・1911年112日、「スキー記念日」

 

1911(明治44)年112日は、オーストリアのテオドール・エードラー・フォン・レルヒ少佐が、新潟県高田の陸軍歩兵58連隊の青年将校たちに初めて一本杖の「リリエンフェルト・スキー術」の指導を行ったことにより、この日をスポーツ用品のミズノの直営店であるエスポートミズノが、1994年に、「スキーの日」を、スキー文化の発展を願う日として記念日に制定しました。

 

1911年には、早くも高田スキークラブが、組織され、翌年1月には、新潟県旭山で、日本最初のスキー競技会が行われています。

 

・尚、二本杖のノルウェースキーが、北海道に、1916(大正5)年に紹介されたため、一本杖技法は、まもなく姿を消しました。

 

・レルヒ少佐は、日露戦争でロシア帝国に勝利した日本陸軍の研究のため、19101130日に交換将校として来日しました。八甲田山の雪中行軍で事故をおこしたばかりだったこともあり、日本陸軍はアルペンスキーの創始者マティアス・ツダルスキー氏の弟子であるレルヒ氏のスキー技術に注目し、その技術向上を目的として新潟県高田(現在の上越市)にある第13師団歩兵第58連隊の営庭や、高田の金谷山などで指導を行いました。

 

1911年(明治44年)112日に歩兵第58連隊の営庭を利用し鶴見宜信大尉ら14名のスキー専修員に技術を伝授したことが、日本での本格的なスキー普及の第一歩とされています。

 

19122月、北海道の旭川第7師団へのスキー指導のため旭川市を訪問。4152130分、北海道でのスキー訓練の総仕上げとして羊蹄山に登るため倶知安町に到着し、16日午前5時の出発を予定していましたが、雨のため1日延期し17日に羊蹄山登山を行い、また羊蹄山の滑走も行いました。レルヒ氏の羊蹄登山には小樽新聞・奥谷記者も同行しています。

 

・なお、レルヒ氏は1本杖、2本杖の両方の技術を会得しており、日本で伝えたのは杖を1本だけ使うスキー術でした。これは、重い雪質の急な斜面である高田の地形から判断した結果です。なお、ほぼ同時期に普及した札幌では、2本杖のノルウェー式が主流となっていました。1923年に開催された第一回全日本スキー選手権大会では、2本杖のノルウェー式が圧倒し、レルヒ氏が伝えた1本杖の技術は急速に衰退しました。




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