今日は何の日

「今日は何の日」は、今日、過去に起こった注目すべき出来事等をご案内致します。

    「今日は何の日」は、今日、過去に起こった注目すべき出来事等をご案内致します。

    1985922日、「国際ビーチクリーンアップデー」制定日

    1985(昭和60)922日は、この日は、アメリカのサンフランシスコに本拠をもつ海洋自然保護センターが、この日から海岸の清掃活動を行っており、この日を記念日としています。

    ・日本は、環境ボランティア団体の「クリーンアップ全国事務局」が中心になって、1990年のこの日から参加しています。

    ・世界各国で、具体的には、922日に近い週末に、世界各地で一斉に海岸のゴミを拾い集めるゴミを拾い集めて、その種類、数量などを調べることのよって、海岸のゴミが、どこで発生し、地球環境にどのような影響を与えているのかを調査するのが、目的です。世界共通のデータカードに、拾ったゴミを記録して、これを分析して、行政当局に指摘しています。

    ・日本でもクリーンアップ全国事務局によって1990年から「国際ビーチクリーンアップデー」が実施されており、クリーンアップ全国事務局によるクリーンアップ・キャンペーンは、アメリカの環境NGO「オーシャン・コンサーバンシー」の呼びかけに応えて、日本とつながっている海のゴミ問題を解決するために始まったものとなります。

    ・正確な実態の把握はなされていないものの海洋には無数のゴミが漂流していると考えられており、主にマイクロプラスチックは増加し続けて海洋生物に打撃を与えているほか、一部は海岸に漂着して沿岸地域に汚染被害をもたらしています。

    ・海のゴミを減らすにはゴミ拾いに参加しなくても、個人レベルでできることは数多くあります。川や海からゴミを追放するには、川や海、川に水が流れ込むところにゴミを捨てないようにすることが根本的な解決策であることはいうまでもなく、私たちの生活ゴミを減らすことがとても重要なのです。

    ・たとえ小さなことでも最終的には大きな結果となってくるので普段の生活から見直すことがとても大切なのです。

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    1981921日、「国連・国際平和デー」制定日

    1981(昭和56)921日は、この日は、国際連合総会で、「国連・国際平和デー」を制定しました。この日は、国際連合総会の通常会が始まる日に当たり、平和の理想を称え、強化する日とされ、国際連合事務総長による記念メッセージが全世界に向けて発表されます。

    国際平和デーとは、国際連合で定められた記念日であり、毎年921日とされています。非暴力と世界の停戦の日として、敵対行為の停止を世界の国々と人々に呼び掛けることを目的としています。

    ・毎年この日には、国際連合本部ビルで平和の鐘が鳴らされます。この鐘は、当時の国連加盟国60ヶ国の子供から集められた硬貨で鋳造され、日本政府から国際連合に寄贈されたものです。鐘には、「世界絶対平和万歳」と鋳込まれています。

    ・国際平和デーには、すべての国、すべての人々にとって共通の理想である国際平和を記念し、推進していく日として、すべての国際連合加盟国、国際連合機関、地域組織やNGO、そして個人に対して、この日を適切な方法で祝うよう呼びかけています。

    ・国際連合が「国際平和デー」を最初に宣言したのは1981年です。従来、「国際平和デー」は毎年9月の国連総会開会日に制定され、開会式では各国代表がこの日を記念して1分間の黙祷を行うことが慣例となっていました。

    2002年からは、毎年921日を「国際平和デー」に定め、以後、世界の停戦と非暴力の日として、すべての国と人々に、この日一日は敵対行為を停止するよう働きかけています。

    ・この他、毎年、国連広報局が近郊の学校の生徒や各国の若者を国連本部に招き、「国際平和デー」を記念した交流プログラムを開催しています。そのハイライトとして、子どもたちが国際連合旗と国際連合加盟国の国旗を掲げながら一国一国の平和を願うセレモニーが行われます。

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    1911920日、「空の日」

    1911(明治44)920日は、山田猪三郎氏が考案した山田式飛行船が、東京上空を、1時間程の初飛行に成功したことを記念して、1940(昭和15)年に、「航空の日」と定められ、民間航空再開40周年の1992(平成4)年)920日に、航空の安全と一層の成長を願い広く国民に親しまれるようにアピールしていくのが目的で、運輸省(現在の国土交通省)航空局が「空の日」へ改称しました。

    ・山田猪三郎氏は、和歌山県生まれの日本の飛行船開発に尽力した先駆者です。串本大島沖で起きたイギリスの貨客船ノルマントン号遭難事故をきっかけに救命具の製作を始めた山田猪三郎氏でしたが、その後軍用の気球の製作に転じます。この気球の製作・研究の成果が実り、日露戦争の際にも使用されることとなりました。

    ・その後、気球製作で得られた経験をもとに飛行船の製作にも着手し、遂に1911920日、わが国初の東京の空に初めて飛行船が飛び立ち飛行し、東京上空一周飛行に成功しました

    ・さらに、より多くの方々に航空への理解と関心を高めてもらうという趣旨で、運輸省(現在の国土交通省)航空局によって、「空の旬間」(920日から30日)が設けられ、空の日を挟むこの期間には、全国各地の空港などで航空に関するさまざまな催し物が実施されるようになりました。

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    1870919日、「苗字の日」

    1870(明治3)919日は、太政官布告により、平民も苗字を持つことが許されました。これを記念して、この日は、「苗字の日」となりました。

    ・明治政府が国民の戸籍を整理するためと、役人(華族及び士族)、農民、職人、商人の四民平等の実現からが、苗字制定の趣旨でした。

    ・明治維新の後、明治新政府により従来の身分制度の再編が図られ、1870(明治3)年919日に「平民苗字許可令」(太政官布告第608号)が定められました。この布告では初めて「平民」の語を用いて、華族及び士族の家柄に属さない平民に「苗字」の使用を許可しました。しかし、当時の庶民(平民)には、あえて苗字を使用しない者も多かったため、1875年(明治8年)に改めて名字の使用を義務づける「苗字必称義務令」を出しました。

    ・ただし、庶民の平民が公に苗字を名乗ることが控えられていたのであって、苗字自体は庶民の多くも保持・先祖以来していたとされます。「平民苗字必称義務令」でも、新たに苗字を設けることは例外とされていることから、原則として、「先祖以来」の苗字を称えることが想定されていました。

    1875年(明治8年)213日に平民苗字必称義務令が出されたことから、この日を「苗字制定記念日」といい、1870(明治3)年919日に平民苗字許可令が公布されたことから、1870(明治3)年919日は「苗字の日」とされています。

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    1953918日、「京都で国際物理学本会議開催日」

    1953(昭和28)918日は、京都大学基礎物理学研究所で、戦後初の国際的な「理論物理学に関する国際会議」が開催されました。

    ・京都大学基礎物理学研究所は、京都大学の湯川秀樹博士が日本人として初めてノーベル物理学賞を受賞したことを記念して創設されたもので、この会議が日本における戦後初の国際会議でした。

    ・出席者は、経路積分などで知られるリチャード・P・ファインマン電磁物理学者や、原子核物理の対称性原理を発見したユージン・ポール・ウィグナー博士、半導体と超伝導体の研究で2度のノーベル賞に輝いたジョン・バーディーン博士などの顔触れで、日本の研究者と海外の研究者の交流を促進する大きなきっかけとなりました。

    ・国際理論物理学会は、19539月、ネヴィル・モット物理学者と湯川秀樹博士を会長に、東京と日光と京都で開催された日本初の国際会議です。素粒子と物性などが4日間にわたり議論されました。

    ・湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞した4年後に開かれたこの学会には多額の寄付が寄せられ、日本国内で連日大きく報道されました。京都は京都大学の湯川記念館、楽友会館、人文科学研究所が会場となりました。海外からは55名、日本からは約500名の科学者が参加しました。

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    1964917日、「都市交通の東京モノレール」開業日

    1964(昭和39)917日は、東京オリンピックが開幕する3週間ほど前の1964917日、東京モノレールが開業しました。羽田空港と浜松町の間を約15分で結びました。

    ・これは、日本初の旅客用で、世界的に見ても、初めての本格的な都市交通機関としてのモノレールでした。

    ・当時、最新鋭の東京モノレールは、各国から訪れるオリンピック選手たちを運びました。

    ・東京オリンピックが開催されたこの年は、競技場や宿泊施設、競技場までの輸送施設、東海道新幹線や首都高速道路網、地下鉄などが整備されました。そして、都市上空の高架軌道上を走る交通機関として導入されたのが、東京モノレールです。

    ・モノレールをはじめ、街の上空を有効に利用する交通システムは、交通の円滑化を実現するとともに、車窓からの魅力を再発見する機会を私たちに与えてくれています。

    ・モノレールは軌道をまたいで走る「跨座型」と、ぶらさがる「懸垂型」に大別され、国内で現在運行する最古のモノレールは上野動物園にある懸垂型です。

    ・東京モノレールは跨座型の本格的な都市交通として、東京五輪開催直前に開業しました。全長17.8キロで、開業50周年の2014年度末までの乗客数は総計18億3千万人以上を数えます。

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    1995916日、「国際オゾン層保護デー」制定日

    1995(平成7)916日は、国連総会において、1995(平成7)年の国連総会で「916日を国際オゾンデーとする」ことを決議しました。国際デーの一つです。オゾン層を保護する国際的な取り組みが実を結び、現在では、オゾン層は回復傾向にあります。

    ・我が国では、9月を「オゾン層保護対策推進月間」として、毎年、オゾン層保護やフロン等対策に関する様々な普及啓発活動を行っています。

    ・なお、国連環境計画では、1995年からモントリオール議定書が採択された916日を「国際オゾン層保護デー」と定めています。

    ・地上から1050km上空の成層圏と呼ばれる領域のオゾンが豊富な層は、オゾン層と呼ばれ、生物にとって有害な太陽からの紫外線の多くを吸収し、生命にとって有害な紫外線が地上に降り注ぐ量を和らげています。

    ・なお、我が国では、環境省は「9月をオゾン層保護対策推進月間」と定め、毎年、オゾン層保護やフロン等対策に関する様々な普及啓発活動を行っています。

    ・気候変動枠組条約に基づき、1997(平成9)年12月、京都市で開かれた地球温暖化防止京都会議において、先進国に温室効果ガス排出規制を課す京都議定書が採択されました。しかし、世界最大の二酸化炭素発生国であるアメリカ合衆国が国内事情により締結を見送っています。

    ・国連広報センターの最新の情報によれば、国連オゾン事務局は、下層大気や成層圏におけるオゾン層破壊物質が減少しているとの明らかな証拠があり、また期待される大気中の「オゾン層回復」の初期兆候も見られるとの文書を発表しました。また、オゾン層破壊物質の排出を排除し続けるならば、2035年までにはオゾン層が1980年以前のレベルにまで回復するであろうと述べました。

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    1966915日、「老人の日」制定日

    1966(昭和41)915日は、兵庫県多可群野間谷村で発案された、「としよりの日」が、915日に制定されたことから、長年に渡って社会に貢献してきた老人を敬い、長寿を祝う日として、国民の祝日に制定されました。

    ・敬老の日は、2002(平成14)年までは、915日に定められていましたが、この日以降は、9月の第3月曜日に、変更されて、この日をスタートに1週間を「老人週間」としています。

    ・兵庫県多可郡野間谷村で、1947(昭和22)年915日に村主催の「敬老会」を開催したのが「敬老の日」の始まりであるとされる。これは、野間谷村の村長が、「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」という趣旨から開いたものです。

    915日という日取りは、農閑期に当たり気候も良い9月中旬ということで決められました。これが全国に広がりを見せ、国民の祝日「敬老の日」制定となりました。

    ・さらに1966年(昭和41年)に国民の祝日に関する法律が改正されて国民の祝日「敬老の日」に制定されるとともに、老人福祉法でも「老人の日」が「敬老の日」に改められました。

    ・このほか、この日は、聖徳太子が、悲田院という身寄りのない病人や孤児の救護施設を大阪の四天王寺に建立した日と伝えられ、敬老の日をこれに由緒づける主張もあります。

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    1900914日、「女子英学塾」開校日

    1965(明治33)年914日は、日本初の女子留学生だった津田梅子氏が、現在の津田塾大学の前身である「女子英学塾」を開校しました。

    ・女性の高等教育をめざす私塾「女子英学塾」として、1900年に産声を上げた津田塾大学。津田梅子創立者は、女性の地位向上こそ日本の発展につながると信じて、「男性と協同して対等に力を発揮できる女性の育成」を目指し、女性の高等教育に生涯を捧げました。

    ・津田梅子創立者は、19007月に「女子英学塾」の設立願を東京府知事に提出して、認可を受けると東京麹町区に開校し、塾長となり、華族平民の別のない女子教育を志向して、一般女子の教育を始めました。

    ・女子英学塾は、それまでの行儀作法の延長の女子教育と違い、進歩的で自由なレベルの高い授業が評判となりました。学生や教師の増加、拡張のための土地・建物の購入費など経営は厳しかったが、1903(明治36年)には専門学校令が公布され、塾の基盤が整うと申請して塾を社団法人としました。塾経営の基礎が整うと1919(大正8)年)1月に塾長を辞任しました。

    ・女子英学塾は津田英学塾と改名するも、津田塾大学として正式に開校したのは津田梅子創立者没後19年目の1948(昭和23年)のことでした。

    ・女子高等教育に熱き思いを傾けた津田梅子創立者、その教育姿勢は現在の津田塾大学にしっかりと根づいています。

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    1992913日、「世界の法の日」宣言

    1965(昭和40)年913日は、アメリカのワシントンDCで、「法による世界平和」についての国際会議で宣言されました。

    ・この会議で、国際間に法の支配を徹底させることで、世界平和を確立しようという宣言が採択されたことを記念したものです。

    ・「世界の法の日」は、「法による世界平和第2回世界会議」が開催された913日を記念日としています。

    1961(昭和36)、東京で開催された「法による世界平和に関するアジア会議」で「世界法の日」の制定が提唱され、2年後の1963年アテネで開かれた「法による世界平和第1回世界会議」で可決され、第2回ワシントンでの世界会議で宣言されたものです。

    1965(昭和40)913から920日までアメリカ合衆国のワシントンで「法による世界平和第2回世界会議」が開催され、そこで、何人も正式な法律以外に支配されることはないという「法の支配」を国際間で徹底させることで世界平和を確立しようという宣言が採択されたことを記念したものです。

    ・これを受けて、1965(昭和40)913日からワシントンで開催された「法による世界平和に関する第2回世界大会」で、この日を「世界の法の日」とすることが宣言されました。「法の支配」への貢献という点では、アジア発の貴重な例です。

    21世紀の国際社会を、国際法によって支配する社会にするためにはそれぞれの国や市民が自ら努力することが、改めて大きな課題となっています。

    ・第二次世界大戦から冷戦時代を経て、大国の国益優先の国際社会から、国際法が支配する社会が暴力の連鎖を断ち切る唯一の方法と言えるでしょう。

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