・1月13日、「三河地震発生の日」

 

1945(昭和20)113日の未明は、愛知県南部の渥美湾を震源とするマグニチュード6.8の地震が発生しました。まだ寝ている時間帯であったことから、倒壊した家屋の下敷きになった人が多くいました。

 

・この地震は、東南海地震から、僅か37日後に起きました。2つの地震により、軍需工場が集まる東海地方が大打撃を受けたことについて、国外に漏れないように、日本政府は地震の報道を規制しました。

 

・三河地震は、1945113日午前33823秒に、愛知県の三河湾で発生したマグニチュード6.8の直下型地震です。 また、1945年の終戦前後にかけて4年連続で1,000人を超える死者を出した4大地震(鳥取地震、東南海地震、南海地震)の一つです。

 

・三河地震は、1ヶ月前の1944127日に発生した昭和東南海地震の最大規模の余震とする説がありますが、同地震に影響を受けて発生した誘発地震とする説もあります。地震発生当初は昭和東南海地震(第一次地震)に対して第二次地震とも呼ばれました

 

・震源が浅く、マグニチュード 6.8と規模が比較的大きかったにも関わらず、被害報告はごく僅かしか残されていないために、現在に至ってもこの地震について詳しいことは判っていません。しかし震源域の三河地域では、昭和東南海地震よりも多くの死者が記録されており、死者1,180人、行方不明者1,126人、負傷者3,866人。家屋の全壊は7,221戸、半壊16,555戸、その他24,311戸とされています。

 

・地震が発生した当時は太平洋戦争中であり、当時の政府当局によって国民の戦意を低下させないことや軍需工場の被害を伏せるため報道管制が敷かれ、地震発生の報道はなされたものの被害規模やその後の状況などは多くが伏せられました。地震被害の報道がなされなかったことで、近隣地域からの救護団も無く更に、地震直後の行政による組織的な救援活動が実施されたとの記録は残っていません。

 

・しかし、地震発生から2カ月後から県の手配による「工作隊」が組織され復旧活動が進められた。




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