界的に知られ、20世紀最大級のミステリーとして語られてきましたが、今はもう居ないとされています。

     

    ・記録として残されている最古の記録は西暦565年、アイルランド出身のコルンバ聖職者の生涯に関する伝記中で言及された、ネッシーの発見報告です。

     

    ・特に1933年以降、ネス湖で多くの目撃例が報告され、写真や映像が公表されてきた未確認動物の「ネッシー」の通称は世界的に使われていますが、日本においては特にこの名が浸透しています。

     

    ・科学の進歩で謎や不思議の少なくなった20世紀において、未確認飛行物体と並ぶ最大級のミステリーとして永く語られてきました。

     

    ・その正体については、目撃談や写真に捉えられた形状から、恐竜時代に栄えた大型水棲爬虫類である首長竜プレシオサウルスの生き残りという説が、古くから最も知られています。

     

    ・しかし、目撃証言や写真・映像の多くが、既知動物や船舶、流木、航跡、または波動など自然現象の誤認であるか、あるいは捏造と判定され、大型獣が生存している可能性を否定する動物学者が多いのが現状です。

     

    1987年の大規模なローラー作戦を始めとするソナー調査でも、大型生物は発見されていません。

     

    2018年には、「ネス湖のモンスターの最後の決定的な調査」が、多国籍なチームで、実施されましたが、この結果次第では、ネッシーの存在については、終止符が打たれそうです。

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    190268日、「成層圏発見」記念日。

     

    ・フランスのテスラン・ド・ボール気象学者によって、1902(明治35)年のこの日に、世界で初めて成層圏が発見され、この快挙を記念して、記念日が制定されました。

     

    ・成層圏は、一万メートル以上の上空で、気温が一定していて、気象の変化がなく、約50キロメートルの厚さで、地球を取り巻いている安定した大気の層のことをいいます。

     

    ・彼は、フランスの気象庁の長官を務めていましたが、退職後、フランスのベルサイユ近くに自分の研究所を設立し、そこで、風船に温度計を取り付けて飛ばし、上空の気象状態を観測しました。

     

    ・ここで、彼は、上空約11キロメートル付近に不連続面があることに気づきました。雲や雨などの気象現象は、この不連続面より下で発生している為に、この不連続面より上を成層圏、下を対流圏と名づけました。

     

    ・これにより、気象の立体構造が、次第に明らかになってきました、成層圏の高さ30キロメートル当たりまでを「オゾン層」といいます。このオゾン層は、地球を太陽の紫外線等から守っています。

     

    ・このオゾン層を守るために、日本では、1988年「オゾン層保護法」が定められ、オゾン層を壊す物質の生産や使用が、規制されています。

     

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    195567日、「母親大会」記念日の制定。

     

    ・「母親大会記念日」は、1955(昭和30)67日に初の日本母親大会が開催されたことを記念して設けられました。

     

    1954年のビキニ環礁でのアメリカの水爆実験を受けて、日本婦人団体連合会が、国際民主婦人連盟に原水爆禁止を提案し、世界母親大会が、スイスで開かれることになり、これに先立って、平塚らいちょう国際民主婦人連盟副会長らの呼びかけで、第1回日本母親大会が、東京豊島公会堂で開催され、約2千名が参加しました。

     

    ・その日のスローガンは、「生命を生み出す母親は、生命を育て、生命を守ることをのぞみます」という力強いものでした。そして、スイスでの世界母親大会への日本の母親代表を送ることを決定しました

     

    ・日本の母親たちの社会活動の意識が、この大会によって高まりました。

     

    ・この記念日には、生命と暮らし子供と教育、平和、女性の地位向上等に関する分科会や講演会等が開催されます。

     

    ・現在では、第1回から、60年余続いていますが、「ポストの数ほど保育所を」の保育所づくり運動、小児麻痺ワクチン緊急輸入運動など、この母親大会から生まれた運動も多く、大きな成果をあげています、そして、47都道府県の実行委員会と50の中央団体が参加しています。

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    197066日、「楽器の日」制定。

     

    ・「楽器の日」は、1970(昭和45)年に、全国楽器協会により制定されました。

     

    ・「芸事の稽古は、6歳の66日から始めるのが良い」というならわしに由来し、

    また、指で折って数を数えると、ちょうど6の時に小指が立つことから、 「子が立つ」縁起のよい日とされています。

     

    全国楽器協会は、楽器を製造する業者や卸業者、一般的な楽器販売店である小売店などが、加入員となっています。そして、楽器業界全体を盛り上げるだけでは無く、音楽文化の発展にも貢献しています。

     

    ・全国楽器協会は、「66日楽器の日」と「101日国際音楽の日」の2つの記念日を制定しています。

     

    ・このうち「66日楽器の日」をいわゆる楽器のバレンタインデーにしようという動きが楽器店で活発です。

     

    全国楽器協会は、全国の楽器製造・卸・小売業者相互の連携と親和・協調を図り、

    楽器業界の向上発展と音楽文化の向上に寄与することを目的に設立された協会です。

     

    ・楽器のユーザーが増えることは、楽器業界全体の活性化に繋がりますし、音楽文化の向上にも関わります。

     

     ・全国楽器協会は201641日より「一般社団法人」として新たなスタートを切りました。楽器市場の活性化と楽器業界の発展に貢献できるよう、新しい取り組みにチャレンジしています。

     

    ・「66日は楽器の日」は1970年に制定され2018年で48年目を迎えます。これまで「楽器の日」のイベントは各地の楽器店がそれぞれに取り組んでいましたが、2017年より「全国統一キャンペーン」として展開しております。

     

    2017年は約100社、400拠点の参加実績となりました。2018年の「66日は楽器の日」は、「楽器とふれあう10日間」というテーマを掲げ、前年以上の大規模なキャンペーンを目指しております。

     

    2018年の楽器の日では、演奏会や写真撮影、楽器作りなど、気軽に楽器に親しめる催しが盛りだくさんの「楽器とふれあう10日間」をテーマに、楽器を弾いたことのない方でも楽しめる、さまざまな体験イベントを開催しました。

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    197265日、「環境の日」国際デー制定

    ・「環境の日」は、1972(昭和47)年65日からストックホルムで開催された「国連人間環境会議」を記念して制定されました。

     

    ・国連では、日本とセネガルの共同提案の提案を受けて、この65日を「世界環境デー」と定めており、日本では「環境基本法」が「環境の日」を定めています。

     

    ・「環境基本法」は、1993(平成5)年に制定され、日本の環境政策の基本的方向を示しています。

     

    ・環境基本法は、事業者及び国民の間に広く環境の保全についての関心と理解を深めるとともに、積極的に環境の保全に関する活動を行う意欲を高めるという「環境の日」の趣旨を明らかにして、国、地方公共団体等において、この趣旨にふさわしい各種の行事等を実施することとしています。

     

    ・環境庁の提唱により、国連の「環境の日」制定の翌年の昭和48年度から平成2年度までは、65日を初日とする「環境週間」、翌平成3年度から6月の1ヶ月間を「環境月間」として、全国で様々な行事が行われています。世界各国でも、この日に環境保全の重要性を認識し、行動の契機とするため様々な行事が行われています

     

    ・現在では、6月の一カ月間は、環境月間として、毎年、環境省や地方自治体、企業などによって環境セミナーや展示会などが各地で開かれています。

     

    ・環境省では、本年は、令和元年の環境の日及び環境月間を広く周知していただくよう、令和元年度のポスターを作成しました。

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    188264日、「日本初の水力発電所」完成日

    1882(明治25)年64日に、京都左京区の蹴上に、日本初の水力発電所が完成しました。

     

    ・琵琶湖から引いた疎水運河の水を、30数メートルの落差で発電所に導き、ペルトン式水車で、2台のエンジン式発電所を回転させて発電しました。

     

    ・この時の起電力120馬力の装置は、2基という規模でしたが、建設工事には、11年間の歳月と120万円(当時の小学校の教員の初任給が、5円程度)の巨額な予算が、投じられました。

     

    ・日本で最初の事業用水力発電所として知られる京都市左京区の関西電力の蹴上発電所が2016911日、米国に本部のある電気電子技術者協会の「マイルストーン(道標)賞」に認定されました。

     

    ・受賞は京都市と関西電力でした。受賞理由は、水力発電の先駆けで日本の産業の近代化に貢献した点が評価されました。京都市内の施設が認定されたのは、画期的なことでした。

     

    ・同発電所は琵琶湖疏水に流れる水を活用し、1891年に運転を開始。京都市内を走った国内初の電車「京都電気鉄道」へも送電しました。

     

    ・その後、1942年に京都市から関西電力に引き継がれました。今でも現役の発電所として稼働中です。

     

    ・マイルストーン賞には、これまでに、東海道新幹線やハイビジョンなど国内で28件が認定されています。

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    194963日、「測量の日」制定日

    1949(昭和24)年63日に測量法が公布されたことを記念して、建設省や国土地理院が、測量法公布40周年の1989(平成元)年に制定しました。

     

    ・測量は、国土の利用、社会資本の整備等国民生活の安全性・快適性の向上に重要な役割を果たしてきましたが、測量についての国民の認識や社会的評価が必ずしも高いとは言えません。

     

    ・そのような状況の中で、国民に対して、測量に於ける知識の普及・啓発を図るために、「測量の日」の日が、設けられました。

     

    ・ちなみに、日本各地の標高を定める基準である「日本水準原点」は、国会前庭にあります。東京湾の平均水面をゼロとして、標高24.4140メートryの地点です。

     

    ・測量法は、測量を正確かつ円滑に行うために、国家資格である測量士や測量士補の登録や、罰則の規定もあります。

     

    ・測量の歴史上の人物では、17年掛けて日本を測量して、日本地図を完成させた伊能忠敬氏がいます。

     

    ・国民に、もっと測量に親しんでもらうために、測量の重要性について、平成元年から毎年、国民の理解と関心を高めることを目的として、各地でさまざまな催しが、行われています。

     

    ・この日に近い日曜日に、つくば市にある地図と測量の科学館で、関連するイベントが開かれています。

     

    1992年の63日に開催された高知市弥生町を流れる江ノ口川でのイベントは、小学校の3333人が見守る中、33尾の鯉のぼりを上げて、数字の「3」にとことんこだわりました。

     

    ・高知市弥生町江ノ口川は、東経133333333、北緯33333333にあります。

    3」が、16も並びます。さらに、地球33番地を設定して、これは、国土地理院も、認定しました。

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    185962日、「横浜港開港記念日」設立日

    18543月に日米和親条約が結ばれ、1858年に江戸幕府はアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスと修好通商条約を結び、横浜港は185962日に、長崎港と共に国際貿易港として開港しました。

     

    ・横浜港は、当時は横浜村の砂州に波止場が設けられ、税関や町会所が置かれました。

     

    ・開港初期は、生糸貿易の中心的な港として、京浜工業地帯の工業港、東京の外港として、その後大きく発展しました。

     

    ・貿易が拡大し、外国人居留地での取引が活発になると、その玄関口となる横浜では、外国の文化・技術が、いち早く取り入れられることになりました。

     

    ・横浜港は開港時には特にこれを祝う行事などは行なわれませんでしたが、翌年62日に開港1周年を記念して民衆が山車などを繰り出して祝ったのが横浜の開港記念日の始まりとされています。現在では毎年62日が横浜の開港記念日と定められており、横浜市立の小中学校・高校のほとんどが休校日となります。

     

    ・特に、1920年に始まったとされる横浜港開港記念バザーは、毎年多くの出店が、人気を集めています。

     

    ・毎年、この日62日は、53日から始まる「横浜ミナト祭り」の最終日になります。「横浜ミナト祭り」の初日には、山下公園を出発し、目抜き通りをパレードする国際仮装行列が行われます。

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    187561日、「気象記念日」設立日

    1875(明治8年)年61日は、東京赤坂葵町に東京気象台設立この日を記念して、1942(昭和17)年に、気象庁により「気象記念日」が定められました。

     

    ・創立時の観測器具は、温度計・気圧計・望遠鏡などで、64日から始まった定期観測は、お雇い外国人イギリス人のジョイネル氏が一人で、1日に3回の観測をしていました。気象観測の必要性を、当時の政府に訴えたのも、イギリス人のジョイネル氏でした。

     

    6畳ほどの古家で、2階には、水銀晴雨計が吊り下げられていたそうです。

     

    1883年には、ドイツ人のクニッピングの意見を取り入れて、天気図が作成され、その翌年から、天気予報も出されるようになった。

     

    ・当時の内務省の部局として、東京気象台は、設置されました。1888年には、海軍観象台等を統合して発足した東京天文台から、東京気象台として、独立したのが、現在の気象庁です。

     

    ・なお、天文部門は、現在の国立天文台に引き継がれています。

     

    ・初の暴風警報が出されたのは、明治16年でした。

     

    ・平成30年6月1日(金)は、第143回気象記念日でした。気象庁では、次の記念行事等を行いました。

    日時 平成3061日(金)1500分~1550

    場所 気象庁講堂

    式典において、気象業務に功績のあった方への表彰と「気象業務はいま2018」を刊行しました。

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    1989531日、「世界禁煙デー」制定日

    1989(平成元年)年531日は、国連の世界保健機が、世界人類の健康のためにと設けた日で、国際デーの一つにあたります。

     

    1987年の世界保健機関決議により、世界保健機関が設立40周年を迎える198847日が「第1回世界禁煙デー」と定められました。1988年に採択された決議で世界禁煙デーを毎年531日とすることが定められ、翌1989年以降この日に実施されています。

     

    2007531日の前後に、「たばこの煙がない環境」をテーマとして、各国でさまざまな活動が行われました。世界保健機関は完全禁煙に向けた行動を起こすようアピールするとともに、社会から、禁煙の習慣が無くなることを、目指しています。

     

    ・世界禁煙デーの2009年の標語は、「警告:たばこの健康被害」です。その内容は、毎年、世界で、500万人が、喫煙が原因とみられる癌や心臓病で亡くなっており、このままでは、2030年代初頭には、喫煙による死亡者が、年間1000万人に達すると、世界保健機関は警告しています。

     

    2003年施行された健康増進法では、受動禁煙の防止が盛り込まれるなど、禁煙に対する機運は年々高まっています。

     

    ・日本では、1992年から、この日を初日とした「禁煙週間」(昭和531日から、66日)を、厚生省、日本医師会、日本公衆衛生協会が唱え、さまざまな取り組みをしています。

     

    ・また、たばこの煙から子供達を守るため、2020年を見据えた受動喫煙のない社会を目指そうといったテーマを禁煙週間に掲げました。
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    1982530日、「お掃除の日」制定日

    1982(昭和57)年530日は、関東地方知事会空き缶対策推進委員会が、1982年に設けた日です。

     

    530日の語呂合わせから530(ゴミゼロ)の日は、空き缶公害や梅雨時に向けて掃除の大切さを呼び掛けます。

     

    ・各自治体では、川や公園などの掃除、空き缶公害を訴えるキャンペーンをおこなっています。そして、住民による清掃活動や啓蒙行事が行われています。

     

    ・例えば、愛知県豊橋市では、1975年に、豊橋山岳会長により、ゴミを減らすことを心がけるための運動が、豊橋市で始まりました。これが、やがて全国に広がり、毎年この日は、多くの自治体で、ゴミゼロ(530)運動が、行われています。

     

    1979年全国組織の530運動総連合が出来、1993年には、環境庁、厚生省も、「環境美化行動の日」としています。

     

    ・また、日本電機工業会のお掃除を見直す会でも、1986(昭和61)年から、ダニやカビが多く発生する梅雨時に向けて掃除の大切さを呼び掛けるために、この日を設定して、掃除機の普及を含めてキャンペーンを行っています。

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    1953529日、「エベレスト初登頂」記念日

    1953(昭和28)年529日は、世界最高峰の高さ8848メートルのエベレストに、英国登山隊が、人類初の登頂に成功しました。

     

    ・頂上を極めたのは、ニュージーランド出身のエドモンド・ヒラリー登山家とネパールのシェルパのテンジン・ノルゲイ氏でした。

     

    ・この年1953年の英国エベレスト登山隊は、1921年の初遠征以来、9回目の挑戦で、まさに背水の陣で臨んだ快挙でした。

     

    ・この快挙で、エリザベス二世女王の戴冠式が間近でしたイギリスは、大きな喜びに包まれました。

     

    エドモンド・ヒラリー氏は、一躍、時の人となり、19537月に、イギリス王室から騎士(ナイト)の叙勲を受けました。さらに、19954月には英国最高勲章となる「ガーター勲章」も授与されています。

     

    ・その後、エドモンド・ヒラリー氏は、イギリスの南極横断遠征隊に参加し、1958年にトラクターで南極点にも到達しました。

     

    20037月にはニュージーランドの最高峰マウント・クックの麓の山岳リゾートホテル「ハミテージ・ホテル」前には、エドモンド・ヒラリー氏の銅像が建てられました。また、ニュージーランド・ドル紙幣の肖像ともなっています。

     

    ・エドモンド・ヒラリー氏は、2008111日に、88年の生涯を終えた時には、ニュージーランドのオークランドで、ニュージーランド国葬が行われました。

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    1994528日、「ゴルフの日」記念日

    1994(平成6)年528日は、スポーツ用品メーカーのミズノの直営店のエスポートミズノが制定したスポーツ記念日です。

     

    1927(昭和2)年のこの日、1回日本オープン・ゴルフ選手権が横浜・保士谷カントリ―で開かれ、アマチュアの赤星六郎が優勝しました。

     

    ・この日を記念して、日本のゴルフの出発点となり、ゴルフ人口が更に増えることを願って制定したのが「ゴルフの日」です。

     

    ・第1回日本オープン・ゴルフ選手権の大会に参加したのは、プロ選手が5人、アマチュア選手が12人の合計17人だけでした。

     

    ・プロ選手が、少ないとはいえ、アマチュア選手の赤星六郎氏が優勝したことで、ゴルフ人気は、一段と上昇しました。

     

    ・日本オープン・ゴルフ選手権は、第14回までは、春か秋どちらかで行われていましたが、第二次世界大戦後の第15回以降は、秋にのみ行われるようになりました。

     

    ・アメリカでゴルフの実力を付けた赤星六郎氏は、兄の赤星四郎氏とともに、ゴルフの指導者として、沢山の選手を育てました。

     

    ・その後、赤星六郎氏は、ゴルフ雑誌の編集にも参加し、1930年(昭和5年)に来日したチャールズ・ヒュー・アリソン氏に強い影響を受けてゴルフ場の設計に携わり、神奈川県の相模カンツリー倶楽部と千葉県の我孫子ゴルフ倶楽部の設計を行ないました。

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