今日は何の日

「今日は何の日」は、今日、過去に起こった注目すべき出来事等をご案内致します。

    「今日は何の日」は、今日、過去に起こった注目すべき出来事等をご案内致します。

    1968(昭和43)年517日は、「世界電気通信記念日」制定

    ・国連の専門機構である国際電気通信連合ITU)の前進の万国電信連合が、1865年のこの日の発足にちなんで、1968年の517日に「世界電気通信記念日」を制定しました。

     

    ・アメリカのサミュエル・モース電気技師が、1834年電信機を発明し、1844年に最初の電信事業を始めました。電信用回線もモースによって完成し、以後、電信は急速な勢いで、世界に普及しました。

     

    ・国際電気通信連合では、世界中の国々とより早く、より正確に連絡をする手段としての電気通信の普及と理解を広めるために、この記念日を設けました。

     

    ・一般財団法人日本ITU協会でも、この日を記念して、「世界電気通信日のつどい」を開催し、国際電気通信連合等における国際標準化活動に貢献した方々を「日本ITU協会賞」として顕彰するとともに講演会等の記念行事を開催していました。

     

    ・このような主旨を踏まえ、日本ITU協会では、世界情報社会が517日に祝われることになったこの機会を捉え、従来の「電気通信日のつどい」と「国際協力の日」を統合し、「世界情報社会・電気通信日のつどい」を設け、2008516日に第1回の祝典を開きました。ここでは、国際標準化活動の分野で貢献のあった方々と国際協力の分野で貢献のあった方々を併せて「日本ITU協会賞」として顕彰しています。

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    1975(昭和50)年516日は、「日本女性隊のエベレスト登頂成功」

    1975(昭和50)516日、女性だけで編成された登山隊久野英子隊長ら13人のうち、田部井淳子副隊長は、アン・ツェリン・シェルパとともに、世界最高峰のエベレストに女性として世界で初めて登頂に成功しました。

     

    田部井淳子副隊長が初めてのエベレスト登頂を果たした当時、彼女は36歳。実は、当時すでに結婚しており、子供もいるママさん登山家でした。

     

    ・登頂ルートは22年前、英国隊のヒラリー卿とシェルパのテンジンが初登頂した通常コースの東南稜でした。

     

    ・女性だけでエベレストを目指したのは、単純な理由がありました。女性だけであれば、男性との混合チームと比べ、体力や体格に差が少ないためペース設定がしやすく、着替えやトイレ等の気兼ねもないからです。少しのミスが命とりとなる登山では、この「女性だけ」という選択が、登頂成功の大きな要因でした。

     

    ・田部井淳子登山家は、その後、女性として初めてヒマラヤ山脈にあるシシャパンマの登頂に成功。また、キリマンジャロ(タンザニア)、アコンカグア(アルゼンチン)、マッキンリー(米国)、ビンソンマシフ(南極)と各大陸の最高峰の頂上を次々に成功し、カルステンツ・ピラミッド(インドネシア)、エルブルース(ロシア)登頂によって女性で世界初の7大陸最高峰登頂者となりました。

     

    ・田部井淳子氏は、エベレストのごみ問題をテーマに研究を進め、九州大大学院の博士課程を修了し、環境保全功労者として環境大臣賞を受賞しました。

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    1972(昭和47)年515日は、「沖縄本土復帰日」

    ・沖縄返還は、1972年(昭和47年)515日に、沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権がアメリカ合衆国から日本国に返還されたことを指します。

     

    ・日本国とアメリカ合衆国との間で署名された協定の正式名称は「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」です。日本の法令用語としては、「沖縄の復帰」といいます。

     

    1971年(昭和46年)617日に宇宙中継によって東京とワシントンで結ばれた「沖縄返還協定」が、1972年(昭和47年)515日午前零時をもって発効し、第二次世界大戦以来、27年間アメリカの統治下にあった沖縄県が日本に復帰しました。

     

    ・日本政府は「本土並み」の復帰を目指しましたが、実際には30以上の米軍基地や弾薬庫、演習場などが残され、本土との経済格差も残る結果となりました。

     

    2012年(平成24年)に沖縄県の本土復帰40年を迎えました。これを記念して、2012515日、沖縄県宜野湾市の沖縄コンベンションセンターにおいて、政府と沖縄県の共催で「沖縄復帰40周年記念式典」が開催されました。

     

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    1796514日は、「種痘記念日」制定日

    1796(寛政8)514日、イギリスのエドワード・ジェンナー医師が初めて種痘の接種に成功したことを受けて記念日に制定されました。

     

    ・種痘は天然痘の予防接種のことで、世界中で、「不治の病」、「悪魔の病気」と恐れられてきた代表的な感染症の1つだったものの、種痘の登場によって世界で初めて撲滅に成功した感染症となりました。

     

    ジェンナー医師は、天然痘の予防において、それまで行われていた人痘接種より安全性の高い種痘法を開発しました。

     

    ジェンナー医師は、1796514日、の接種実験を行い、天然痘の免疫をつくることに成功しました。

     

    ・当時、天然痘は死亡率が高く人々に恐れられていました。牛痘にかかった牛の膿を天然痘にかかったことのない人に接種することで、この病気を予防する方法を見つけたのです。

     

    ・その後天然痘ワクチンは改良されて世界で使われ、1980年には天然痘の根絶が宣言されました。

     

    ・ジェンナー医師のこの方法は病原菌の研究から発見したものではなく、20年間にわたって観察と研究、そして実験を行い、その結果生まれたものです。この原理は、フランスのパストゥールによってワクチン療法として知られるようになり、狂犬病など他の病気にも応用されるようになりました

     

    ・ジェンナー医師は、近代免疫学の父とも呼ばれています。

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    1935513日は、アラビアのロレンス事故死

    ・トーマス・エドワード・ロレンスは、イギリスの軍人、考古学者。オスマン帝国に対するアラブ人の反乱を支援した人物で、映画『アラビアのロレンス』の主人公のモデルとして知られています。

     

    ・ロレンスは、失意のうちにアラビアからイギリスに帰国後、1935513日に、オートバイで転倒し、意識不明のまま帰らぬ人となりました。

     

    ・ロレンスはアラブのファイサル1世とその配下のゲリラ部隊に目をつけ、強大なオスマン帝国軍と正面から戦うのではなく、ヒジャーズ鉄道沿線各地でゲリラ戦を戦うことを提案しました。

     

    ・第1次世界大戦(中東の戦い) シナイ及びパレスチナアラブ反乱は、第1次世界大戦当時のトルコはオスマントルコ帝国で 、ロレンスとアラブ人の部隊は、1917123日、800人ほどのトルコ軍が守る紅海沿いアル・ワジュを陥落し戦略的に重要な場所に位置するアカバを奇襲し、陥落させました。この功により、彼は少佐に昇進しています。

     

    1918年には、ロレンスは、ダマスカス占領に重要な役割を果たしたとして中佐に昇進しています。

     

    ・その後、アラブ人の反乱を支援したロレンスは、イギリス本国政府と対立し、失意のうちにアラビアを去りました。

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    1948(昭和23)年512日は、海上保安の日

    1948年(昭和23年)512日に海上保安庁が「開庁記念日」として制定しました。2000年(平成12年)512日から「海上保安の日」に改称されました。

     

    ・海上保安庁が194851日、運輸省の外局として発足し、512日、大久保武雄初代長官の手により庁舎屋上にコンパス・マークの庁旗が掲揚されました。

     

    ・創設時の旧組織はアメリカの沿岸警備隊をモデルに設立されました。

     

    ・「海上保安の日」は、海上保安庁の役割、活動をより一層理解してもらい、地域の人々に広く親しんでもらうことが目的です。

     

    ・海上保安庁は「海の警察」として海上の安全や治安の確保を図ることを任務とし、海難救助・海の交通安全の確保・防災や環境保全などを行っています。

     

    ・モットーは「正義仁愛」です。これは海上保安庁が発足した日、大久保初代長官が職員を前に「海上保安庁の精神は“正義と仁愛”である」と訓示したことによるもので、その伝統と精神が現在も受け継がれています。

     

    ・『海猿』(うみざる)は、作者佐藤秀峰氏、原案・取材小森陽一氏による日本の漫画です。この原作漫画は1999年より連載され2001年に完結したものの、翌2002年にテレビドラマ化、さらに2004年に映画化され、さらに続編も幾つか制作されました。

     

    ・漫画やテレビ、映画などで有名になった「海猿」 は、海上保安庁の潜水士のことを指す呼び名ですが、海上保安庁では、救難業務に従事する潜水士のことは、単に 「潜水士」 と呼びます。

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    1970(昭和45)年511日は、日本人初のエベレスト登頂記念日

    1970(昭和45)年の511日、松浦輝夫氏と植村直己氏は、日本人初となるエベレスト登頂に成功しました。

     

    ・松浦輝夫氏は、日本山岳会エベレスト登山隊に参加し、東南稜ルートのリーダーを務め、511日に植村直己氏とともに、日本人初のエベレスト登頂に成功しました。これに対して秩父宮記念賞を受けました。

     

    ・植村直己氏と先輩である松浦輝夫氏は協力して、日本人エベレスト初登場の偉業を達成しました。

     

    ・さらに松浦輝夫氏は、1981年、早稲田大学K2登山隊の隊長を務め、2隊員の西稜ルートからの初登頂を成功させました。

     

    ・ちなみに、1953(昭和28)529日、ニュージーランドのエドモンド・ヒラリーとシェルパ族のテンジン・ノルゲイが、世界で初めて世界最高峰のエベレストの登頂に成功しました。

     

    ・エベレストは、世界で最も高い山であり、最もよく知られた山の一つです。標高については諸説ありますが、1954年にインド測量局が周辺12ヶ所で測定し、その結果を平均して得られた8848mが一般に認められています。

     

    ・言わずと知れた世界一の高峰・エベレストは、ヒマラヤ山脈にありチベットとネパールに跨って位置しています。耳にすることも多いチョモランマという名称は、諸説ありますが、チベット語で『大地の母神』という意味があります。その名のとおり、世界一の頂には荘厳で神様が住んでいると思わせる光景が広がります。

     

    2013(平成25)年には、三浦雄一郎氏が、エベレスト登頂を果たし、世界最高齢登頂記録者となりました。

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    1950(昭和25)年510日は、日本気象協会創立記念日

    ・気象庁の外郭団体である日本気象協会が1950(昭和25)年のこの日に設立され、業務を開始しましたこの日を記念日として制定しました。

     

    ・同協会は1950510日に運輸省所管の「財団法人気象協会」として設立されましたが、国の公益法人制度改革に伴い2009101日に一般財団法人に移行しました。

     

    ・名称も「財団法人日本気象協会」から「一般財団法人日本気象協会」へと変更しました。

     

    1950年に気象協会として発足。その後,関西気象協会,西日本気象協会が設立され,1966年に三つの組織が合併して日本気象協会となりました。

     

    ・日本気象協会は、1950年に財団法人として設立して以来、気象・防災・環境に関する情報コンサルタント企業として60年以上の歴史を刻んでいます。

     

    ・近年、極端気象に代表される気象の激甚化や地球温暖化、人口、食糧、エネルギー問題など、世界を取り巻く状況が急速に変化してきています。

     

    ・このようななかで気象・地象・水象等に関する科学及び技術の進歩とその普及を使命とする日本気象協会の果たすべき役割もより一層大きくなってきています。

     
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    2003(平成15)年59日は、小惑星探査機「はやぶさ」打上げ成功

    2003(平成15)年59日に、小惑星探査機「はやぶさ」が、M-Vロケット5号機によって鹿児島県内野浦の宇宙空間観測所から打上げられ、予定の軌道に乗り成功しました。

     

    ・効率のいいイオンエンジンを搭載していることでも、注目されました。

     

    2005年には、3億キロ離れた小惑星「イトカワ」に到着し、表面の「塵」の採取を試みた後、地球に向かい、資料を入れたカプセルは、2010614日、オーストラリアの砂漠に落下し回収されました。

     

    ・本体とカプセルが大気圏突入した時の光の航跡がライブ中継されました。

     

    ・打ち上げから7年余、度重なるトラブルを克服しての帰還に大きな感動が湧きあがりました。

     

    ・カプセルからは、2000個を上回る微粒子が発見され、現在分析が進まれています。

     

    ・小惑星の物質が地球に持ち帰られたのは、世界初の快挙でした。

     

    『はやぶさ/HAYABUSA』は、20世紀フォックス映画製作・配給の監督は堤幸彦監督の日本映画です。

     

    ・日本の小惑星探査機「はやぶさ」のプロジェクトとそれに参加した人々を描き、2011101日に日本公開されました。

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    1948(昭和23)年58日は、世界赤十字平和デー

    1948(昭和23)年58日に、スウェーデンのストックホルムで開催された第20回赤十字社連盟理事会で、58日が赤十字の創始者アンリー・デュナンの誕生日であることから「世界赤十字平和デー」を記念日として制定しました。

     

    ・「赤十字の父」と呼ばれるスイス人のアンリー・デュナンは、1859年イタリア統一戦争の時、北イタリアのソルフェリノで、経験した惨状に心を痛め、篤志家たちを集めて敵見方関係なく救護にあたりました。

     

    1862年、その体験を、「ソルフェリノの思い出」にまとめ、戦争の際の中立的救護組織の必要性を訴えた。

     

    1863年、彼の呼びかけ「人類はみな兄弟」の言葉で、赤十字創立委員会が組織され、スイス政府の全面的な協力を得て、16カ国36代表による国際会議がジュネーブで開催されました。

     

    ・翌年の1964年の「ジュネーブ条約」で、万国赤十字社が発足しました。

     

    ・この条約の中で、「本会議開催に尽力ひたスイスに敬意を表するため、標識としてスイスの国旗の色を逆にした白地に赤十字を用いる」と規定しています。

     

    ・なお、アンリー・デュナンは、1901年に第1回ノ-ベル平和賞を受賞しました。

     

    ・日本赤十字でも、世界赤十字デーがある5月を赤十字運動月間として、活動を宣伝するイベントやキャンペーン等が全国各地で行われます。

     
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