今日は何の日

「今日は何の日」は、今日、過去に起こった注目すべき出来事等をご案内致します。

    「今日は何の日」は、今日、過去に起こった注目すべき出来事等をご案内致します。

    1992912日、「宇宙の日」

    1992(平成4)年912日は、毛利衛さんが、日本人宇宙飛行士としては、スペースシャトル「エンデバー」で、初めて宇宙に飛び立ったことを記念して、日本国際宇宙年協議会が、「宇宙の日」を制定しました。

    ・この日、毛利衛さんは、無重力状態の世界を紹介し、青少年に大きな夢と希望を与えました。

    ・この年は、国際宇宙年に当たり、科学技術庁や文部省宇宙科学研究所などが、一般から、「宇宙の日」にふさわしい日を募集したところ、この日に圧倒的多数で決まりました。

    1992年は「国際宇宙年」です。世界中が協力して、「宇宙や地球環境について考えましょう」と宇宙への国際協力が始まった年でした。

    ・日本でも末永く、宇宙の普及活動を続けていきましょうと、一般の方々から「宇宙の日」にふさわしい日を募集しました。その結果、毛利衛さんが日本人宇宙飛行士としてスペースシャトル「エンデバー」で、初めて宇宙へ飛び立った日の912日が「宇宙の日」に選ばれました。

    ・それ以降、毎年「宇宙の日」を含む、約1ケ月間を「宇宙の日」ふれあい月間として、青少年向けの宇宙イベント「宇宙ふれあいフェスティバル」や「宇宙」をテーマにした作文・絵画コンテストを開催しています。

    ・実は毛利さんよりも前に、宇宙に行った日本人がいます。1990年、当時TBSの社員で、記者をされていた秋山豊寛さんです。

    ・日本人として初めて宇宙へ行ったのは秋山さんで、初めてスペースシャトルに乗って宇宙へ行ったのは毛利さんです。

    1992年に、毛利さんの宇宙飛行が成功し、宇宙からの授業やリポートによって、たくさんの日本人が、宇宙がより身近な存在だと感じることが出来ました。

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    2001911日、「アメリカ同時多発テロ事件」

    2001(平成13)年911日午前845分から10時半頃までの短時間に、アメリカ合衆国で同時多発テロが発生しました。テロリストが、乗客を乗せた旅客機4機をハイジャックし、ニューヨークの超高層双子世界貿易センタ―ビル2棟に、1機ずつ激突して同ビルは崩壊しました。別の1機は、ワシントンの国防相ビルに突入、4機目は墜落の大事件が発生しました。

    アメリカ合衆国で同時多発的に実行された、イスラム過激派テロ組織アルカイダによる4つの一連のテロ攻撃による死者は2996人、負傷者は6000人以上であり、インフラ等への物理的損害による被害額は最低でも100億ドルを超えるとされています。

    ・アメリカ政府はこのテロ事件をイスラムの反米過激派国際テロ組織の黒幕といわれるオサマ・ビンラディンとそのグループの犯行と断定し、200110月には、ビンラディンを支援する過激なイスラム原理主義勢力であるタリバンが支配するアフガニスタンに報復攻撃を加え、同年11月アフガニスタンにおけるタリバン政権は崩壊しました。

    ・この事件を契機として、国際テロ組織の脅威が世界的に認識されるようになり、アメリカはテロとのグローバル戦争の標語を掲げて、アメリカ合衆国と有志連合はアルカイダやアルカイダに支援を行った国への報復としてアフガニスタン紛争、イラク戦争を行いました。さらには、その後に続くイスラム過激派を相手取った対テロ戦争の本格的な起点にもなりました。

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    1961910日、「下水道の日」

    1961(昭和36)年910日、建設省(現・国土交通省)と下水道を管理する厚生省が、下水道の整備促進と広く国民の理解と協力を呼び掛けるために、「全国下水道促進デー」を制定しました。

    ・「下水道の日」は、1961(昭和36)年、当時の普及率が約6ポイントと著しく遅れているわが国の下水道の全国的な普及を図る必要があることから、「全国下水道促進デー」として始まりました。

    910日と記念日が定められましたのは、下水道の大きな役割の一つである「雨水の排除」を念頭に、台風シーズンである210日を過ぎた220日が適当であるとされたことによるものです。

    ・それから約40年が経過し、日本における近代下水道の基である旧下水道法が制定された1900(明治33)年から100年を迎え、2001(平成13)年が21世紀のスタートの年にあたることなどから、近年の下水道に対する認識の高まりもあり、より親しみのある名称として「下水道の日」に変更されました。

    ・今後も、これまでと同様に、910日を中心とした前後1週間の間、下水道事業者である地方公共団体による各種催しが全国で展開されます。国土交通省では、毎年開催される「いきいき下水道フェスティバル」において、国土交通大臣賞道の表彰が行われます。

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    198299日、「救急の日」

    1982(昭和57)年99日、厚生省(現・厚生労働省)と消防庁が、国民に救急業務や救急医療の大切さを理解してもらうために、99日に「きゅう・きゅう」の語呂合わせから記念日に制定しました。

    ・救急医療に関する国民の知識及び技術の水準をより向上、充実させるためには、医療関係団体はもとより、民間団体や国民各位のご協力と救急医療に関する普及啓発を図ることが不可欠です。こうした趣旨のもとに、厚生労働省と消防庁は、「救急の日」(99日)及び「救急医療週間」を設定し、地方公共団体、日本医師会、一般社団法人日本救急医学会及び全国消防長会と協力して毎年共催事業を行い、救急医療関係者の意識の高揚を図るとともに、救急医療及び救急業務に対する国民の正しい理解と認識を深めるための活動を行っています。

    ・厚生労働省においては、長年にわたり救急医療の確保、救急医療対策の推進に貢献した団体及び個人に対し、毎年「救急の日」に厚生労働大臣表彰を行っています。

    ・救急の日は、救急車利用や応急手当の正しい知識の再確認や、救急医療関係者の士気の向上を目的とされています。

    ・救急車は、全国平均で、約8秒余に1回出動しています。3分呼吸が止まると、蘇生率は、約50ポイントに落ちます。人工呼吸や心臓マッサージなどの応急手当を、一人でも多くの人に会得してもらいたいものです。

    ・消防庁では、「救急の日」及び「救急医療週間」は、救急業務及び救急医療に対する国民の正しい理解と認識を深め、救急医療関係者の意識高揚を図ることを目的に、期間中、全国各地において、毎年各種行事が開催され、「救急功労者表彰式」を開催しています。

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    195198日、「サンフランシスコ講和条約調印」

    1951(昭和26)年98日、アメリカのサンフランシスコで、日本と連合国48カ国との間で、27カ条からなる対日講和会議が開かれました。

    ・その最終日のこの日、吉田茂全権大使が、サンフランシスコ対日講和条約と前文と5カ条からなる日米安全保障条約に調印しました。この両条約は一体のもので、対日講和会議は、翌年の428日に効力を発生しています。日米安全保障条約は、同条約の批准後に効力が発効しています。

    ・日本国との平和条約は、第二次世界大戦におけるアメリカ合衆国をはじめとする連合国諸国と日本との間の戦争状態を終結させるために締結された平和条約です。

    ・この条約を批准した連合国は日本国の主権を承認しました。国際法上はこの条約の発効により日本と、多くの連合国との間の「戦争状態」が終結しました。

    ・しかし、連合国構成国であるソビエト連邦は会議に出席しましたが条約に署名しませんでした。連合国構成国である中華民国および連合国構成国であるインドは会議に出席しませんでした。その後、日本はインドネシア、中華民国、インドとの間で個別に講和条約を締結・批准しています。

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    189297日、「世界初のヘビー級ボクシングのタイトルマッチ開催日」

    189297日、アメリカのニューオリンズで、グローブを着けて行う、世界初のヘビー級タイトルマッチが、行われました。

    ・最初の公認世界ヘビー級タイトルマッチは、189297日、ジョン・ローレンス・サリバン選手とジェームス・J・コーベット選手との戦です。コーベット選手は、サリバン選手を21回にKOし勝利をおさめました。

    ・この日の世界戦において、コーベット選手は相手との距離を長くとりながらフットワークでパンチをかわし、左の軽いパンチ(ジャブ)を当てるという戦法でサリバン選手を21KOし勝利を収めました。

    ・この試合は、当時のボクシングは両者が足を止めて殴り合い、どちらがより屈強であるかを競う「スタンド・アンド・ファイト」と呼ばれるスタイルが圧倒的多数を占めていたため、この試合がボクシング史上初めて、アウトボクシングというスタイルが試合で使用された例とされます。

    ・当時は、現在のように世界タイトルマッチのラウンド数の規定はなく、21回で決着が着きましたが、1930年代の半ば前には慣例として「世界タイトルマッチ15回戦制」が事実上成立しました。

    ・この日の世界戦で採用されたルールは、クインズベリー・ルールとは、19世紀のイギリスで初めてボクシングの競技にグローブ着用などを義務づけた現在のボクシングの基礎となるルールでした。

     

    ・ルールの内容 は、「1ラウンドを3分」、「インターバル1分」、「5オンスグローブ着用」、「投げ技の禁止」、「10カウント以内に立ち上がれない場合はKO負け」。

     

    ・世界ヘビー級タイトルマッチでは189297日、ジョン・L・サリバン選手対ジェームス・J・コーベット選手からこのルールが適用されました。

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    152296日、「マゼラン艦隊世界一周達成日」

    ・大航海時代のポルトガルの航海者で探検家であったフェルディナンド・マゼラン氏は、15198月に始まった航海でスペインの艦隊の隊長でしたが、マゼラン隊長自身は航海半ばの1521年にフィリピンで戦死したものの、部下のスペイン人のフアン・セバスティアン・エルカーノ氏が艦隊の指揮を引き継ぎ、1522年のこの日に史上初となる世界周航を達成しました。この結果、地球が丸いこと等が、実証されました。

    ・この航海では、当初237人が乗り込む5隻の大船団で、15198月にスペインのセビリアの港を出向しましたが、3年余りの内で、200人以上を失うという悲惨な航海となり、ビクトリア号1隻だけが、1522年のこの日に、18人がセビリア港に帰港しました。

    1519年スペイン王の信任を得てスペイン船5隻の艦隊を率いてスペイン・セビリア港を出発したマゼラン氏は南アメリカ大陸南端のマゼラン海峡を発見して太平洋に到達し、マゼラン氏は途中1521年フィリピンで戦死しましたが、残された艦隊が1522年に史上初めての世界一周を達成しました。

    ・マゼラン氏自身は世界一周を成し遂げてはいませんが、人類初の世界一周航海を達成した艦隊は「マゼランの艦隊」として後世に名を残しています。

    ・マゼラン海峡のほか大マゼラン雲・小マゼラン雲、宇宙探査機マゼランなど多くの物が「航海者マゼラン」の名にちなんで名付けられ、また南米パタゴニアや太平洋の名はマゼラン氏が名付けたとされています。

    ・マゼランの功績は太平洋の広大さの発見により地球の概ねの大きさを示し、世界の地誌の確立に大きく貢献したことです。

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    199295日、「石炭の日」

    1992(平成4)年95に、通商産業省(現在の経済産業省)及び資源エネルギー庁が、エネルギー政策に沿って、石炭をエネルギー資源として見直し、研究していこうという趣旨の呼びかけにより、日本鉄鋼連盟・電気事業連合会・日本石炭協会等8団体が構成するクリーン・コール・デー実行委員会が、ク(9)リーン(5)コールの語呂合わせで制定しました。

    ・世界の石炭の埋蔵量は、石油の40年分に対して220年分もとあると推定されています。石炭は、液化やガス化によって発生する排気ガス問題も改善されて、石炭も見直そうという趣旨で設けられました。

    ・エネルギー源としての石炭のイメージアップを図り、ほかの化石燃料に比べて二酸化炭素の発生量が多い石炭をクリーンなエネルギーとするための技術開発に取り組んでいることを広告する日です。火力発電所の一般公開等が行われています。

    ・最近では、石炭は石油に比べ効率の悪かったエネルギー出力も、ミクロ単位で燃焼させる技術を確立させたことで、石油に勝るとも劣らないエネルギーを生み出せるようになりました。その効果は目覚しく、日本の電力の27%程をカバーするほどの成果です。また、もうひとつの課題であった大気汚染物質の排出も格段に減らすことにも成功しました。

    ・将来的には、石炭ガス化技術の開発によって、石炭から水素を製造し利用する計画もあり、未来のエネルギー社会への夢が拡がります。石炭が再び主要エネルギーとして活躍できる日がまたやってくるかもしれません。

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    199494日、「関西国際空港」開港の日

    1994(平成6)年94午前0時に、大阪湾の泉州沖5キロメートルに、世界初の本格的な海上空港である関西国際空港が開港しました。

    ・関西には、兵庫県伊丹市に、大阪国際空港がありましたが、騒音などの問題があったため、将来の航空輸送を考えて関西国際空港を造りました。

    ・記念すべき第1便は、午前61分に到着したグアムからの日本航空メモリアル臨時便でした。

    ・関西国際空港は、空港法上の拠点空港であり、成田国際空港、中部国際空港とともに日本を代表する空の玄関口として国際拠点空港のひとつと位置づけられています。

    関西国際空港は、西日本の国際的な玄関口の空港として、また、関西三空港のひとつとして大阪国際空港、神戸空港とともに関西エアポート株式会社によって一体運営が行われています。

    ・関西国際空港は、「西日本を中心とする国際拠点空港であり、関西圏の国内線の基幹空港と位置づけられており、関西三空港で唯一、定期国際線が就航しています。

    ・関西三空港は現在すべて関西エアポート社が運営しています。20163月期には成田国際空港を上回る460億円の営業収益をあげるなど、「日本一稼げる空港」になりました。

    ・関西国際空港は、2007年にB滑走路が完成し、完全24時間運用が可能になり、日本発の24時間運用空港となりました。

    ・関西国際空港は、最近は格安航空会社の誘致に熱心で、2017年には格安航空会社の就航数となる国際線の第2ターミナルも完成しました。

    ・格安航空会社の就航数のハブ空港として急激に利用者と存在感を増しつつあります。

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    197793日、王選手が「756号ホームラン」達成の日

    1977(昭和52)年93の今日は、巨人軍の王貞治選手は、後楽園球場で、ヤクルトの鈴木康二朗投手から世界新記録となる通算756号本塁打を達成しました。アメリカ大リーグの、ハンク・アーロン選手の持つ755本を抜き、世界新記録を達成しました。

    ・ハンク・アーロン選手は、1976年まで現役を続けた大リーグのホームランバッターでしたが、その引退の翌年に王選手が世界記録を達成しました。

    ・現役引退まで、通算868本の本塁打を生み出し、現在まで、この記録は、破られていません。

    ・王選手は、1977(昭和52)年、国民栄誉賞第1号を受賞しました。2010年には文化功労者として顕彰されました。

    ・投手として選抜高校野球優勝の経験を持つ王選手は、プロ野球入り後、打者に転向し、荒川博コーチの荒川道場での特訓から、「一本足打法」が誕生しました。

    ・王選手の名言には、「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。」があります。

    ・恩師・荒川博コーチの勧めで取り組み始めた一本足打法が固まり、本格的になるには、プロ入り4年目からです。その間の血のにじむような努力は、荒川コーチ宅でバットを振り込んで畳が擦り減ったことや、天井から吊るした紙を刀で切っていたなど、数々のエピソードからもわかります。

    ・その間に積み重ねていた荒川コーチとの二人三脚での努力。黙々と努力を続けられた王選手の我慢強さ、忍耐力には、心から敬服します。

    ・一本足打法の完成から始まった、その後の成功物語は、練習して自己満足で終わるのではなく、正しい方法で報われるための真の努力を続ける。この名言には、実に重みがあります。

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