1854116日は、ペリーが再び横浜に来航した日

 

1854年の今日、116日、アメリカの東インド艦隊司令長官のペリー率いる、9隻の軍艦が横浜村に再来航しました。

 

・ペリーは、前年に、江戸幕府に開国を求める親書を渡していました。

 

2度目の来航の目的は、アメリカとの貿易を認めさせるものでしたが、幕府はなかなか受け入れません。

 

1か月半に及ぶ会談の末、ようやく「日米和親条約」が締結されました。

 

・これによって、200年に渡る鎖国制度が、幕を閉じました。

 

・黒船来航とは、前年の嘉永6年(1853年)63日に、代将マシュー・ペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻が、日本に来航した事件をいいます。

 

・艦隊は江戸湾入り口の横須賀市浦賀沖に停泊し、幕府はペリー一行の久里浜への上陸を認め、そこでフィルモア・アメリカ合衆国大統領国書が幕府に渡され、翌年の日米和親条約締結に至りました。

 

・日本では主に、この事件から明治維新までを「幕末」と呼んでいます。

 

・「泰平の眠りをさます上喜撰(じょうきせん)、たった四杯で夜も寝られず」

 

という狂歌は、黒船の来航で人びとが夜も眠れぬほどの騒ぎだったことが詠まれています。

 

・ペリーは翌年の嘉永71854)年116日、今度は、7隻の艦隊を率いて再び来航し、和親条約の締結を江戸幕府に迫ります。

 

・結局、幕府は同年33日に横浜村で12条の日米和親条約(神奈川条約)を締結しました。




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