・1912年1月28日は、「南極大陸の大和雪原に日章旗」
・1912(明治45)年1月28日に、白瀬南極探検隊が、南極圏内の最も南の到達地点であった、南緯80度5分、西経156度37分の地点に到達しました白瀬矗隊長は、南極のこの地に日章旗を掲げ、大和雪原と命名しました。
・大和雪原は白瀬矗隊長が命名した南極の地域名です。ただし、国際的に広く用いられているものでは無く、2012年に白瀬隊のキャンプ地という扱いで命名された地名でもあります。
・白瀬矗隊長は1912年1月、28名の隊員とカラフト犬と共に、開南丸にてロス棚氷に接近、クジラ湾近くの小さな湾停泊しそこから氷崖に上って本拠地を建設しました。1912年1月20日、突進隊員4名とともに南極点を目指し出発しましたたが、それは果たせず、1912年年1月28日に到達した南緯80度05分 西経156度37分が最も南の地点でした。白瀬矗隊長はその地点に日章旗を掲揚しました。そこから見渡す限りの一帯を「大和雪原」と命名しました。
・なお、現在では大和雪原は、陸上ではなく、ルーズベルト島南方のロス棚氷上にあることが判明しています。
・2012年6月、日本の国立極地研究所南極地名委員会は、白瀬矗隊長の南極探検100周年を記念して、「大和雪原」の地名を正式に付与することを決定しました。
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