今日は何の日

「今日は何の日」は、今日、過去に起こった注目すべき出来事等をご案内致します。

    「今日は何の日」は、今日、過去に起こった注目すべき出来事等をご案内致します。

    2019年11月

    18921130日、「日本初の伝染病研究所が設立された日」

    1892(明治25)1130日は、北里柴三郎博士は、日本初の伝染病研究所である「大日本私立衛生会附属伝染病研究所」を設立し、初代所長となりました。

    ・北里柴三郎細菌学者は、破傷風菌を研究し、破傷風の予防法と治療法を開発して、人類に貢献しました。

    1916年に、当時の東京帝国大学付置伝染病研究所となり、現在は、東京大学医科学研究所として、発展を続けています。

    ・北里柴三郎博士は、後進の指導にも熱心に取り組んだ北里博士は、伝染病研究所から北里研究所時代で過ごした40年あまりの研究生活の中で、ハブ毒の血清療法を確立した北島多一氏、赤痢菌発見者の志賀潔氏、梅毒の特効薬を創製した秦佐八郎氏、寄生虫が媒介する病気の研究で業績をあげた宮島幹之助氏、黄熱病の研究で有名な野口英世氏など、多くの優秀な弟子を輩出しています。

    ・また、福澤諭吉氏の没後15年目にあたる1917年、慶應義塾大学医学科の創設にも関わり、初代科長、病院長に就任し、福澤諭吉氏の恩に報いました。

    ・明治・大正時代という日本の近代医学の黎明期に予防医学の礎を築いた北里柴三郎博士は、1931613日、78歳の生涯を閉じました。しかし、北里博士が抱き続けた「病気を未然に防ぐことが医者の使命」という予防医学への思い、その実現のためには情熱を持って研究に取り組まなければならないという信念は、今なお深く息づいています。


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    18901129日、「第1回帝国議会開催記念日」

    1890(明治23)1129日は、前年の大日本帝国憲法発布を受けて、初の帝国議会が開かれた日です。

    ・帝国議会は、1890年の明治憲法の施行から1947年の日本国憲法の施行まで設置されていた日本の議会です。公選の衆議院と非公選の貴族院から成りました。「議会」もしくは「国会」と略称された。

    18901129日開会の第1回議会から、1947331日閉会の第92回議会まで行われた。今日の国会との連続性を持ちます。

    ・天皇の立法行為に参与し、立法・財政などの事項に協賛した機関が、帝国議会で、貴族院と衆議院で構成されていました。189011月に開かれた第一回帝国議会は藩閥政治と民党という色合いが強い会議で、第一次山形有朋内閣と民党とが経費の節減や地租軽減などを巡って激しく対立しました。

    ・帝国議会の特徴は、予算案に関しては否決ができず、修正のみが可能でした。しかも予算の編成権は政府のみが有していて議会にはなかったため、修正も予算金額の削減だけでした。

    ・帝国議会は天皇の立法権行使に対する協賛機関という位置付けであった点に、戦後の議会と一番の違いがありました。

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    18721128日、「税関記念日」

    1872(明治5)1128日は、江戸幕府が1859(安政6)に、開国するに当たって、諸外国人及び貿易に関する事務を取り扱う「運上所」を、長崎、横浜、函館に設置され、この運上所は、「税関」と改称され、昭和27年に、この日を記念して、大蔵省(現在の財務省)によって「税関の日」が設けられました。東京税関は、1953(昭和28)年に横浜税関の支署から独立しました。

    ・鎖国政策を続けた江戸時代には、長崎の出島が、日本と外国を結ぶ唯一の港でしたが、幕末1854(安政元)年に結ばれた日米和親条約を皮切りに、我が国は諸外国に対し、次々に港を開きました。1859(安政6)年、長崎、横浜、函館の港に「運上所」が設けられ、今日の税関業務と同様の輸出入貨物の監督や税金の徴収といった運上業務や、外交事務を取り扱うことになりました。これが、今の税関の前の姿です。

    ・現在の税関の仕事は、日本から海外に品物を輸入・輸出するときに、その内容をチェックして許可を出すのが税関の主な仕事です。

    ・実際に品物の検査を行ったり書類を点検したりして、関税や消費税等がきちんと払われているかを確認したあと、輸入や輸出の許可を出すことになります。

    ・また、輸出や輸入が合法的に行われているかを確認するための海上パトロールなども行っています。ときには、こうしたパトロールのなかで麻薬などの密輸入をしている船を発見・摘発することもあります。

    ・税関職員は、輸出入を扱う企業の通関業者が申告する税率が正しいかどうかをチェックする役割をもっています。

    ・税関職員は、輸出入される品物の税率を判断するという重要な役割をになっているのです。

    ・一般人にもなじみの深い税関の仕事として、海外旅行から帰国した際に空港や港で行われる荷物検査があります。


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    19001127日、「ノーベル賞制定記念日」

    1900(明治33)1127日は、スウェーデン人のアルフレッド・ノーベル化学者の遺産を基金にしたノーベル賞が制定された記念日です。

    ・彼の残す遺産を基に、人類の平和と進歩に最も具体的に貢献した人々に賞金として与えて欲しいという遺書を残しました。賞の選定に当たっては、候補者の国籍には全く関係ないようにとも書いてありました。

    ・この遺言に基づいて「ノーベル賞」が誕生しました。その年の1210日午後430分に彼は他界しました。その翌年の19011210日午後430分に、彼の命日を記念して、第1回ノーベル賞受賞式が、ストックホルムのコンサートホールで開催されました。以来、ノーベル賞受賞式は、毎年1210日午後430分に開催されています。

    ・彼は、ダイナマイト製造で、大きな利益を得ましたが、戦争にも使われたために、人道主義者でもある彼は人類の平和と進歩への思いを、このノーベル賞の制定に託しました。

    ・ノーベル賞は、物理学、化学、生理学・医学、文学、平和および経済学の「5分野+1分野」で顕著な功績を残した人物に贈られていますが、 経済学賞だけはノーベルの遺言にはなく、スウェーデン国立銀行の設立300周年祝賀の一環としてノーベルの死後70年後にあたる1968年に設立されています。

    ・それにしても、ノーベル賞選定における案件調査の広さ、深さとその見識の高さには、常々感心させられます。世界各地で、活躍し、業績を上げている多くの案件の中から選定する過程とその意味、結果に感銘させられます。


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    19351126日、「ペンの日」

    1935(昭和10)1126日に、日本ペンクラブが創立されたのを記念して、1965(昭和40)年に、同クラブが「ペンの日」と記念日に制定しました。

    ・ペンクラブは、文学を通じて諸国民の相互理解を深め、表現の自由を擁護するために、創設された国際的な文学者の団体です。日本ペンクラブの初代会長は、島崎藤村小説家でした。

    ・ペンのPは、詩人(poets)と劇作家(playWight)を、Eは、随筆・評論家(essayists)と編集者(editors),Nは小説家(novelists)の頭文字に由来しています。

    ・日本ペンクラブは、国際P.E.N.の日本支部です。国際P.E.N.は、1921年にロンドンで結成されました。

    国際P.E.N.は、作家間の国際交流や親善を推進し、国籍、民族、宗教、政治体制を問わず、全ての作家の表現の自由を擁護しています。

    ・日本ペンクラブはその日本センターとして、「国際P.E.N.憲章」に基づき、「文学の普遍的価値の共有」「平和への希求と憎しみの除去」「思想・信条の自由、言論・表現の自由の擁護」を基本理念として活動してきました。

    国際P.E.N.も日本ペンクラブも設立の背景には、戦争に対する危機感がありました。戦争に至る社会と世界は、いつ、どこにおいても味方と敵を作りだし、生命と人権を軽んじ、言論・表現の自由を抑圧する。そのことを身に沁みて知った文学者たちが、国境と言語、民族と宗教の壁を越えて集まったのが始まりです。

    ・思想の自由や、言論の自由。そうしたものは、平和で経済的に余裕がある時期にしか維持されないものです。そうしたものを絶やさないように、社会を維持していく必要があると思われます。

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    19871125日、「ハイビジョンの日」
    1987(昭和62)1125日は、日本放送協会(NHK)や郵政省などが、ハイビジョン(高品位テレビ)の普及を図る目的で、この日を記念日に制定しました。

    ・ハイビジョンの画面の走査線の数が1125本で、当時の標準テレビは、525本であることから、1125日を記念日としました。

    ・走査線とは、走査線と言う電気信号の線の組み合わせで作られています。この線が多いほど、キメ細かく美しい映像を表示することができます。

    ・走査線の数が画像の綺麗さを決めます。「4Kのハイビジョン2160本、8Kのハイビジョン4320本」と言った様に、走査線の数が多いほど、綺麗に表示されます。

    ・ハイビジョンとは、ハイビジョンは普通のテレビと比較すると、より細かい部分まで鮮明に写すことができる「高品位テレビ」と言われています。より多くの情報を綺麗に伝えることができるので、発売された当時は、「次世代のテレビ」ともいわれていました。

    ・最近では、テレビの画像が綺麗になるほど、「4K」とか「8K」などと言いますが、このこの「K」とは、解像度の意味です。

    ・解像度とは、「キメの細かさ」で、同じ画像を表示するのに、より細かい線で表示するので、よりキレイに見えると言うことです。

    ・同じ絵を表示する時に、数字が大きいほど、より細かく描き出すことができるので、2Kより4K、さらに、4Kより8Kの方が、数値が多い分、綺麗に表示されます。

    ・アナログハイビジョンは、走査線の数が1125本でした。しかし、ハイビジョンの日の元になったアナログハイビジョンは、普及することなく2007930日に終了してしまいました。

    ・現在のハイビジョンはデジタルです。デジタルハイビジョンは、走査線という考え方ではなく、パソコンの画面と同じで、ドットという点で映像を表示します。

    ・ハイビジョン画面の縦横比は人間の視野に合わせて標準の43よりも横長な169を採用しています。最近では、2020年の東京オリンピックを目前として、ハイビジョンテレビの商戦は、さらに熾烈となっています。


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    19211124日、東京天文台設置日」

    1921(大正10)1124日は、1921(大正10年)のこの日、東京都港区麻布台に東京天文台が設置されました。

    ・その源流は、1878(明治11)年9月に設置された、東京大学理学部星学科観象台を母体に、旧内務省、海軍省の天文関係業務を統合して設置されたものでした。その後、東京大学附属東京天文台が、東京都港区麻布台に設置されました。

    ・さらに、1924年には、前年の関東大震災を契機に、本格的に三鷹市に移転し、1988(昭和63)年に東京大学附属東京天文台から文部省(現在の文部科学省)附属天文台に移管され、国立天文台が発足しました。

    1988(昭和63年)、東京天文台は岩手県奥州市にあった緯度観測所、名古屋大学空電研究所の一部と一緒になり、国立天文台となりました。さらに国立天文台は文部省、文部科学省の管轄を経て2004(平成16年)41日より法人化し、大学共同利用機関法人自然科学研究機構国立天文台となりました。

    ・今では、日本各地、ハワイやチリ併せて11か所に観測所が設置され、日々、「天を知り地を知る」研究が行われています。暦を作ることで生活を安定させることから始まった天と地への探求は、今ではもっと広く未来へ向けての研究へと進んでいますが、私たちの生活に寄り添っていることは今も昔も変わりません。古代から多くの人がこの空について思いを巡らせたことを一緒に思い出してみてください。


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    19481123日、勤労感謝の日」

    1948(昭和23)1123日は、「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日」として、1948年の今日に制定された国民の祝い日、戦前は、この日を新嘗祭と呼び祝日でした。宮中では、宮中行事として天皇が新しい御米などを神前に供えられます。

    ・新嘗祭は、飛鳥時代に始まりました。天皇が神々にその年の米、麦、栗、きび、豆、の5穀をささげ、天皇みずからも食されます。神々の恵みに感謝し、来年の豊作を祈願する大切な宮中儀式です。天皇が即位して初めて行うものを大嘗祭といい、特に盛大に行われます。

    ・勤労感謝の日のもととなった「新嘗祭」は、旧暦は11月の2回目の卯の日に行われていました。新暦が施行された年の新暦の2回目の卯の日が1123日だったことから、以降1123日に固定され、勤労感謝の日もこれを引き継いでいます。

    ・旧来、1123日は、その年の収穫物に対して感謝をし翌年も豊作であることを神様に願う皇室の行事である「新嘗祭」という祭日でした。その後、1948年の「国民の祝日に関する法律」の制定時に、新嘗祭だった1123日は「勤労感謝の日」に制定されました。

    ・今でも1123日には、各地の神社で収穫を祝い翌年の豊作を願う「新嘗祭」が行われています。有名どころでは伊勢神宮や明治神宮などです。それ以外の各地方の神社でも新嘗祭が行われています。

    ・また、勤労感謝の日には、子ども達に職業体験をしてもらうイベントも各地で開催されています。


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    19851122日、いい夫婦の日」

    1985(昭和60)1122日に、日本政府は、経済政策対策会議で、11月を「ゆとりの創造月間」として提唱しました。その11月中であることと、「いい・ふうふ」の語呂合わせから、財団法人余暇開発センター(現在の公益財団法人日本生産性本部)が、1988(昭和63)年に、この日を「いい夫婦の日」として、記念日に制定しました、

    ・当時の財団法人余暇開発センターは、内需拡大策のひとつとして、欧米のように、夫婦が余暇を楽しむ生活習慣を考えようというものでした。

    ・このように、「いい夫婦の日」は、国が余暇の推進を目的として始めたものです。「いい夫婦の日」のキャッチコピーが「いい夫婦の日」は、「ふたりの時間」を大切にする日としているのはこの表れです。

    ・そして今では、「いい夫婦の日」は、官民一体となったキャンペーンが繰り広げられています。その中でも、毎年の「いい夫婦パートナー・オブ・ザ・イヤー」の注目度は高いようです。

    ・婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。 このように改めて考えてみると、夫婦円満のカギは、相手への思いやりの心かもしれませんね。「いい夫婦の日」をきっかけに、ちょっとだけ立ち止まって、パートナーのことを思いやってみてはいかがでしょうか。

    ・また、語呂合わせでは、その縁起のよさから入籍日として、不動の人気を誇っています。


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    19961121日、「世界テレビ・デー」

    1996(平成8)年1121日は、国連が第1回世界テレビフォーラムを開催したことを記念して制定した国際デーで、「世界テレビ・デー」です。同年1217日の国連総会で記念日に制定されました。国連は、テレビ番組の世界的な交流を促すことによって、この日を記念するように、と呼びかけています。

    ・平和、安全、経済、社会開発、文化交流の拡充等の問題に焦点を当てたテレビ番組の世界的な交流を促すことをテーマにした国際デーです。

    ・国連では、2002年に当時の国連事務総長のコフィー・アナン氏が、「世界テレビジョン・デー」によせるメッセージを情報の提供しています。

    ・この情報の提供の内容は、世界各地の人々は、ますます情報化社会の中で暮らすようになっています。テレビはもっとも世界で強力な通信メディアであり、重要な役割を担っています。

    •テレビは地域社会にとって適切な番組の制作、配給して貢献できる。

    •権力のある人だけでなく、社会のあらゆる人々の発信の場を提供できる。

    •テレビは、偏狭な信念や非人間的なイメージを流さないよう注意が必要といったことが発表されています。

    ・そして、国連では、200312月にジュネーブで「情報化社会に関する世界サミット」や「世界電子メディア・フォーラム」を開催し、テレビ局幹部や、先進国と途上国のメディア幹部、実務者との情報化社会における電子メディアの役割など、協議を行っています。

    2018年の「世界テレビ・デー」を前にしたアメリカ・ニューヨークの国連本部で開かれたイベントでは、日本のテレビ番組としては初めて持続可能な開発目標について扱ったフジテレビジョンの「フューチャーランナーズ~17の未来~」が上映されたほか、同局の木幡美子元アナウンサーがパネルディスカッションに出席しました。

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    19541120日、「世界こどもの日」

    1954(昭和29)年1120日は、 国連が制定した国際デーで、「世界こどもの日」です。1959(昭和34)年の今日1120日は、「児童権利宣言」を、1989(平成元)年の今日1120日には、国連第44回総会で「子どもの権利条約」を満場一致で採択し、世界中の子供たちの人権を守るための国際的な行為が、重ねられてきました。

    ・子どもの権利条約の第1条では、子どもは、「満18歳未満のすべての者」と定義しています。

    ・また、同第3条には、「子どもの最善の利益」という言葉があります。世界中で、「子どもの最善の利益」を尊重するために、「差別の禁止」、「生命、生存・発達への権利」、「思想・良心・宗教の自由」、「意見表明権」などが示され、世界の子供たちの権利の国際的な基準となりました。

    ・そして、19891120日、すべての子どもに人権を保障する初めての国際条約、『子どもの権利条約』が、国連総会で採択されました。この条約が生まれたことにより、世界中で子どもの保護への取り組みが進み、これまでに多くの成果が生まれた。

    ・ユニセフは毎年、世界子どもの日のテーマを定め、子どもの権利や子どもに関する問題について国際社会に訴えています。

    2017年は特に、子どもの権利条約の第12条に定められた「意見を表す権利」に焦点を当てました。子どもは、自分に関係のあることについて自由に自分の意見を表す権利をもっています。その意見は、子どもの発達に応じて、じゅうぶん考慮されなければなりません。

    ・「世界子どもの日」は、子どもたちによる、子どもたちのための日です。世界のすべての子どもたちが学校に通い、安全に生活し、自らの可能性を発揮できる世界をつくりたいと、そんな想いを込め、2018年は子どもたちが青色を身に着けて、世界中を青色で染めました。

    ・国連総会は1954年に全ての加盟国に対して「世界の子供の日」を制定することを勧告しまあした。具体的な日付は各国政府の判断にゆだねられましたが、国際連合で「児童の権利に関する宣言」(1959年)と「児童の権利に関する条約」(1989年)が採択された1120日とするのが一般的です。一方、日本では「こどもの日」の55日をそれに当て、閣議了解に基づいて1956年(昭和31年)に実施されました。


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    19471119日、「農協記念日」

    1947(昭和22)年1119日に、国から農業協同組合法が公布されて、翌年に、農業協同組合が誕生しました。農協は、農民を正組合員として、組合員の事業または、生活に必要な信用、販売、購買、共同利用、共済、技術指導などの事業を行う協同組合で、農民の生活を向上させることを、事業目的としています。そして、この日を記念日として全国農業協同組会中央会が「農協記念日」を制定しました。

    1119日は、毎年、全国農業協同組会中央会の主催で、農業協同組合法の根本理念を農民だけでなく、広く一般の人々にも呼びかけようと、日本全国で、各種行事が行われています。

    ・現在は農協は、「JA」の名前で呼ばれていますが、そのJAのことについては、全国農業協同組合中央会が組織する農協グループを指します。農業協同組合は、日本の農業者によって組織された協同組合で、「農業協同組合法」という法律に基づいて組織されている法人です。

    ・この農業協同組合の歴史については、前身は、今から約200年前の江戸時代の天保期に農政学者・農村指導者である大原幽学氏が、千葉県旭市長部を拠点に「先祖株組合」を創設したのが農業協同組合の始まりとされています。

    ・近代においては、明治時代では1900(明治33)年)に「産業組合」が、1910(明治43)に「帝国農会」が組織され、昭和時代の太平洋戦争中では、生産物を一元的に集約する目的で「農業会」という統制団体に改組されました。

    ・そして戦後の1948(昭和23)年に「農業会」を改組する形で農協が発足することになりました。当時の食料行政は深刻な食糧難の中で、食料を統制・管理する必要があり、元々あった農業会をそのまま引き継ぎました。

    ・今後も農協を通じて、日本の農業が、より活性化することを祈りたいです。


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    18791118日、「土木の日」

    1879(明治12)年1117日に、日本工業会の前身、工業会が設立されたことと、土は、十一に、木は、十八に分解できることから、土木技術の大切さを知ってもらうことを目的に、1987(昭和62)年に、この日を、「土木の日」と記念日に制定しました。

    ・人類は長い歴史の中で英知と技術を結集して、水を治め、道を拓いて産業活動と国民生活に必要な社会の基盤を整えてきた。

    ・我が国は、戦後の灰燼の中から驚異的な復興をなしとげた。現在では、世界屈指の経済的豊かさを持つに至っている。そして、道路、上下水道、住宅、公園、街づくりなど、社会資本の整備、蓄積をしている。

    ・今後50年後、100年後に向けて、国民生活における都市や住宅などの生活環境の快適さの向上、安全の確保、文化・福祉の促進と豊かで、質の高い国土および生活空間づくりの更なる推進が、望まれます。

    ・この使命を果たしていくためには、土木との触れ合いを通じて、土木技術および土木事業に対する認識を深めて、社会資本整備の意義と重要性について幅広い認識を形成していくことが大切です。

    ・これを具体的に進める第一歩として、日本工業会は関係諸官庁および諸団体と一緒に、1118日を「土木の日」と定め、続く創立記念日である1124日までの一週間を「くらしと土木の週間」として、この趣旨にふさわしい各種イベントを含めた特色ある活動を毎年展開しています。


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    19751117日、「将棋の日」

    1975(昭和50)年1117日に、日本将棋連盟が、将棋好きの第8代の徳川吉宗将軍の時に、1117日に御城将棋という年中行事を行っていた史実から、「将棋の日」を記念日として制定しました。

    ・江戸時代の将棋家元には、幕府から俸禄が支給され、名人位は、将軍御三家の世襲でした。現在の実力制名人制度が開始されたのは、1937年のことです。

    ・御城将棋に使われた盤は、表面以外は、全て黒い漆塗りで、見事な蒔絵で飾られていました。駒は、後水尾天皇親筆の駒を模した書き駒でした。

    19751117日には、第1回「将棋の日」のイベントが、東京都台東区の「蔵前国技館」で開催されました。芹沢博文九段が企画したこのイベントに約8,000人のファンが集まり、NHKが当日の模様を放送しました。このイベントの成功により、「将棋の日」が定着しました。40年以上がたった現在も、イベントが全国各地、持ち回りで開催されています。

    2017626日。この日は日本将棋界にとって、後世まで語り継がれる伝説の日となりました。当時の若干15歳の天才棋士、藤井聡太四段が公式戦29連勝の新記録を樹立した日です。連勝記録の更新は実に30年ぶりです。今回の新記録がいかに偉大な記録かが分かります。


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    18761116日、「幼稚園記念日」

    1876(明治9)年11月16日、東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)の構内に日本最初の官立幼稚園である東京女子師範学校附属幼稚園(現在のお茶の水女子大学附属幼稚園)が東京・神田に開園したことに由来します。当時入園したのは、上流階級の幼児50人ほどでした。

    ・東京女子師範学校附属幼稚園は、フレーベル教育の幼稚園でした。フレーベル教育は、幼稚園の創始者フリードリヒ・フレーベル氏(ドイツの教育学者)の初等教育のやり方をより小さい子供たちの教育に当てはめて、小学校就学前の子供たちのための教育でした。

    ・子供の教育は、徐々に低年齢に向かい、そして多くの子供に提供されるものになっていきました。そうした歴史の流れの一つが、フレーベル氏による幼稚園の誕生でした。

    ・「幼稚園」この言葉は、フレーベル氏の造語で、「子供達の庭」や「子供の国」といった意味になります。この言葉は、彼の母国ドイツだけでなく、英語など他の国の言葉でも用いられています。

    ・ちなみに、ボール遊び、積み木、お遊戯、砂場、鳥や小動物の飼育と触れ合い、母親の家事の手伝い、 言葉遊び、学級花壇での花や野菜の栽培など、現在の幼稚園で行われている事は、そのほとんどが フレーベル氏の構想の中にありました。まさしく幼稚園の生みの親でした。


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    19661115日、「きものの日」

    1966(昭和41)年に、全日本きもの振興会が、設立の時に、1115日は、子供の成長を願う「七五三祝いの日」で、家族揃って、着物で出かけることの多い日ですので、1115日を「きものの日」に制定しました。

    ・全日本きもの振興会は、きものに関する知識の普及を通じて民族衣裳に対する国民の再認識ときもの文化の向上を図ることを目的として、「きもの」に関係する業界の総意により昭和41年に発足し、昭和442月、当時の通商産業省により公益法人に認可され、平成254月、一般社団法人に移行しました。

    ・「きもの」は、日本の四季に順応するように、先人が永年にわたり智恵と経験を積み重ね改良してきた衣服です。また、日本人らしい美しさや優雅さを最大限に表現する衣裳として世界に知られ、美術的な価値も非常に高く、先人のたゆまぬ努力によって磨きあげられた文化遺産です。 

    ・全日本きもの振興会は発足以来、1115日を「きものの日」と定め、この日を中心に七五三詣りや全日本きものの女王コンテストの開催、テレビ、新聞、ポスター等による呼びかけを全国的に展開しています。

    ・「きものの日」を制定することになったいきさつは、昭和39年の東京オリンピックに、東京を訪れた世界各国の人々から「日本の民族衣裳は着物だと思っていたが、着物の姿をほとんど見かけないのは何故か」との声を受けて、全日本きもの振興会の象徴となる日を制定すべく、1115日を「きものの日」と制定しました。

    特に「きものの日」を中心に、その前後は「七五三詣り」など、きものに因んだ企画や行事が、毎年全国各地で盛大に展開されてきています。

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    19731114日、「関門橋開通記念日」

    1973(昭和48)年1114日に、中国自動車道と九州自動車道を結ぶ関門海峡に架設された長大吊橋、関門橋が、この日に開通した日です。橋の全長は、1068メートル、中央径間長712メートル桁下高63メートルの本州と九州を結ぶ新しい大動脈として、誕生しましたこの日を記念して「関門橋開通記念日」として制定されました。

    ・関門海峡の最狭部である下関市壇之浦と北九州市門司区門司を結ぶ海上橋で、当時は、若戸大橋を凌ぐ、日本および東洋最長の橋となりました。

    ・形式は標準的な3径間の吊り橋で、補剛桁はトラス。橋梁等の防食法には溶射が採用されています。

    ・架橋から40年が経過し、交通量の増大に伴い様々な部分に劣化が進んでいることから、2011年度からの5年計画による大規模補修が行われました。

    ・橋梁の前後区間を含む下関IC から 門司IC間の高速道路としての法定路線名は、関門自動車道となっており、正式には下関IC以東の中国自動車道でも、門司IC以南の九州自動車道でもありません。 全区間が西日本高速道路九州支社の管理区間となっています。

    ・この長大吊橋建設は、その後の三つの本州四国連絡橋を架設するための貴重な礎ともなりました。


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    19851113日、「うるしの日」

    1985(昭和60)年1113日に、日本漆工芸協会が「うるしの日」を記念日に制定しました。

    1113日の日付は、平安時代に文徳天皇の第一皇子・惟喬親王が京都・嵐山の法輪寺に参籠され、その満願の日のこの日に「漆」の製法を菩薩より伝授されたという伝説からこの日が制定されました。

    ・この日は、以前から漆関係者の祭日で、親方が職人に酒や菓子などを配り労をねぎらう日でした。日本の伝統工芸である「漆」の美しさを知ってもらうことが目的で記念日に制定されました。

    ・漆とは、ウルシ科の漆の木から採取した樹液を加工した、天然樹脂塗料です。塗料として漆工などに利用されています。

    ・「漆」の語源は「麗し」とも「潤し」ともいわれています。最も一般的な用途は塗料として用いることです。漆を塗られた道具を漆器といいます。黒く輝く漆塗りは伝統工芸としてその美しさと強靱さを評価され、食器や高級家具、楽器などに用いられています。

    ・漆を用いた日本の工芸品では京漆器がよく知られており、漆塗りの食器では、石川県の輪島塗などが有名です。竹細工の籠を漆で塗り固めるものや、厚く塗り重ねた漆に彫刻を施す工芸品もあります。

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    18721112日、「洋服記念日」

    1872(明治5)年1112日、「礼服ニハ、洋服ヲ採用ス」という太政官布告が発布れ、儀式での服装は、洋服が、定服となりました。この日を記念して、1929(昭和4)年に、東京洋服商工協同組合が、1972(昭和47)年に全日本洋服協同組合連合会が、この日を「洋服記念日」と定めました。

    ・かねてから研究中であった政府は、太政官布告をもって、「礼服には洋服を採用する」と布告し、つまり直垂・狩衣・裃等は全て廃止され、洋服が儀礼時の定服になりました。

    ・そして現在1112日は「洋服記念日」です。この「洋服記念日」制定の由来は、昭和初期、当時の東京洋服商工協同組合の組長は市瀬三五氏でした、市瀬氏の時代には、組合史に残るいくつかの事業が見られます。

    ・組合本部旗の制定、組合会館の設立、そして「洋服記念日」の制定等です。

    ・同組合では、昭和41112日以来、和服から洋服への採用を決断された明治天皇の御遺徳を崇敬し、毎年1112日に明治神宮へ参拝し、明治神宮参集殿において記念式典を挙行しています。

    ・全日本洋服協同組合連合会も、1972(昭和47)年に、「洋服記念日」を制定しました。

    ・ちなみに、神戸の紳士服は、ファッションの最先端として、洋行帰りのトップクラスの人に受け継がれました。昭和48年には、神戸市中央区東遊園地には、「日本近代洋服発祥の地」顕彰稗が建立されています。


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    19951111日、「スーパーカミオカンデ完成の日」

    1995(平成7年)のこの日、岐阜県・旧神岡鉱山の地下に、カミオカンデに次いで建設され完成しました。

    ・純水5万トンを注入した直径40メートル、深さ42メートルの円筒の内側に、光電子増倍管を並べて、ニュートリノ関連の微小な変化を検出しています。

    ・神岡鉱山の歴史は古く、一時は東洋一の採掘量を誇っていました。神岡鉱山の地質は堅い片麻岩でできていて、巨大な空洞の掘削に耐えうる強度を持っていたことが、この地にスーパーカミオカンデを設置した理由の一つです。

    ・空洞の掘削は、199112月に始まりました。1993年には水槽上部のドームの掘削が終了し、続いて深さ40mの円柱状に掘り下げる工事が翌年19938月に完了しました。その後、ステンレス板を溶接でつなげることにより、タンクの建設が1995年の中頃に完成しました。

    19956月からは、多くの研究者が参加して光電子増倍管の取り付け作業と電子回路へのつなぎこみが行われました。日中の取り付け作業の後に、信号のチェックが毎日深夜まで行われていました。こうした作業が研究者たちの手で行われ、 1995年のこの日の完成となりました。

    ・さらに、20089月には、長期的に安定して観測を行うため、新たなエレクトロニクスを開発し、データ収集システムを一新しました。

    2011年にはミューニュートリノが電子ニュートリノに変化するニュートリノ振動の信号を捕えました。これからもスーパーカミオカンデは、ニュートリノ振動パラメータの探索、ニュートリノを用いた宇宙物理、さらに陽子崩壊探索を続けて行きます。


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    18901110日、「エレベーターの日」

    1890(明治23年)のこの日、東京浅草の12階建ての凌雲閣で、日本初の電動エレベーターが公開されました。この日を記念して、日本エレベーター協会が、1979(昭和54)年に、「エレベーターの日」を記念日として制定しました。

    ・東京の浅草の凌雲閣は、浅草公園に建てられた12階建ての展望塔です。当時の日本で最も高い建築物でしたが、1923(大正12)年の関東大震災で半壊し解体されました。名称は「雲を凌ぐほど高い」ことを意味します。日本初の電動式エレベーターを備え、「浅草十二階」、あるいは単に「十二階」という名でも知られています。

    ・東京における高層建築物の先駆けとして建築され、日本初の電動式エレベーターが設置されましたが、その設計にあたったのは当時東京電燈株式会社の技師の藤岡市助氏と報道されました。

    ・凌雲閣の展望室からは東京界隈はもとより、関八州の山々まで見渡すことが出来ました。1890年の開業時には「日本のエッフェル塔だ」と多数の見物客で賑わいました。

    ・しかし、関東大震災により、建物の8階部分より上が崩壊しました。再建は断念され、同年923日に爆破解体され姿を消しました。


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    1872119日、「太陽暦採用記念日」

    1872(明治5年)のこの日、明治政府が、それまでの太陽太陰暦をやめて太陽暦を採用するという詔書を布告しました。

     

    ・これにより明治5123日を明治611日としました。

     

    ・太陽暦とは、地球が太陽の周りを回る周期を基にして作られた暦です。1年の日数を1太陽年に近似させています。ユリウス暦や、現在、世界の多くの地域で使用されているグレゴリオ暦は、太陽暦の1種です。

     

    ・この明治5年の改暦以降使用されている太陽暦を「新暦」と言っているに対して、それまでに使用されていた、「天保暦」という太陰太陽暦法暦が使われていました。これを一般に旧暦と言っていますが、天保暦がそのまま旧暦ではなく、旧暦とは、天保暦の計算方法だけを用い、実際の計算に使う数値は、現在使われている値を使って計算したもので、つまり、過去に用いられた天保暦をまねて作ったカレンダーということになります。

     

    ・太陽暦と太陰太陽暦とでは、全く考え方が違うため、日付も変わってしまいました。 そのため、月の満ち欠けと密接に結びついていた農業や漁業などのサイクルや、七夕や十五夜などといった生活習慣がうまく対応できなくなり、不都合が生じました。 そこで、天保暦をまねた太陰太陽暦を作って「旧暦」としました。

     

    ・この旧暦は、日本では古くは飛鳥時代に採用され、明治5年まで使われてきましたた。

      

    ・旧暦では、毎年の日付と季節にズレが起こるため、季節を表す目安として考案されたのが二十四節気であり、冬至を基点として1太陽年を24等分している。またその他に雑節という目安も作られました。

     

     ・日本で曜日が本格的に利用されるようになったのはこの明治6年に太陽暦に改暦してからです。

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    1895118日、X線の発見日」

    1895(明治28)年118日のこの日に、放電管を使った実験を行っていたドイツのヴィルヘルム・コンラート・レントゲン物理学者は、ドイツのヴュルツブルク大学で黒い紙で覆った放電管で陰極線の実験をしている時に、この放電管から離れたところにあった蛍光スクリーンが、突然光始めたことに気づきました。彼はこの現象に着目して、非常に透過力の強い未知の放射線の存在を確認して、「X線」と名付けました。

     

    ・同年の1228日には、手の骨の透視写真を添えた論文が発表され、それからわずか数ヵ月後には、骨折患者の診断に用いられるようになりました。

     

    ・以後、色々な物質を透過するX線は、物理学や医学の面で、広く使われるようになりました。

     

    ・公益社団法人日本診療放射線技師会では、1895118日のレントゲン物理学者によるX線発見を記念し、毎年112日から118日の一週間を「レントゲン週間」と制定しています。

     

    レントゲン物理学者によるX線の発見は、このX線に代表される放射線は医療や科学の発展に多大な貢献をもたらし、特に医療分野においては放射線の利用なくして医療が成り立たないといっても過言ではありません。

     

    ・この発見により、レントゲン物理学者は、1901年に、初のノーベル物理学賞の受賞者となりました。


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    1936117日、「国会議事堂落成記念日」

    1936(昭和11)年117日のこの日に、現在の国会議事堂が完成し、この日に落成式が行われました。 現在の議事堂は、1920(大正9)年)1月に着工され、17年の歳月をかけて完成しました。

     

    ・建物は左右対称形を成しており、正面に向かって左側に衆議院、右側に参議院が配置されています。

     

    ・国会議事堂の建設費は、当時の金額で、およそ2600万円、現在で換算しますと、1000億円以上もしたといいます。

     

    ・現在の国会議事堂は、1920年(大正9年)130日に原敬内閣総理大臣などが参列して、現在地である永田町の高台において地鎮祭を挙行、新議事堂の建設が始まりました。

     

    1923(大正12)年には関東大震災に見舞われましたが、建設中の新議事堂は無事でした。新議事堂が広田弘毅内閣総理大臣など約2800人の来賓を迎えて竣工式を迎えたのは、着工から実に17年を経た1936年(昭和11年)117日のことでした。

     

    ・第二次世界大戦後の1946(昭和21)年に日本国憲法が制定され、議院内閣制の確立により帝国議会にかわる国会が国権の最高機関と位置付けられると、国会議事堂はその権威を象徴する施設となりました。

     

    ・その後、首都高速道路の整備と合わせて、国会議事堂の敷地拡張および周辺の区画整理が行われました。現在の議事堂周辺には衆参両院の議員会館や総理大臣官邸、政党関係の施設が立ち並び、日本の政治の中枢となっています。


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    2001116日、「戦争と武力紛争による環境搾取防止の国際デー」

    2001(平成13年)115日国連総会は毎年116日を「戦争と武力紛争による環境搾取防止のための国際デー」として宣言しました。国連総会で制定しました国際デーの一つです。戦争や武力紛争による環境破壊、終戦後も続く環境被害の実態について啓蒙し、その防止につとめることを目的としています。

     

    ・国際紛争が起きると、環境被害も起きますが、その終結後においても、国境や世代を超越して、長年にわたって生態系と天然資源に悪影響を及ぼすことがあります。

     

    ・人類は戦争において戦死者や負傷した兵士、市民、破壊された都市などを重視してきたが、環境は公にされていない戦争の被害者でした。

     

    ・暮らしと生態系を支える天然資源が破壊されれば、恒久的な平和は不可能であるため、国連は環境に対する行動が紛争予防・平和維持・平和構築の戦略の一部として確実に実施されることを重要視しています。

     

    ・人類は常に戦争被害者を重視してきましたが、環境はしばしば公にされていない戦争の生贄としてとどまっています。

     

    ・もし生計や生態系を維持する資源が破壊されたら恒久的平和はありえません。もし生計や生態系を維持する資源が破壊されたら恒久的平和はありえません。


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    1854115日、「津波防災の日」

    1854115日、「安政南海地震」」が発生したことに因んで、津波防災に関する意識向上を図ることを目的にして、内閣府が、20116月に「津波防災の日」を制定しました。津波防災の日には、津波対策について国民の理解と関心を高めるため、全国各地で防災訓練の実施やシンポジウム等が開催されています。

     

    ・今日115日は、「津波防災の日」です。2011311日に東日本大震災で甚大な津波被害を出したことから、同年6月、津波被害から国民の生命、身体・財産を保護することを目的に「津波対策の推進に関する法律」が制定されました。そして、津波の教訓を伝え津波対策を総合的かつ効果的に推進するため、115日を「津波防災の日」と定めました。

     

    ・津波防災の日の115日は、安政元年115日夕刻に発生した安政南海地震の旧暦の日に相当します。この地震で多くの命を津波から救った逸話「稲むらの火」が、津波防災の良い教訓になることからこの日が指定されました。

     

    ・「稲むらの火」は、大津波が和歌山県広村に押し寄せたとき、庄屋の浜口梧陵氏が自らの収穫した稲むらに火をつけることで早期に警報を発し、暗闇の中で逃げ遅れていた人たちを高台に避難させて命を救い、さらに、地震後は被災地のより良い復興に尽力したという物語です。

     

    ・なお、現在の和歌山県広川町には、浜口梧陵氏の精神と津波防災を学び受け継ぐために、2007(平成19)年に、濱口梧陵記念館と津波防災教育センターからなる、「稲むらの火の館」が開館しています。

     

    2015年には、第70回国連総会本会議で「世界津波の日」を定める決議が採択され、115日は「世界津波の日」にもなりました。


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    1946114日、「ユネスコ憲章記念日」

    1946(昭和21)年114日、「国際連合教育科学文化機関憲章」が発効し、ユネスコが発足しました。

     

    ・日本語では「国際連合教育科学文化機関」といい、国連の専門機関です。本部はフランスのパリにあり、教育・科学・文化の発展と推進を目的としています。

     

    ・日本は1951(昭和26)年72日に加盟しました。現在では、実質的に最大のユネスコへの資金拠出国は日本です。平成302018)年2月現在の加盟国は、195ヵ国です。

     

    ・「教育や文化の振興を通じて、戦争の悲劇を繰り返さない」との理念により設立の意義を定めたユネスコ憲章の前文には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」との文言があります。

     

    ・活動にあたっては、重点的に推進する目標として「万人のための基礎教育」「文化の多様性の保護および文明間対話の促進」などを定めています。それに基づき、例えば「万人のための基礎教育」に関しては識字率の向上や義務教育の普及のための活動、「文化の多様性の保護および文明間対話の促進」については、世界遺産の登録と保護、文化多様性条約の採択のほか、歴史的記録遺産を保全するユネスコ記憶遺産事業などを実施しています。

     

    ・ユネスコは、ユネスコ憲章の理念を実現するために、教育・科学・文化、コミュニケーションを通じて国際理解や国際協力を推進しています。そして、人びとの交流を通した国際平和と人類の福祉を促進しています。


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    1946113日、「文化の日」

    1946(昭和21)年のこの日、平和と文化を重視した日本国憲法が公布されたことを記念して、1948(昭和23)年に公布・制定された祝日法で国民の祝日に定められました。

     

    ・祝日法によれば、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨としています。日本国憲法は、公布から半年後の1947年(昭和22年)53日に施行されたため、53日も「憲法記念日」として国民の祝日となっています。

     

    113日は世界で初めて戦争放棄を憲法で宣言した重大な日であり、「自由と平和を愛し,文化をすすめる日」としました。この趣旨のもとに、この日には、皇居で文化勲章の親授式が行われます。「文化の日」を中心に、文化庁主催による芸術祭が開催されます。

     

    113日は元来、明治天皇のお誕生日であった「明治節」という名の祝日になっていました。

     

    ・明治節という祝日に制定された背景には、明治天皇がお亡くなりになった後、明治天皇のお誕生日であった113日を祝日にしたいという国民の想いや声が極めて多かったためとされています。

     

    ・その後、連合国軍機関によって明治節も撤廃されてしまいましたが、日本政府は明治天皇の明治節は何としても残したいというような考えがあったので、意図して日本国憲法の公布を113日にし、その日を祝日に制定したのだそうです。

     

    ・すなわち、文化の日の意味として形式的には日本国憲法の公布日を祝ったものとなっていますが、本来の意味としては明治節の考えからきているものだったのです。

     

    ・基本的人権や戦争放棄を宣言した日本国憲法は、平和と文化を最も重要視しています。

     

    ・この日本国憲法公布を記念して「平和への意思を基盤とする文化を発展させ拡大させよう」という考えで、113日が「明治節」から「文化の日」となったのです。


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    1931112日、東京科学博物館開館記念日」

    1931(昭和6)112日の今日は、東京の上野で、東京科学博物館が開館しました。現在の国立科学博物館です。当時の天皇・皇后両陛下の行幸啓を仰ぎ開館式を挙行し、この112日を開館記念日としています。

     

    ・日本で最も歴史がある、国立でただ一つの総合化学博物館で、多数の貴重な標本を保管しています。

     

    ・この博物館の役割は、調査研究、標本の収集や保管そして展示です。

     

    ・国立科学博物館は「自然史に関する科学その他の自然科学及びその応用に関する調査及び研究並びにこれらに関する資料の収集、保管及び公衆への供覧等を行うことにより、自然科学及び社会教育の振興を図る」ことを目的とした博物館です。

     

    ・一般的には国立科学博物館といえば上野本館の施設を言います。東京科学博物館は、全国の博物館の指導的な立場としての事業を数多く行っています。

     

    ・独立行政法人化によって国から切り離されましたが、その後も名称に「国立」を付けています。これは海外との関わりにおいて国の機関であることを示す必要があるために認められた特例です。

     

    ・同館は、近年の独立行政法人化によって、国としての役割を担うように強く求められています。


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    1868111日、「灯台記念日」

    1868(明治元)111日の今日は、日本で初めて洋式灯台の第1号である神奈川県三浦半島の観音崎灯台の工事に着工した日です。記念日は、この日を記念してして海上保安庁によって1949(昭和24)年に設けられました。日本初の灯台の完成は、翌年の1869211日に点灯されました。

     

    ・この灯台の設計は、フランス人のヘンリー・プラントン技術者が担当しました。当初は、煉瓦造りの洋館建てでしたが2度の地震により、建て直されて現在の白い八角形の姿は、3代目です。

     

    ・西洋式灯台のように遠くまで光が届く灯台は、江戸時代の日本にはありませんでした。鎖国していたこともあって、日本にはそれほどまでの機能は必要とされていませんでした。

     

    ・明治時代になって日本が開国するとなると、外国からくる船の乗組員は日本沿岸が暗くて航海が困難だと不満を持っていたので、日本は諸外国から西洋式の灯台を沿岸に備えるようせまられました。その代表的なものが日本初の観音埼灯台です。

     

    ・この記念日は、各地の参観灯台への参観が全て無料で開放され、社団法人日本燈光会や各地の海上保安部などで記念行事が行われます。

     

    2018(平成30)年は、1868年から数えて150周年の節目に当たりましたので、これを機に、各イベントが全国各地で実施されました。

     

    ・灯台は、船舶の安全航行にとって重要な施設ですが、最近では、地方公共団体等が観光資源としての価値を改めて見直し、活用していこうとする動きも活発化してきており、海上保安庁としても、海上交通安全思想の普及等を目的として、この動きを積極的に支援しています。


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