今日は何の日

「今日は何の日」は、今日、過去に起こった注目すべき出来事等をご案内致します。

    「今日は何の日」は、今日、過去に起こった注目すべき出来事等をご案内致します。

    2019年02月

    1957年の今日228日、南極観測船「宗谷」救出の日

    1957(昭和32年)年の今日228、昭和基地からの帰途、氷海に閉じ込められていた「宗谷」が、砕氷能力6メートルのソ連の砕氷船オビ号に救出されて、無事外洋に達することができました。



    ・昭和基地からの帰途の「宗谷」は、1957(昭和32)年225日になると、流れてきた氷が益々増えて、前進も回転も出来なくなり、近くにいたソ連の砕氷船オビ号に救出を求めました。

     


    ・ソ連の砕氷船オビ号が、救助要請に応じて、1957(昭和32年)年の今日228に「宗谷」に到着しました。

     


    12時間後、「宗谷」は、「オビ号」の後に続いて外洋に脱出しました。「宗谷」は、「オビ号」に感謝の意を表して、ケープタウンを目指しました。

     


    ・「宗谷」のマストには、「救援を感謝する」との信号旗が掲揚され、両船のデッキは互いに健闘を祝しあう人々でいっぱいになりました。

     


    ・本当に、心温まる出来事でした。

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    今日2月27日は、パリ万博で日本が初めて出展した日

    ・万国博覧会に最初に日本が登場したのは、1867年(慶応3年)のフランスのパリ万博です。

    ・江戸幕府、薩摩藩、佐賀藩として、それぞれ独自に参加しました。第5回目の万国博覧会の開催のことでした。

    ・会場には、日本茶屋をつくり、各国のお客様に、お茶を振舞うなど、日本文化が大評判となりました。

    ・この時は、幕府、薩摩藩、佐賀藩がそれぞれ独自に出品を行っただけで、まだ「日本」という国を紹介するとは言えませんでした。

    ・この後、明治維新が進み、初めて明治政府、つまり日本の政府として正式に万国博覧会に参加したのが、この次の1873年(明治6年)のウィーン万博でした。

    ・こうして、万国博覧会という舞台で、それまでほとんど知られていなかった日本の文化が紹介されるようになると、世界中で注目が集まるようになっていきました。

    ・日本としても、自分の国が急速に発展していること、そしてそれと同時に、伝統的な文化も大切にしていることを世界の人々にアピールしようと、積極的に万国博覧会に取り組むようになっていきました。

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    2005(平成17)年226日ひまわり6号打上げの日

    2005(平成17)年226は、運輸多目的衛星ひまわり6号の打上げの日です。

     

    ・運輸多目的衛星ひまわり6号は、国土交通省の委託で、宇宙航空研究開発機構の種子島宇宙センターから打上げられました。

     

    ・「ひまわり6号」は、運輸多目的衛星シリーズの一つであり、、国土交通省航空局及び気象庁が運用する静止衛星で、「ひまわり」シリーズの後継機としての気象観測の機能と航空管制の機能を併せ持っています。

     

    ・「ひまわり6号」の気象観測機能としては、観測頻度が北半球では30分ごとの観測が可能となるなど大きな機能向上が行われました。

     

    ・設計寿命である5年間を経過した平成2271日に観測を「ひまわり7号」に引継ぎました。

     

    ・「ひまわり」シリーズは、気象観測を行う日本の静止衛星・気象衛星の愛称です。

     

    1号から5号までの正式名称は静止気象衛星、6号と7号は運輸多目的衛星です。

     

    ・「ひまわり」が登場するまでは、日本はアメリカの衛星画像を購入していました。

     

    ・「ひまわり」は世界気象機関と国際科学会議が共同で行なった地球大気開発計画の一環として計画されたもので、得られた気象情報を日本国内だけでなく、東アジア・太平洋地域の他国にも提供しています。

     

    ・現在では、201577日より、「ひまわり8号」が、が気象観測を行っています。

     

    ・「ひまわり9号」が、2022年から運用される見通しであります。

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    1972
    225日は、宇宙人への金属版

    1972(昭和47)年の今日225日に打上げられたアメリカの探査機パイオニア10号には、宇宙人へのメーセージを刻んだ金属板が積み込まれました。

     

    ・この金属板は1972225に打ち上げられた宇宙探査機パイオニア10号に取り付けられた金属板で、人類からのメッセージを絵で記したものです。

     

    ・探査機による能動的な地球外知的生命体探査の最初のケースでした。

     

    ・金属板には人間の男女の姿とともに、探査機の故郷である地球に関する情報を示す記号がいくつか描かれていました。

     

    ・この金属板は星間空間を漂う一種のボトルメールとして作られました。

     

    ・この金属板を搭載した探査機が将来、ある恒星の周囲30天文単位以内を通過するまでに要する平均的時間は我々の銀河系の現在の年齢よりも長いと見積もられています。

     

    ・この金属板は探査機のアンテナの支柱上の、宇宙塵による侵食から守られる位置に取り付けられています。

    ・アメリカのNASA ではこの金属板と探査機自身が地球や太陽よりも長く生き残ることを期待しています。

     

    ・どんな返事が届くのでしょう。楽しみですね。

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    今日224日は、北極横断の日欧定期航空路開設の日

    1957(昭和32年)年224は、北極横断の日欧定期航空路開設の日です。

     

    ・北極海を横断してデンマークの首都コペンハーゲンに向かうスカンジナビア航空(SAS)の一番機が東京の羽田空港を飛び立った日です。

     

    ・この地球特急号の就航により、日本からヨーロッパまでの飛行時間が、54時間から30時間へと大幅に短縮されました。

     

    ・かつて南回りルートしかなかった時代に日本から54時間もかかっていた欧州へのフライトが、北回りルートの開設で大幅に短縮された。1957年にそのベースとなる「北極航路」を開拓したのが、スカンジナビア航空SAS)でした。

     

    2019224日で新ルート開設62周年を迎えます。

     

    ・現在では、日本からヨーロッパへは、直行便なら11時間か12時間でアクセスできます。しかし航空の長い歴史で見ると、こんなに近くなったのはわりと最近の話です。

     

    ・まだ南回りのルートしかなかった時代には、欧州のどの国へ行くにも50時間余り以上を要していました。

     

    ・当時はなぜ、わざわざ南回りでフライトしていたのか。理由のひとつは、航空機の性能にあります。

     

    ・どの機種もまだ航続距離が短く、途中で多くの経由地に立ち寄らないと目的地へたどり着けません。

     

    ・極地上空を安全に飛行するための航法技術が未発達だったことも南回りルートで飛行を続けた要因でした。

     

    SASはデンマーク、ノルウェー、スウェーデンのスカンジナビア3国が共同で設立したエアラインであり、北欧を拠点とする同社が世界に翼を広げるには高緯度地域ネットワークの拡充が不可欠でした。

     

    ・それから現在まで、SASのスタッフの懸命な努力でデイリー運航を続ける現在の成田コペンハーゲン線も、62年前に開設されたこの北極航路がベースになっています。

     

    ・成田コペンハーゲン線は現在、フルフラット型の新シートを搭載したエアバスA340での運航ですが、SAS2019年本年より最新鋭機A350の受領を開始する予定です。

     

    ・日本各地からの旅行者を、羽田とコペンハーゲン経由でヨーロッパの各都市への可能性も高いです。

     

    ・東京オリンピックイヤーの2020年を目標に、同社はそんなシナリオを描いています。

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    今日223日は、「カミオカンデ」が、ニュートリノを初めてとらえた日

    1987223、岐阜県飛騨市神岡の地下1,000メートルにある、素粒子の観測装置「カミオカンデ」が、大マゼラン星雲の超新星爆発で発生したニュートリノを、世界で初めて検出しました。

     

    ・「カミオカンデ」は、小柴昌俊教授が提唱し、1,983年に完成しました。

     

    ・「ニュートリノ」は、物質を作る小さい粒子、素粒子の一種で、観測が非常に難しいとされています。

     

    1987223、ちょうど32年前の今日、地球から16万光年離れた大マゼラン星雲でおきた超新星爆発にともなうニュートリノが地球に到来しました。

     

    ・スーパーカミオカンデの前身の検出器カミオカンデは、ニュートリノを11個検出しました。

     

    ・超新星爆発からのニュートリノを検出したのは世界初であり、この検出により、超新星爆発の仕組みの解明が大きく前進しました。

     

    ・また、2002年には小柴昌俊 東京大学特別栄誉教授がこの功績に対し、ノーベル物理学賞を授与されました。

     

    ・カミオカンデの超新星爆発ニュートリノの発見がきっかけとなり、ニュートリノ研究の重要性が認識され、タンクを巨大化したスーパーカミオカンデの建設が認められました。

     

    1996年からスーパーカミオカンデは観測を開始し、1998年にはニュートリノ振動を発見しました。その功績により2015年には東京大学の梶田隆章教授がノーベル物理学賞を授与されました。

    ・今もしも銀河系内で超新星爆発が起これば、30年前の約1000倍のニュートリノをスーパーカミオカンデでとらえることができます。

     

    ・そうなれば、超新星爆発のメカニズムの詳細が明らかになり、星や宇宙についての理解が進むと期待されています。


    スーパーカミオカンデ

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    222日は、「世界友情の日・国際友愛の日」

    ・今日1963年2月22日は、平和で国境を越えて世界の人々とも手をつないで明るい社会を作る「世界友情の日・国際友愛の日記念日です。

     

    ・この記念日は、健やかな子どもを育成する世界的な社会教育運動とされるボーイスカウト・ガールスカウトの創始者ロバート・ベーデンパウエル夫妻の誕生日に因み、1963(昭和38)年のボーイスカウト世界会議で制定し、1965(昭和40)年から実施されました。

     

    ・ボーイスカウト・ガールスカウトの始まりは、さまざまな野外教育を通じて、少年・少女たちが将来社会に役立つ人間に成長することを願ってスタートしました。

     

    ・少年・少女たちの旺盛な冒険心や好奇心をキャンプ生活や自然観察、また、グループでのゲームなどの中で発揮させながら、「遊び」を通して、少年たちに自立心をはじめ、協調性やリーダーシップを身につけさせることが目的とされています。

     

    ・ボーイスカウトの精神は、現代にも受け継がれ、青少年少女の育成に役立つよう、この活動は、世界で繰り広げられています。

     

    222、「世界友情の日・国際友愛の日」を迎え、春という季節は、「友情」の有難さや素晴らしさを再認識できる機会となりました。

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    今日221日は、国際母語デーの日

    ・今日221日は、国際母語デーの日です。

     

    221日は「国際母語デー」だと覚えていただけると、ほんとうに嬉しいです。

     

    ・長年、日本に住んでいる人は、日常にあふれている「日本語」を母語として強く意識する機会はあまり多くはないと思います。

     

    ・しかし、ある日突然、慣れ親しんだ言葉に触れられなくなってしまったら、本当に怖いですね。

     

    ・いま、世界にはおよそ7,000の余の言語が存在すると言われています。

     

    ・言語は各民族が長い歴史のなかで築いてきた文化を支えるものですが、消滅の危機にある言語も少なくありません。

     

    ・この状況に対しユネスコ(国連教育科学文化機関)は、221日を「国際母語デー」と定めました。

     

    ・国際母語デーは、ユネスコが1999年に、文化や言語の多様性、それぞれの母語を尊重することを推進することを目的に制定しました。

     

    1952年に当時パキスタンの一部だったバングラディッシュのダッカで、ベンガル語を公用語に求めるデモで死者が出たことにちなみ、221に定められました。

     

    ・現在のバングラデシュは、パキスタンという地域から独立した国です。

     

    ・独立前は東パキスタンと呼ばれ、多くの人がベンガル語を話していました。しかし、政府は西パキスタンにあり、そこで話されていたウルドゥー語を母語にしようとする動きがありました。

     

    ・それに反発した東パキスタンの学生が集会などを開いて、抗議活動を行った学生が射殺されるという事件がありました。歴史の中で初めて、母語の存続に命をかけて守った日だったのです。

     

    ・日本で出版され、国や文化、時代を超えて親しまれている絵本に、各言語の翻訳シールを貼り付け、子どもたちが母語で読める絵本となったものが届けられています。

     

    ・絵本を届ける先はカンボジア、ラオス、ミャンマー、ミャンマー(ビルマ)難民キャンプ、アフガニスタンなどの国々です。

     

    1999年にはじまった「絵本を届ける運動」は、毎年多くの方が参加されて、これまでに27万冊を超える絵本が届けられました。

     
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    1993(平成5)年2月20日、X線天文衛星「あすか」打上げの日

    ・「あすか」は1993年2月20日に宇宙科学研究所のM-3SIIロケット・7号機によって打ち上げられ、2000年7月に観測不能に陥るまでの7年半にわたり世界の天文学者たちから利用され観測を続けてきました。

    ・この日1993年2月20日は、天体から来るX線を検知して宇宙を探る日本では4個目のX線観測衛星の打ち上げに成功した日です。

    ・「あすか」から得られた科学的成果は、ブラックホール近傍での物質の流れや宇宙のX線背景放射の解明、ブラックホールの発見など多数あります。

    ・X線は地表まで届かないので、このような衛星による観測が行なわれます。

    ・X線天文衛星は、いわば日本のお家芸。1979年に日本初のX線天文衛星「はくちょう」が打ち上げられ、以後「てんま」(1983年~1989年)、「ぎんが」(1987年~1991年)、そして「あすか」(1993年~2000) と続き、いずれもX線天文学の最前線で活躍してきました。

    ・第15号科学衛星「あすか」は、日本で21番目の国産X線天文衛星でした。

    ・「あすか」の衛星計画名ASTRO-D。愛称は、あすか(飛鳥)。衛星重量417kg。長さは約4メートルでした。

    ・そして2001(平成13)年3月2日、ニュージーランド東方の上空で大気圏に再突入し、燃え尽きました。

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    219日は、初の海洋観測衛星「もも1号」打上げ成功

     

    1987(昭和62)年219は、初の海洋観測衛星「もも1号」打上げ成功の日です。

     

    ・もも1 (MOS-1) は、宇宙開発事業団(NASDA) が打ち上げた海洋観測衛星であり、日本初の地球観測衛星です。

     

    ・昭和62年(1987年)2月19日に、N-IIロケット8号機で種子島宇宙センターから打ち上げられました。

     

    ・赤外放射計やマイクロ波放射計などのセンサを搭載し、地球観測システム開発を目指しました。

     

    ・これらによって得られたデータは農林・水産資源、水資源の利用状況の調査、海洋・大気汚染の監視などに利用されました。

     

    ・もも1号は19951129日に停波し、運用を終了しました。

     

    1996年には、後継機「もも1b」がうちあげられました。

     

    ・もも1bMOS-1b)は、もも1号と同等の性能を有し、後継機として打ち上げられ、1996417日をもって運用を停止しました。

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    今日2月18日は、札幌雪まつりが始まった日

    ・1950年2月18日は、第1回目の札幌雪まつりが開催された日です。

    ・きっかけは、地元の中学生と高校生が、札幌の真ん中に位置する大通公園に、6つの雪像を作ったことです。

    ・雪像展や雪合戦やカーニバルなどを開催して、予想を超える大人気となり、札幌市民を中心として、5万人以上が雪まつりを楽しみました。

    ・それから毎年、札幌の冬を彩る行事として親しまれ、現在は、世界中からたくさんの人が訪れるイベントとなっています。

    ・1953年には、高さ15メートルの大雪像「昇天」がはじめて作られました。

    ・1955年には、自衛隊が参加し、大規模な雪像づくりに挑戦。

    ・第10回開催の1959年には雪像制作に2,500人が動員、テレビ、新聞でも紹介され、翌年からは本州からの観光客も増えて大盛況となりました。

    ・こうして、札幌の雪まつりから日本の雪まつりへと発展していきました。

    ・1965年、第二会場として真駒内会場を正式に設置しました。

    ・1972年には、冬季オリンピックが札幌で開催、「ようこそ札幌へ」のテーマで雪まつりは世界に知られるようになりました。

    ・1974年はオイルショックで試練の雪まつりとなりました。雪はこびトラックのガソリンが手に入らず、雪像の中にドラム缶を入れるなどして乗り切りました。この年から国際雪像コンクールもスタートしました。

    本年の第70回さっぽろ雪まつりは2月11日をもって全て終了いたしました。大通会場は193万4千人、つどーむ会場は80万3千人の方々が来場しました。

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    今日217日は、中部国際空港セントレアが開港した日

     

    ・今日2005217は、愛知県常滑市の海上に、「中部国際空港セントレア」が開港した日です。

     

    ・伊勢湾海上に、海の環境を変えないよう配慮して造られた人工島です。

     

    ・「セントレア」は、名古屋市の中心部から南へ約35km、知多半島の愛知県常滑市の沖合約1.5kmの伊勢湾海上の人工島に位置します。

     

    ・「セントレア」は、英語で、中部地方を意味する「センター」と空港の「エアーポート」の組み合わせで、一般公募の中から選ばれました。

     

    24時間運用可能な長さ3,500mの滑走路を有する、関西国際空港に次ぐ国内第2の海上国際空港として2005217に開港しました。

     

    ・成田国際空港、関西国際空港とともに国際航空路線に必要な国際拠点空港としてその航空需要を担うことを国の航空政策上位置付けられています。

     

    ・建造物の評価では「中部国際空港旅客ターミナルビル」が、そのユニバーサルデザインの実践等が評価され2005年度のグッドデザイン賞を獲得しました。

     

    ・ボーイング社の機体パーツを運ぶ専用輸送機、ドリームリフターが飛行してくるのは、国内で、セントレアだけです。

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    今日2005(平成17)年2月16日は、京都議定書発効の日

    ・1997年、地球温暖化防止の京都会議で、採択された「京都議定書」が、今日2005(平成17)年2月16日、この日に発効しました。

    ・今から14年前の2005年2月16日、先進国に二酸化炭素などの温室効果ガス削減を義務付けた京都議定書が発効しました。

    ・京都議定書は、1997年12月に京都市の国立京都国際会館で開かれた第3回気候変動枠組条約締約国会議(地球温暖化防止京都会議、COP3)で同月11日に採択された、気候変動枠組条約に関する議定書です。

    ・正式名称は、「気候変動に関する国際連合枠組条約の京都議定書」です。

    ・京都議定書の内容は、先進国等が約束期間において数量化された約束に従って温室効果ガスの排出を抑制しまたは削減すること等を定めています。

    ・日本では2002年5月31日に国会で承認され、2002年6月4日に国際連合に受諾書を寄託しました。


    ・京都議定書では、1990年の6種類の温室効果ガス総排出量を基準として、2008年から2012年の5年間で、先進国全体で少なくとも5%の削減を目指し、日本では6%削減することを目標としました。


    ・そして2016年4月5日に環境省・経産省は、2016年3月31日国連ホームページにて、日本は「達成」したと公表しています。

    ・二酸化炭素などの排出大国であるアメリカと中国は、現在も批准していません。
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    今日1969215日は、日本隊が南極点往復成功の日

    ・今日1969(昭和44)年215は、村山雅美隊長の第9次南極観測隊が、南極点往復の偉業を達成した日です。

     

    ・日本第9次南極観測隊員11名は、前年の928日に、昭和基地を出発して、1219日に、南極点到達して、1969(昭和44)年215日に、昭和基地に、帰着しました。

     

    ・昭和基地の対岸から往復141日、5182キロに及んだ「極点旅行」から今年で50年を迎えます。

     

    ・日本隊は南極点で数日を過ごした後、1969215日、昭和基地近くの終了地点に無事、帰投することになりました。

     

    ・途中で、気象、地形、地質、地磁気などの貴重な観測調査が行われました。

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    今日1867214日、豊田佐吉氏の誕生日

    ・トヨタ自動車の社是「いい考え、いい仕事」は、創立者の豊田喜一郎氏が、父の豊田佐吉氏の精神から学び取ったものです。

     

    1867(慶応3)年の今日214日、今の静岡県湖西市で誕生した豊田佐吉氏は、独学で織機の改良に励み、1890年人力機織機、1924年には世界で初めて自動機織機を完成し、業界の発展に貢献しました。

     

    ・「人のやったことは、まだ人のやれることの百分の一にすぎない」といい、生涯を織機の改良に懸けました。

     

    ・その後、「今に自動車の時代が来る」と考えた豊田佐吉氏は、自動車づくりの研究を息子の豊田喜一郎氏に託します。

     

    ・豊田喜一郎氏は、豊田佐吉氏の思いを引き継いで、自動車の開発を始め、「トヨタ自動車」を創業しました。


    トヨタ産業記念会館 旧工場

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    今日は、足漕ぎボートでハワイから沖縄への単独横断に成功した日

    1993年の今日、213、海洋冒険家の堀江謙一氏は、人力の足漕ぎボートで、ハワイから沖縄への単独横断に成功しました。

     

    ・堀江氏は、1938年(昭和13年)に大阪市港区で生まれ、数々の日本人初挑戦を果たしています。

     

    1962年には、小型ヨット「マーメイド号」で太平洋単独横断成功。石原裕次郎の主演映画「太平洋一人ぼっち」で、その苦労が偲ばれました。

     

    1974年には、世界で2人目の単独・無寄港世界一周航海を「マーメイドIII号」に乗って270日余りで成功させました。

     

    1975年には、40日間で、太平洋横断航海の成功。

     

    1982年には、地球縦回り6万キロメートル世界一周航海の成功。

     

    1989年には太平洋横断では世界最小(全長2.8m)のヨット「ミニマーメイド号」でサンフランシスコから西宮間航海の成功。

     

    1985年には、ソーラーボートによるハワイから父島間航海する単独太平洋横断を達成。

     

    1996年:アルミ缶リサイクルのソーラーパワーボートでエクアドルから東京間を単独無寄港太平洋横断に成功。エクアドル政府はこの航海の成功を称え、翌年ガラパゴス諸島の島と岬に「モルツマーメイド島」「堀江謙一船長岬」と命名しました。

     

    1999年は生ビール樽を利用したリサイクルヨットでサンフランシスコから明石海峡大橋間を横断する単独航海成功。

     

    2002年には、63歳で、「モルツマーメイド3号」ヨットに乗って、日本からアメリカへの単独太平洋横断にも成功しています。

     

    2004年には、ヨット「SUNTORY マーメイド号」で単独無寄港による世界一周航海(東回り)に挑戦し、10月に西宮市の新西宮ヨットハーバーから出発、20056月に同地に無事世界一周を達成しました。

     

    2008年には波浪推進船「SUNTORYマーメイドII号」で約6000kmある紀伊水道 からハワイ間の世界初の航海に挑戦し、同年74日夜に達成成功しました。

     

    2009年、学校法人大前学園が設置するサポート校の専修学校・西宮甲英高等学院の校長(のちに名誉校長)に就任しました。

     

    ・堀江氏は、太平洋を舞台に、数々の大冒険を成し遂げました。

     

    ・堀江氏は、「これからも祖国への愛を忘れずに、100歳まで海洋冒険を続けたいと思っている」と述べました。

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    今日2月12日は、植村直己氏、マッキンリー冬季単独登頂に成功

    ・1984年2月12日、冒険家の植村直己氏がマッキンリー冬季単独登頂に成功するも、下山途中で行方不明となりました。

    ・その後明治大学山岳部によって2度の捜索が行われましたが、発見されることはなく、植村直己氏が登頂の証拠として山頂付近に立てた日の丸の旗竿と、雪洞に残された植村直己の装備が遺品として発見されるに留まりまし.た。この結果、消息が最後に確認された2月13日が命日となりました。

    ・1984年4月19日、国民栄誉賞を受賞。功績名は「世界五大陸最高峰登頂などの功」。

    ・6月19日にはデンマーク政府により、1978年のグリーンランド縦断の際の到達点であったヌナタック峰を、植村の功績を称え「ヌナタック・ウエムラ峰」と改称することが決定しました。

    ・同年8月、北極点・グリーンランド縦断のゴールであるナルサスワックに植村の功績を伝えるためのレリーフが設置されました。

    ・1994年、故郷である豊岡市日高町の神鍋高原に植村直己冒険館が開館しました。

    ・上村公子夫人と有志によって記念館と植村直己自然学校が設立されました。

    ・1996年、植村直己冒険賞が設けられました。最初の受賞者はミャンマー最高峰カカボラジ山に初登頂した尾崎隆氏でした。

    ・上村直己氏 主な登山・冒険歴

    ・1965年4月23日 - ゴジュンバ・カン登頂

    ・1966年7月25日 - モンブラン単独登頂

    ・1966年10月24日 - キリマンジャロ単独登頂

    ・1968年2月5日 - アコンカグア単独登頂

    ・1968年4月20日 - 6月20日 - アマゾン河6,000km単独筏下り

    ・1970年5月11日 - 日本人初登頂エベレスト登頂

    ・1970年8月26日 - マッキンリー単独初登頂(世界初の五大陸最高峰登頂成功)

    ・1971年1月1日 - 冬季グランド・ジョラス北壁完登

    ・1971年8月30日 - 10月20日 - 日本列島3,000kmを徒歩で縦断

    ・1972年9月4日 - 1973年2月4日 - グリーンランド北端シオラパルクのエスキモー宅に単身寄宿し共同生活

    ・1973年2月4日 - 4月30日 - グリーンランド3,000km犬ゾリ単独行

    ・1974年12月29日 - 1976年5月8日 - 北極圏12,000km犬ゾリ単独行

    ・1976年7月 - エルブルスに登頂

    ・1978年4月29日 - 単独到達世界初犬ゾリ単独行で北極点到達

    ・1978年8月22日 - 犬ゾリ単独行でグリーンランド縦断成功1982年8月13日 - 冬期アコンカグア第二登達成

    ・1984年2月12日 - 世界初マッキンリー冬期単独登頂


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    211日は、日本初の人工衛星の打ち上げ成功の日

     

    1970(昭和45)年211、日本で最初の人工衛星「おおすみ」の打ち上げが成功しました。

     

    ・「おおすみ」は、宇宙科学研究所(現在のJAXA)と東京大学宇宙航空研究所、日産自動車宇宙航空事業部(現在のIHIエアロスペース)が開発しました。

     

    ・ラムダロケット(L-4Sロケット5号機)と呼ばれる固体ロケットです。発射場のある大隅半島に因んで「おおすみ」と命名されました。

     

    ・衛星の重さは23キロ、日本もソ連、アメリカ、フランスに次いで、世界の4番目の人工衛星保有国になりました。

     

    ・人工衛星打ち上げ技術の習得と、衛星についての工学的試験が目的でした。

     

    ・地球を周回りすることに成功した「おおすみ」は、日本の宇宙探査の幕を開けました。

     

    ・日本は大学の付属研究所が純粋な民生技術として研究を行い、非軍事目的での人工衛星開発に成功し、なおかつ日本国内では直接的な軍事技術への転用も行われなかったという点で、国際的に特異性を持っています。

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    日本初の純様式劇場である「帝国劇場」が完成した日

    1,911年の今日210、日本で初めての純様式劇場が、東京の丸の内に完成しました。

     

    ・ルネサンス風フランス式5階建て,1700の客席はすべて椅子席で,オーケストラ・ボックスをもつ日本最初の完全な洋式劇場でした。

     

    1912年(大正元年) - 1916年(大正5)にイタリア人音楽家ローシーを招いてオペラ・バレエを上演したほか、六代目尾上梅幸・七代目松本幸四郎・七代目澤村宗十郎らが専属俳優となり歌舞伎やシェイクスピア劇などを上演しました。

     

    ・当時の「今日は帝劇、明日は三越」という宣伝文句は流行語にもなり、消費時代の幕開けを象徴する言葉として定着しました。

     

    ・現在の帝劇ビルは、1966年(昭和41年)929日に落成しました。

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    日本プロ野球の最初の試合が開催された日

    1,936年の今日29、日本で初めて、プロ野球の試合が行われました。

     

    ・初試合は、愛知県の鳴海球場で、中日ドラゴンズの前進の名古屋金鯱と、読売ジャイアンツの前進の東京巨人が対戦しました。

     

    103で、名古屋金鯱が勝ちました。

     

    ・この試合は、巨人のアメリカ遠征の壮行試合として、対戦が組まれました。

     

    ・当時は、全7球団で、名古屋金鯱、東京巨人、大阪タイガース、阪急、名古屋、大東京、東京セネターズがありました。

     

    193625日東京丸の内で、日本職業野球連盟の設立総会が開催されました。

     

    ・翌1,937年には、西宮球場と後楽園球場が完成し、野球場も、全国に増えてゆきました。


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    1959(昭和34年)年2月8日 黒部トンネル開通

    ・黒部ダムは、富山県東部の立山町を流れる黒部川水系の黒部川に建設された水力発電専用のダムです。1956年着工、171人の殉職者と7年の歳月をかけて、1963年に完成しました。貯水量2億トン。


    ・昭和3428の今日、全長約10キロの黒部ダムトンネルは、黒部第4ダム建設の資料を運搬するために建設されましたが、現在は長野県の大町から富山県へ抜ける観光コースに組み込まれるトロリーバスが走っています。

    ・黒四ダムの建設資材を運ぶ二つのルートの内、いわゆる関電黒部トンネル(旧大町トンネル)は僅か80mの破砕帯突破の超難関工事の為、半年以上工事は中断されましたが、昭和33年(19585月見事に開通、しました。

     

     ・欅平から、黒四ダム建設現場迄の資材運搬用のトロッコ電車が完全通行可能になったのは、昭和34年(1959)の今日28ですが、このルートの一般公開は今もされていません。

     

    ・つまり、黒四ダム建設の為のトンネルは二つあり、関電黒部(大町)トンネルは1958年開通後立山・黒部アルペンルートの一部として関電トロリーバスによってのみ通行可能なトンネルです。

     

    ・もう一つの黒部トンネルは195928開通したルートで、宇奈月からのトロッコ電車の終点「欅平」からの延長ルートのトンネルですが、一般利用には供せられていません。

     

    ・ 昭和43年(1968)年公開された石原裕次郎主演の映画「黒部の太陽」の舞台となった苦難のトンネル建設とは、前者の関電黒部大町トンネルの事であり、現在はそうした苦難等全く思い浮かべる暇もなく、富山側からは、僅か十数分のトロリーバスで、黒部ダム見学後扇沢に下る事が出来ます。


    黒部ダム(画像素材 AC)

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    今日1,99827日は、長野冬期オリンピックが、開催された日

     

    1,998年長野オリンピックは、199827日から222日まで日本の長野県長野市を中心とする地域を会場として開催された20世紀最後の冬季オリンピックでした。

     

    ・冬季オリンピックの歴代開催地の中では、長野は最も南に位置する緯度の地域でした。

     

    72の国(地域)から選手・役員4,638人が参加し、延べ1442,700人の観客が会場に集まりました。

     

    ・日本は、スキージャンプ、男子ラージヒル団体で、金メダルを取るなど、全部で10個のメダルを獲得しました。

     

    ・長野冬季オリンピック開会の日を記念して、社団法人日本青年会議所北信越地区長野ブロック協議会が「オリンピックメモリアルデー」を制定しました。

     

    ・長野オリンピックの理念が「自然との共生」ですから、長野の自然を考える日としました。

     

    ・北方領土の日

    1,981(昭和56)年27日に、「北方領土の日」が閣議決定されました。

     

    ・その由来は、1,855(安政元)年27日は、日露和親条約が締結され、北方領土が日本固有の領土として認められました。

     

    ・これを記念し、日本政府が1,98127日を、「北方領土の日」と制定しました。

     

    ・北方領土とは、国後、色丹、択捉、歯舞のことです。

     

    ・この領有権問題は、日ソの言い分は、くい違っています。そこで、日本政府は、北方領土返還運動を盛り上げようと、「北方領土の日」を制定しました。

     

    今日2月6日は、海苔の日

    ・海苔が産地諸国の物産として、701年2月6日に制定された大宝律令で、海苔が貴重な食品として年貢の対象物となったことから、全国海苔貝類漁業協同組合連合会が、1,967年に、この日2月6日を海苔の日と制定しました。

    ・海苔は、ビタミンが豊富で、ミネラルも多いバランスの取れた栄養食品です。

    今日2月6日は、全国初の女性知事が大阪府で誕生した日

    ・2,000年2月分6日は、大阪府の知事選挙で、当時通産省審議官だった太田房江氏が当選し、全国初の女性知事が誕生しました。

    ・前任の横山知事が前年12月に辞職したため行われた選挙でした。

    ・自民党は、岡山県副知事も務めたことのある太田氏に出馬を要請し、当選、太田知事は、2期8年務めました。

    ・その後、熊本県、千葉県、滋賀県、北海道、山形県に女性知事が続きました。

    ・2,016年、東京都に小池百合子知事が、誕生しました。

    25日は、明治政府が小学校の設置を進めた日

    1,869年年25日、明治政府が、各府県に小学校の設置をすすめることを盛り込んだ「府県施政順序」を布告しました。

     

    ・当時、日本政府は、国民の教育を、最も大事な政策としていました。

     

    ・江戸時代までの児童教育は、各藩がつくった藩校や民間の寺小屋が行っていましたが、日本政府は全国の児童が同じ教育を受ける、新しい教育機関を考えていました。

     

    ・その後1872年に「学制」が公布され、小学校は人口約600人の小学区に各1校設立すると決められました。

     

    日本初の乗合自動車登場

    1,905(明治38年)年の今日25日、広島市の横川から可部町間16Kメートルの路線に日本初の乗合自動車が開業しました。

     

    ・当時は、日本人所有の乗合自動車が、まだ10数台でした。

     

    ・この時期に、東京、大阪に先駆けた広島での開業は、まさに画期的なことでした。

     

    プロ野球の日

    1936年の今日25日、プロ野球が誕生しました。

     

    1936(昭和11)年の今日この日、全日本職業野球連盟の結成によりプロ野球が誕生しました。

     

    ・現チーム名でいうと、読売ジャイアンツ・阪神タイガース・横浜ベイスターズ・中日ドラゴンズ・オリックスブルーウェーブなど全7チームが参加していました。

     

    ・全日本職業野球連盟の結成は、1936年から1949年まで存在していた日本のプロ野球組織です。

    ・日本初の本格的全国規模によるスポーツリーグであり、現在の日本野球機構のルーツに当たります。


    今日24日は、年によって変わる二十四節気では、立春と季節は春です。

     

    ・実感としては、寒さのまさにピークの時期ですが、立春を、「春の気が立つ」の意味と捉えればしっくりとします。

     

    ・日本では、梅の開花が、この頃から始まります。

     

    ・本年の立春は、この日(24日)から、暦の上では春です。

     

    ・まだまだ寒い日が、続きますが、春の兆しがようやく見え始める頃です。

     

    ・今日この日太陽が、黄経315度の位置にあります。この日から数えて88日目を、八十八夜、210日を二百十日といいます。

     

     

    今日24日は、「世界対がんデー」の日です

     

    1980年まで、日本人の死亡原因のトップは、脳出血などの脳の血管にトラブルが起きる脳血管疾患でした。

     

    1981年からは、「がん(悪性腫瘍)」が死亡原因のトップとなりました。

     

    ・世界対がんデーは、「がんに関する啓発、教育を広め、世界の政府や

    個人に対してがん予防に向けた行動を呼びかける」世界統一キャンペーンで、スイスに本部を持つUICCが主催をしています。

     

    ・本年2019年、全国がん患者団体連合会理事会では、昨年よりUICC本部、並びに、日本委員会と協議を重ね、数々の統一行動を展開しています。


     梅の花(画像素材SwitchBox)

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    今日23日は、第11回冬季オリンピック札幌大会が、開催。

    197223日は、アジアで初の第11回冬季オリンピック札幌大会が、開催されました。

     

    213日までの11日間で、6競技35種目が行われ、35カ国から1,655人の選手が参加しました。

     

    ・開会式では、5万人が見守る中、聖火が二人の高校生の手で点火されました。

     

    70メートル級ジャンプでは、笠谷幸生選手が金メダル、今野昭次選手が銀メダル、青地清二選手が銅メダルを独占し、自国開催を、大いに盛り上げました。

     

     

    ・今日23日は、節分

    ・今日は、節分です。雑節のひとつで立春の前夜のことをいいます。

     

    ・本来は、道の考え方では、季節の変わり目に、陰と陽が対立して邪気を生じ災難をもたらすとされています。

     

    ・立夏、立秋、立冬の前夜も節分となりますが、現在は春の節分だけが行われています。

     

    ・邪気を払う行事として「福は内、鬼は外」の豆まき(追儺式)が生まれました。

     

    ・この儀式が庶民に広まり、季節の変わり目には邪気が生じると考えられていたため、この邪気を遠ざけるために、「やいかがし」と言って戸口にイワシの頭をヒイラギの小枝で指す地域もあります。

    今日22日は、ラムサール条約の日

    1971年の今日22は、イランのラムサールで、世界中の湿地の保全を目的とした条約が、採択されました。

     

    ・これは、湿地に関する条約です。

     

    ・正式名称は、特に水鳥の生息地として、国際的に重要な湿地に関する条約です。

     

    ・湿原や湖、沼などで生きている動植物を守る条約です。

     

    ・日本は、タンチョウ鶴の生息地の北海道の釧路湿原、千葉県の谷津干潟、石川県の方野鴨池、滋賀県の琵琶湖など、現在、50か所余りの湿地が、指定されています。

     

    ・この条約は、自然保護を目的とした初めての国際条約で、特に水鳥の生息地である湿地を守るために作られました。

     

    ・そしてこの日22日が、世界湿地の日に定められました。

     

    ・国土の70パーセントが山地である日本には、たくさんの川が流れています。川の水がたまると、湖や沼が出来ます。水辺の環境をまとめて、湿地といいます

     

    ・日本は、1980年に、鳥や魚、昆虫、植物が生きる環境を守る「世界湿地条約」(ラムサール条約)に加入しました。


         
           夕日の釧路湿原 (写真素材 ぱくたそ)
    AME20181123B003_TP_V(ぱくたそ素材)

    今日21日は、テレビ放送記念日

    ・1953年の今日21日午後2時、東京都千代田区内幸町の放送会館第1スタジオから、NHK東京テレビ開局祝賀会式に続き、菊五郎一座の舞台中継など、日本初のテレビ放送を開始しました。

     

    ・当時の受信契約数は、866台でした。その後、爆発的な勢いで増加しました。

     

    ・ちなみに、日本のカラ―放送は、1960910日からでした。

     

    今日21日は、自動車王のフォードの誕生日

    1863年の今日21日は、米自動車王のヘンリー・フォードの誕生日です。


    ・職工から身を起こし、1903年にフォードモーターを設立しました。

     

    ヘンリー・フォードは、「事実がわかっていなくとも、前進することだ。前進している間に、事実がわかってくるだろう」という積極的な姿勢の言葉を残しています。

     

    ・ヘンリー・フォードは、ベルトコンベアーによる大量生産方式の導入がコストダウンを、そして工員の労働条件・待遇改善が仕事の質や能率を向上させることに成功しました。


    ・ヘンリー・フォードは、自動車の普及に大きな貢献をしたことで知られる人物であり、「自動車の育ての親」と称されています。


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