今日は何の日

「今日は何の日」は、今日、過去に起こった注目すべき出来事等をご案内致します。

    「今日は何の日」は、今日、過去に起こった注目すべき出来事等をご案内致します。

    1963616日、「初の女性宇宙旅行」記念日

    1963(昭和38)6月16日の今日は、ソ連のワレンチナ・テレシコワ少佐が、宇宙船「ボストーク6号」から、「私は、かもめ」の呼び名を送ってきました。

     

    彼女は、人類初の女性宇宙飛行士で、地球を48周して、3日後に無事地球に帰還しました。

     

    彼女が、「宇宙へ行きたい」と思ったのは、19614月ガガーリン少佐が人類初の宇宙飛行を成功させた時だったといいます

     

    ・「男が飛んだから、この次は女の番だね」その日、何気ない母の言葉が、彼女の心を打ちました。

     

    ・戦争のため、幼くして父親を失ったテレシコワ少佐は、厳しい環境の中、女手ひとつで育ててくれた母親の存在が支えでした。

     

    彼女は、働きながら工学を学び、地元の航空クラブでスカイダイビングを行っていました。

     

    1962年、400人を超える候補の中から女性宇宙飛行士に選抜され、想像を絶する厳しい訓練を経て、念願の宇宙へ飛び立ちました。

     

    ・まさに、人類で初めて女性が宇宙に飛び出した瞬間でした。彼女は、宇宙から地球を見て故郷の母親を思いました。祖国の上空に差しかかると、「わが母と、世界のすべての母親の幸福を希望する」と感謝の気持ちを発信しました。

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    1870615日、「米100俵の日」記念日

    ・この「米百表の精神」を次世代に伝えていくことが目的で、長岡市が1870(明治3年)6月15日の国漢学校新校舎開校の日を記念して、「米百俵デー」に制定しました。

     

    ・長岡市米百俵財団は、「米百俵」の精神を普及・啓発するため、「米百俵デー市民の集い」を長岡市と共に毎年開催しています。

     

    ・この日に長岡市米百俵財団が、人材育成に大きく貢献した個人・団体に米百俵賞を贈呈しています。

     

    ・米百俵とは、幕末から明治初期にかけて活躍した長岡藩の大参事小林虎三郎藩士による教育にまつわる故事を言います。

     

    ・この逸話は、現在の辛抱が将来利益となることを象徴する物語として引用されています。

     

    ・幕末の戊辰戦争の一つ北越戦争で敗れた長岡藩は、74000石から24000石に減知され、実収にして6割を失って財政が窮乏し、藩士たちはその日の食にも苦慮する状態であった。このため窮状を見かねた長岡藩の支藩三根山藩から百俵の米が贈られることとなりました。

     

    ・藩士たちは、これで生活が少しでも楽になると喜んだが、藩の大参事小林虎三郎藩士は、贈られた米を藩士に分け与えず、売却の上で学校設立の費用とすることを決定しました。

     

    ・藩士たちはこの通達に驚き反発して抗議しましたが、それに対し大参事小林虎三郎藩士は、「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」と諭し、自らの政策を押しきりました。

     

    ・この米百俵の売却金によって開校したのが「国漢学校」であり、洋学局と医学局が設置されました。この学校は士族によって建てられた学校ですが、一定の学力に達した庶民の入学も許可されました。

     

    ・国漢学校は、現在の長岡市立阪之上小学校、新潟県立長岡高等学校の前身となりました。

     

    ・なお長岡藩江戸上屋敷にも国漢学校があり、長崎に医術の修行のため内地留学も出していました。

     

    ・この物語は「米百俵の精神」という言葉になり、小泉純一郎内閣総理大臣が、小泉内閣発足直後の国会の所信表明演説で引用されて有名になり、2001年の流行語大賞にも選ばれました。


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    1914614日、「五輪旗制定」記念日

    1914(大正3)年614日は、フランスのパリで開かれたオリンピック委員会で、オリンピック旗が制定されました。

     

    ・オリンピック復興20周年記念祭のため、オリンピックの創立者であるクーベルタン男爵が発案したものです。

     

    ・五輪のマークは五大陸を意味していて、色それぞれがどの大陸を指しているかは決まっていませんが、青がオセアニア、黄がアジア、黒がアフリカ、緑がヨーロッパ、赤がアメリカとする説もあります。

     

    ・近代オリンピックの象徴でもある五輪のマークは、五つの自然現象である火と水と木の緑・土の黒・砂の黄色とスポーツの5大鉄則である情熱と水分と体力と技術と栄養を、原色5色と5つの重なり合う輪で表現したものです。

     

    5輪の旗は、左から青と黄と黒と緑と赤の5つの輪がWになるように組み合わせたものです。

     

    5つの重なり合う輪はまた、平和への発展を願ったものであります。

     

    ・この五輪マークは、1914(大正3)年に、国際オリンピック委員会の創設20周年記念式典で披露されて、1920(大正20)年のアントワープ大会から使用されていますが、木綿で作られた五輪旗は一度盗まれ、1992(平成4)年のバルセロナ夏季大会から合成樹脂の五輪旗が使われているそうです。

     
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    2010613日、小惑星探査機「はやぶさ」帰還

    2010(平成22)年613日は、小惑星探査機「はやぶさ」は、地球と太陽を20往復する約60億キロメートルの距離を7年に及ぶ宇宙の旅を終えて帰還しました。このミッションの成功の偉業を記念しての「はやぶさ」の日です。

     

    ・この「はやぶさの日」は、宇宙航空研究開発機構の施設がある相模原市他の42町で構成される「銀河連邦」によって、記念日として制定されました。

     

    ・この記念日は、「はやぶさ」の開発や運用に関わった人達の「あきらめない心」と「努力する心」を、永遠に全国の人々に、伝えていこうという意味がこめられています。

     

    ・耐熱」カプセルから小惑星「イトカワ」で採取した微粒子約2000個が発見され、人類初の快挙に日本中が感動で湧きました。

     

    宇宙航空研究開発機構の相模原キャンパスは、この日の出来事で喜びに満ち溢れていました。

     

    ・小惑星探査機「はやぶさ」の落下地点は、オーストラリアのウーメラ砂漠でした。夜空に光る点となって現れた「はやぶさ」は、貴重なカプセルを切り離した後、残っていた最後のガスなどによって、爆発し、明るい光を放ちながら南十字星の方へ消えていきました。

     

    ・この感動的な本体とカプセルが大気圏に突入した時の光の航跡が、テレビでライブ中継されました。

     

    ・「はやぶさ」が帰還して、4年後の201412月には、種子島宇宙センターから、「はやぶさ2」が打ち上げられて、現在もなお宇宙の旅を続けています。

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    1961612日、「農業基本法」公布

    1961(昭和36)年612日は、農業基本法日の公布日です。

     

    ・政府は、国の農業に関する政策の目標と施策の方向を規定する「農業憲章」とも言うべき農業基本法の制定に取り組みました。同法は、1961年612日公布・施行されました。

     

    ・農業基本法は、農業に関する政策の目標を示すために制定された日本の法律です。1999年、食料・農業・農村基本法の施行によって廃止されました。それまでは、「農業界の憲法」という別名を持っていました。

     

    ・農業基本法の内容は、農業生産性の引き上げと農家所得の増大を目指した法であり、高度経済成長とともに広がった農工間の所得格差の是正が最大の目的でした。

     

    ・この法律によって農業の構造改善政策や大型農機具の投入による日本農業の近代化を進めました。

     

    ・結果として生産性を飛躍的に伸ばすことと農家の所得を伸ばすことには成功しましたが、大部分の農家が兼業化したことや、農業の近代化政策による労働力の大幅削減で農村の労働力が東京、大阪などの都市部へ流失し、農業の担い手不足問題の引き金となり、食料自給率低下の要因を作ってしまいました。

     

    ・農業基本法公布の目的は、戦後格差の開いた農民と都市勤労者の所得の均衡を図るとともに、農家の自立経営を目指して、経営規模を拡大し、畜産・果樹などの需要の伸びるものを増進するものでした。

     

    ・農業基本法は、農村に残った農家の経営規模の拡大を目指していましたが、多くの農家は、土地を手放したがらず、また,地価が高騰してしまったために農地の譲渡も進まず、零細的な経営から脱却することは、出来ませんでした。

     

    ・そこで、政府は、1999年、38年振りに、「新基本法」を制定して、食料の安定供給、農業の多面的機能の発揮、農業の持続的な発展、農村振興などの基本的施策を制定しました。

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    1942611日、「関門トンネルの開通した日」

    1942(昭和17)年611日は、世界初の海底トンネルの関門トンネルが開通した日です。

     

    ・本州と九州を結ぶトンネルを造り、鉄道を走らせることは、日本の長年の課題の一つでした。

     

    ・山口県の下関駅と福岡県の門司駅の間には、関門海峡があり、当時は、鉄道での連絡は無く連絡船に乗り換えなくてはなりませんでした。

     

    ・そこで、1936年に、関門海峡の下を掘り抜く関門トンネルの建設が始まりました。

     

    ・下関側からは、トンネルを直接掘り進めていく山岳工法、門司側からは、日本で初めてのシールド工法の技術が使われました。

     

    ・シールド工法とは、シールドマシンという巨大な鋼製の掘るための機械を、前進させていくもので、海底等の柔らかい土のある所でも、使用出来ました。

     

    1942611日に、単線下り線の試運転列車が走りました。世界で初めての海底トンネル3614メートルが、ついに開通しました。

     

    ・工事開始から、6年間での完成でした。さらに、2年後には単線上り線の2本目のトンネル3605メートルも開通しました。

     

    ・関門トンネルが、開通したことにより、本州と九州の行き来の時間は、大幅に短縮されました。

     

    ・開通から、70年以上経った今は、九州旅客鉄道が管轄し、山陽本線の在来線の列車が関門トンネルを利用しています。

     

    ・また、「関門トンネル」は山口県下関市と福岡県北九州市を結ぶ国道2号の別の海底トンネルと同じ呼び名ですので、この山陽本線の同名のトンネルと区別するために関門国道トンネルと呼ばれています。

     

    ・新関門トンネルは、西日本旅客鉄道の山陽新幹線新下関駅から小倉駅間にある鉄道海底トンネルです。関門海峡を横断する交通施設では最も新しいものであります。 19753月の開通当時は日本一長い鉄道トンネルでした。 

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    1959610日、「国立西洋美術館の開館日」

    ・今日1959(昭和34)年610日は、「国立西洋美術館の開館日」です。

     

    実業家の松方幸次郎氏が、長年にわたり、ヨーロッパで集めた美術品が、第二次世界大戦後、フランスに引き取られました。

     

    ・その後日本政府は、当該美術品の返還を、粘り強くフランス政府と交渉し、国内に西洋美術専門の美術館を造ることが等が、返還の条件となりました。

     

    ・そして、出来たのが、現在の国立西洋美術館で、1959610日に開館しました。

     

    ・国立西洋美術館は、東京都台東区の上野公園内にある、西洋の美術作品を専門とする美術館です。独立行政法人国立美術館が運営しています。

     

    ・松方幸次郎氏は、川崎造船所社長として隆盛を誇った第一次世界大戦の際、ヨーロッパで買い集めた絵画、彫刻、浮世絵は松方コレクションの名で知られ、その一部は国立西洋美術館の母胎となりました。

     

    ・松方幸次郎氏のフランスのパリに保管してあった約400点は第二次世界大戦後、敵国資産として、フランス政府に接収されました。この約400点が、今日一般に松方コレクションと呼ばれるもので、近代フランスの絵画・彫刻等が中心です。

     

    1951年(昭和26年)のサンフランシスコ平和条約締結の際、日本の吉田茂首相は、フランスのロベール・シューマン外相に松方コレクションの返還を要請しました。

     

    ・その後の日仏政府間の交渉の結果、フランス側は条件付きで返還に応じることとなりました。

     

    ・その条件とは、日本政府がコレクションを展示するための専用の美術館を設置すること、美術品の輸送費は日本側が負担すること、ロダンの作品『カレーの市民』の鋳造費は日本側が負担することの3つでした。

     

    ・日本側が美術品の「返還」を希望したのに対し、フランス側は、美術品はいったんフランスの所有となったものであり、フランスから日本へ「寄贈」するとの立場でした。

     

    ・このため、国立西洋美術館では「寄贈返還」という言葉を使い、パンフレット等にも「フランス政府から寄贈返還された松方コレクション」と紹介しています。

     

    20167月には、この建物を含む「ル・コルビュジェの建築作品」が、近代建築運動への顕著な貢献として、世界文化遺産に登録されました。

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    193369日、「ネッシーの日」記念日。

    ・今日は「ネッシーの日」です。イギリスのスコットランドのネス湖に巨大な怪獣が棲むという記事が写真とともにイギリスの新聞に掲載されました。それが、1933(昭和8)年のこの日69日です。

     

    ・ネッシーは、イギリスのスコットランドのネス湖で目撃されたとされる未確認動物「ネス湖の怪獣」の通称です。

     

    ・今まで大がかりなソナー探索が何度も行われ、「謎の物体」の水中写真が、一部分撮影されています。

     

    ・未確認動物の代表例として世界的に知られ、20世紀最大級のミステリーとして語られてきましたが、今はもう居ないとされています。

     

    ・記録として残されている最古の記録は西暦565年、アイルランド出身のコルンバ聖職者の生涯に関する伝記中で言及された、ネッシーの発見報告です。

     

    ・特に1933年以降、ネス湖で多くの目撃例が報告され、写真や映像が公表されてきた未確認動物の「ネッシー」の通称は世界的に使われていますが、日本においては特にこの名が浸透しています。

     

    ・科学の進歩で謎や不思議の少なくなった20世紀において、未確認飛行物体と並ぶ最大級のミステリーとして永く語られてきました。

     

    ・その正体については、目撃談や写真に捉えられた形状から、恐竜時代に栄えた大型水棲爬虫類である首長竜プレシオサウルスの生き残りという説が、古くから最も知られています。

     

    ・しかし、目撃証言や写真・映像の多くが、既知動物や船舶、流木、航跡、または波動など自然現象の誤認であるか、あるいは捏造と判定され、大型獣が生存している可能性を否定する動物学者が多いのが現状です。

     

    1987年の大規模なローラー作戦を始めとするソナー調査でも、大型生物は発見されていません。

     

    2018年には、「ネス湖のモンスターの最後の決定的な調査」が、多国籍なチームで、実施されましたが、この結果次第では、ネッシーの存在については、終止符が打たれそうです。

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    190268日、「成層圏発見」記念日。

     

    ・フランスのテスラン・ド・ボール気象学者によって、1902(明治35)年のこの日に、世界で初めて成層圏が発見され、この快挙を記念して、記念日が制定されました。

     

    ・成層圏は、一万メートル以上の上空で、気温が一定していて、気象の変化がなく、約50キロメートルの厚さで、地球を取り巻いている安定した大気の層のことをいいます。

     

    ・彼は、フランスの気象庁の長官を務めていましたが、退職後、フランスのベルサイユ近くに自分の研究所を設立し、そこで、風船に温度計を取り付けて飛ばし、上空の気象状態を観測しました。

     

    ・ここで、彼は、上空約11キロメートル付近に不連続面があることに気づきました。雲や雨などの気象現象は、この不連続面より下で発生している為に、この不連続面より上を成層圏、下を対流圏と名づけました。

     

    ・これにより、気象の立体構造が、次第に明らかになってきました、成層圏の高さ30キロメートル当たりまでを「オゾン層」といいます。このオゾン層は、地球を太陽の紫外線等から守っています。

     

    ・このオゾン層を守るために、日本では、1988年「オゾン層保護法」が定められ、オゾン層を壊す物質の生産や使用が、規制されています。

     

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    195567日、「母親大会」記念日の制定。

     

    ・「母親大会記念日」は、1955(昭和30)67日に初の日本母親大会が開催されたことを記念して設けられました。

     

    1954年のビキニ環礁でのアメリカの水爆実験を受けて、日本婦人団体連合会が、国際民主婦人連盟に原水爆禁止を提案し、世界母親大会が、スイスで開かれることになり、これに先立って、平塚らいちょう国際民主婦人連盟副会長らの呼びかけで、第1回日本母親大会が、東京豊島公会堂で開催され、約2千名が参加しました。

     

    ・その日のスローガンは、「生命を生み出す母親は、生命を育て、生命を守ることをのぞみます」という力強いものでした。そして、スイスでの世界母親大会への日本の母親代表を送ることを決定しました

     

    ・日本の母親たちの社会活動の意識が、この大会によって高まりました。

     

    ・この記念日には、生命と暮らし子供と教育、平和、女性の地位向上等に関する分科会や講演会等が開催されます。

     

    ・現在では、第1回から、60年余続いていますが、「ポストの数ほど保育所を」の保育所づくり運動、小児麻痺ワクチン緊急輸入運動など、この母親大会から生まれた運動も多く、大きな成果をあげています、そして、47都道府県の実行委員会と50の中央団体が参加しています。

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