1,86925日、「明治政府が、小学校の設置を進めた日」

1,869(明治2)年25日、明治政府が、各府県に小学校の設置をすすめることを盛り込んだ「府県施政順序」を布告しました。

 

・当時、日本政府は、国民の教育を、最も大事な政策としていました。

 

・江戸時代までの児童教育は、各藩がつくった藩校や民間の寺小屋が行っていましたが、日本政府は全国の児童が同じ教育を受ける、新しい教育機関を考えていました。

 

・その後1872年に「学制」が公布され、小学校は人口約600人の小学区に各1校設立すると決められました。

 

・ 江戸時代以来の寺子屋・私塾の類は、明治維新後も存続していましたが、維新後はこのほかに小学校や郷学校等が全国各地に新しく設けられました。これらの学校は学制発布後の小学校の前身であり、また小学校設立の母体となりました。

 

・学制以前の小学校には大別して二つの類型が認められます。その一つは、士族あるいは指導層の学校である中学の予備段階としての「小学」であり、他の一つは、主として農・商など庶民を対象とする「小学校」です。

 

・「小学」と「小学校」は当時においても混用されており、必ずしも明確に区別することはできないですが、指導層の中学の予備段階の性質をもち、やや程度の高いものを「小学」と称し、国民大衆の学校を「小学校」と呼ぶ傾向が見られます。

 

・新政府の教育政策の中にも右の二種のものがあった。「中小学規則」の「小学」は前者であり、府県施政順序の中に示された「小学校」は後者です。

 

・府県や諸藩において学校の設置を企画した際にも、この二つの類型が存在しました。しかし、実際に設けられた小学校は両者の中間または複合的な性質のものが多かった。

・明治維新後の改革において藩校の初等段階を独立させて小学校が設けられたのです。この小学校は形式的には庶民にも開放したものも多かったが、実質的には主として士族の子弟を対象とするものでした。この系統の小学校の成立と、そこに受け継がれている伝統は、「学制」発布後に小学校が設立される際にも重要な要素をなすものでした。



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