今日は何の日

「今日は何の日」は、今日、過去に起こった注目すべき出来事等をご案内致します。

    「今日は何の日」は、今日、過去に起こった注目すべき出来事等をご案内致します。

    1976229日、「人工衛星うめ」打上げ記念日

    1976(昭和51)年229日は、航空宇宙研究開発機構が、種子島宇宙センターから、地球観測衛星「うめ」打上げに成功しました。日本初の実用人工衛星(電離層観測衛星)です。

    ・当機は電離層の臨界電波周波数や電波雑音源の世界的分布を観測し、また、電離層上部の空間におけるプラズマ特性と正イオン密度を測定し、その結果を短波通信を効率よく行うための電波予報に用いることを目的として開発されました。

    ・また1976年に始まった国際磁気圏観測計画に参加し、観測成果を科学コミュニティーに提供することも目標としました。なお、国際磁気圏観測計画には「うめ2号」「きょっこう」「じきけん」も参加しています。

    ・地球観測衛星「うめ」は、打ち上げ後1ヶ月と本格的運用に入る前に故障してしまいましたが、初期段階において電離層観測装置によって7周回にわたって取得されたデータは電波研究所において解析され、世界で初めて電離層臨界周波数の地球周回分布を明らかにするなどの成果をあげました。地球観測衛星「うめ」の電源の不備で、送信が途絶えたため、1978年「うめ2号」が、打上げられました。

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    1935228日、「ナイロン誕生」記念日

    1935(昭和10)年227日は、アメリカ化学メーカーのデュポン社のウォーレス・ヒューム・カロザース氏が、ナイロンの合成に成功しました。

    ・「鋼鉄より強く、クモの糸より細い」と宣伝されたナイロンは、女性のストッキングとして、大人気となりました。

    ・ウォーレス・ヒューム・カロザース氏は、アメリカの化学者で、デュポン社の有機化学部門のリーダーとして、世界で初めて高分子から成る化学繊維を発明しました。

    ・デラウェア州ウィルミントン近郊にあるデュポンの研究所でグループリーダーを務め、、そこで重合体の研究の大部分を行いました。そこでカロザース氏はネオプレンの基礎となる研究を行い、ナイロン開発を行いました。博士号取得後デュポン社で基礎研究をする前は、いくつかの大学で教職についていました。

    ・カロザース氏の発明したナイロンは、綿から合成繊維への転換をもたらし、世界を変える偉大な発明でした。200011月にアメリカ科学振興協会はカロザース氏を表彰しました。

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    1957228日、南極観測船「宗谷」救出の日

    1957(昭和32年)年の今日228日、昭和基地からの帰途、氷海に閉じ込められていた「宗谷」が、砕氷能力6メートルのソ連の砕氷船オビ号に救出されて、無事外洋に達することができました。

    ・昭和基地からの帰途の「宗谷」は、1957(昭和32)年225日になると、流れてきた氷が益々増えて、前進も回転も出来なくなり、近くにいたソ連の砕氷船オビ号に救出を求めました。

    19572月第一次越冬隊を昭和基地に送り込み帰国の途についた「宗谷」は北上の途中で密群氷に阻まれ航行が困難になりました。この事態に対して南極本部は米国及びソ連に「宗谷」の救援要請を行いました。1957228日、運良く氷状が好転する兆しをとらえて、何とか「宗谷」は自力で脱出を試み外洋迄5㎞の地点にたどり着いた時に、比較的近くにいたソ連の砕氷艦「オビ号」が現れ水路を広げてくれることにより、「宗谷」は氷海より脱出することが出来ました。

    ・「宗谷」のマストには、「救援を感謝する」との信号旗が掲揚され、両船のデッキは互いに健闘を祝しあう人々でいっぱいになりました。氷海を出る事が出来た宗谷はいつまでも、南極昭和基地とオビ号に向かって汽笛を南極の空にならし続けました。

    ・本当に、心温まる出来事でした。


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    1875227日、「日本初の近代的植物園」開園記念日

    1875(明治8)年227日は、日本初の近代的植物園が、東京都の小石川植物園で開園しました。

    ・小石川植物園は植物に関する様々な研究を行っている東京大学の附属施設です。元々は、江戸幕府五代将軍・徳川綱吉期に小石川御薬園として移設開園されたのが始まりで、八代将軍・吉宗期には同薬園内に診療所として小石川養成所が設けられておりました。

    ・山本周五郎氏の連作短編小説「赤ひげ診療譚や、この作品を映画化した黒澤明監督作品の「赤ひげ」は、養生所を舞台とした医師の物語でした。

    ・その後、東京大学が1877年に開設されると、同大学の附属施設となり、広く一般植物などを多種揃えた植物学の研究施設として生まれ変わりました。同時に、一般にも公開されるようになりました。

    201(平成24年)919日に、「小石川植物園」として国の名勝および史跡に指定されました。

    ・また、飢饉対策作物のひとつとして、青木昆陽氏がサツマイモの試験栽培を関東で初めて成功させた場所でもあります。分園が栃木県日光市にあり、日光植物園の通称で親しまれております。


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    1867227日、「パリ万博で日本が初めて出展した日」

    1867年(慶応3年)227日、フランスの第5回目のパリ万国博覧会に最初に江戸幕府、薩摩藩、佐賀藩として、それぞれ独自に参加しました。42ヶ国が参加し、会期中約1500万人が来場しました。この万博では、トーマス・エジソン氏の蓄音機や冷蔵庫も最先端技術として出店されました。

    ・会場には、日本茶屋をつくり、各国のお客様に、お茶を振舞うなど、日本文化が大評判となりました。

    ・この時は、幕府、薩摩藩、佐賀藩がそれぞれ独自に出品を行っただけで、まだ「日本」という国を紹介するとは言えませんでした。

    ・この後、明治維新が進み、初めて明治政府、つまり日本の政府として正式に万国博覧会に参加したのが、この次の1873(明治6)年のウィーン万博でした。

    ・こうして、万国博覧会という舞台で、それまでほとんど知られていなかった日本の文化が紹介されるようになると、世界中で注目が集まるようになっていきました。

    ・日本としても、自分の国が急速に発展していること、そしてそれと同時に、伝統的な文化も大切にしていることを世界の人々にアピールしようと、積極的に万国博覧会に取り組むようになっていきました。


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    1951226日、「血液銀行開業記念日」

    1951(昭和26)年のこの日、日本初の血液銀行である株式会社日本ブラッドバンクが、後のミドリ十字であり、現在は田辺三菱製薬が大阪に設立されました。

    ・血液銀行は、献血等により提供者から採取した血液を保存管理して輸血に必要な血液を確保し、必要に応じて供給する機関で、GHQの指示により設置されました。翌1952(昭和27)年に、日本赤十字社も血液銀行を設立しました。

    ・日本では1950年代から1960年代半ばまで輸血用血液の大部分を民間血液銀行が供給していたが、その原料は売血で賄われていた。

    1960(昭和35年)8月、東京都にて「第8回国際輸血学会」が開催され、この学会にて「保存血の多量使用は肝炎の多発要因になる」との指摘があり、無理な売血による提供者の貧血問題、日本の保存血の大半が売血によって行われていることを、スイス・オランダの学者から取り上げられ、血液銀行の在り方が強く批判された。

    1964(昭和39)年8月、閣議決定により、厚生省は「保存血」は「日本赤十字社」と「地方自治体」のみが取り扱う旨を全医療機関へ通知した。

    ・日本ブラッドバンクは、行政指導により血液銀行部門を廃止し、医薬品部門の拡大に特化した「株式会社ミドリ十字」に商号変更。新社名は、創業以来の社章である「緑十字形」にちなんでつけられたものでした。

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    2005226日、「ひまわり6号打上げの日」

    2005(平成17)年226日は、運輸多目的衛星ひまわり6号の打上げの日です。

    ・運輸多目的衛星ひまわり6号は、国土交通省の委託で、宇宙航空研究開発機構の種子島宇宙センターから打上げられました。

    ・「ひまわり6号」は、運輸多目的衛星シリーズの一つであり、、国土交通省航空局及び気象庁が運用する静止衛星で、「ひまわり」シリーズの後継機としての気象観測の機能と航空管制の機能を併せ持っています。

    ・「ひまわり6号」の気象観測機能としては、観測頻度が北半球では30分ごとの観測が可能となるなど大きな機能向上が行われました。

    ・設計寿命である5年間を経過した平成2271日に観測を「ひまわり7号」に引継ぎました。

    ・「ひまわり」シリーズは、気象観測を行う日本の静止衛星・気象衛星の愛称です。

    1号から5号までの正式名称は静止気象衛星、6号と7号は運輸多目的衛星です。

    ・「ひまわり」が登場するまでは、日本はアメリカの衛星画像を購入していました。

    ・「ひまわり」は世界気象機関と国際科学会議が共同で行なった地球大気開発計画の一環として計画されたもので、得られた気象情報を日本国内だけでなく、東アジア・太平洋地域の他国にも提供しています。

    ・現在では、201577日より、「ひまわり8号」が、が気象観測を行っています。

    ・「ひまわり9号」が、2022年から運用される見通しであります。

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    1670225日、「箱根用水完成日」

    1670(寛文10)年225日は、江戸時代の第4代将軍家綱の時代、芦ノ湖の水を、その西側の外輪山湖尻峠に、約1200メートルのトンネルを掘って、富士山麓の深良村(現在の裾野市)など数か村に導いて灌漑している用水で、深良村名主の大庭源之丞氏らが、5年の歳月をかけて完成させた日本土木史上重要な意味を持つ「箱根用水」の完成日です。

    ・この工事によって、富士山麓の火山灰地にあって、旱魃に苦しんでいた、多くの農民を救ったのです。

    ・この用水は、現在でも使用されています。1663年に、深良村の人々が計画して、1666年に江戸幕府の許可を得て、工事が始まりました。当時は、5.3平方キロメートルの灌漑でしたが、現在は、ほぼ倍近くになり、3つの水力発電所も出来ています。

    ・当工事の中心人物の友野与右衛門氏の指導により、東西から堀り進み、湖尻峠の下で出会ったときの誤差は、僅か1メートルだったといいます。初歩的な三角測量などの技術は、使われていましたでしょうが、この誤差は、日本土木史上の金字塔でした。

    ・深良用水は、農林水産省の疏水百選に選定され、世界最大の灌漑・排水分野としては最大の国際灌漑排水委員会による灌漑施設遺産にも登録されています。

    ・現在のようなコンピュータや掘削機械がなかった時代に、どうやってこれだけの大工事を成し遂げたのか。当時の土木技術の高さには驚かされるばかりです。


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    1972225日、「宇宙人への金属版の日」

    1972(昭和47)年の今日225日に打上げられたアメリカの探査機パイオニア10号には、宇宙人へのメーセージを刻んだ金属板が積み込まれました。

    ・この金属板は1972225日に打ち上げられた宇宙探査機パイオニア10号に取り付けられた金属板で、人類からのメッセージを絵で記したものです。

    ・探査機による能動的な地球外知的生命体探査の最初のケースでした。

    ・金属板には人間の男女の姿とともに、探査機の故郷である地球に関する情報を示す記号がいくつか描かれていました。

    ・この金属板は星間空間を漂う一種のボトルメールとして作られました。

    ・この金属板を搭載した探査機が将来、ある恒星の周囲30天文単位以内を通過するまでに要する平均的時間は我々の銀河系の現在の年齢よりも長いと見積もられています。

    ・この金属板は探査機のアンテナの支柱上の、宇宙塵による侵食から守られる位置に取り付けられています。

    ・アメリカのNASA ではこの金属板と探査機自身が地球や太陽よりも長く生き残ることを期待しています。

    ・どんな返事が届くのでしょう。楽しみですね。


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    1854224日、「日本初の電気通信が行われた日」

    1854224日は、アメリカ大統領から贈られた電信機で、日本初の電気通信が行われた日です。

    ・この電信機は、ペリー提督が、2回目の来日時に持参して、江戸幕府へ渡したものです。ペリー提督一行が、送信側の電信機で、モールス信号を打つと、電信側の受信機の紙に「おうとつ」がついて、信号を受け取ることが、出来ました。

    ・この日本初の公式な送受信記録は、1854年のペリー提督の2度目の来日の際に、ミラード・フィルモア米国大統領から江戸幕府へを贈呈されたものです。

    ・この「エンボッシング・モールス電信機」は、受信側で信号が紙テープへ記録されるもので、この電信機のセットで約1マイルの電線を用いて送信されました。 1873(明治6)年には東京と長崎間に回線がひかれ、東京から海外との通信が可能となりました。

    ・その後電信網は全国に広がり、1880(明治13)年頃には大都市間、1890(明治23年)頃には全国の県庁所在地がつながりました。

    ・この歴史的な「エンボッシング・モールス電信機」は、現在、郵政博物館に収蔵されています。

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    1957224日、「北極横断の日欧定期航空路開設の日」

    1957(昭和32年)年224日は、北極横断の日欧定期航空路開設の日です。

    ・北極海を横断してデンマークの首都コペンハーゲンに向かうスカンジナビア航空(SAS)の一番機が東京の羽田空港を飛び立った日です。

    ・この地球特急号の就航により、日本からヨーロッパまでの飛行時間が、54時間から30時間へと大幅に短縮されました。

    ・かつて南回りルートしかなかった時代に日本から54時間もかかっていた欧州へのフライトが、北回りルートの開設で大幅に短縮された。1957年にそのベースとなる「北極航路」を開拓したのが、スカンジナビア航空(SAS)でした。2020224日で新ルート開設63周年を迎えます。

    ・現在では、日本からヨーロッパへは、直行便なら11時間か12時間でアクセスできます。しかし航空の長い歴史で見ると、こんなに近くなったのはわりと最近の話です。

    ・まだ南回りのルートしかなかった時代には、欧州のどの国へ行くにも50時間余り以上を要していました。

    ・当時はなぜ、わざわざ南回りでフライトしていたのか。理由のひとつは、航空機の性能にあります。

    ・どの機種もまだ航続距離が短く、途中で多くの経由地に立ち寄らないと目的地へたどり着けません。

    ・極地上空を安全に飛行するための航法技術が未発達だったことも南回りルートで飛行を続けた要因でした。

    SASはデンマーク、ノルウェー、スウェーデンのスカンジナビア3国が共同で設立したエアラインであり、北欧を拠点とする同社が世界に翼を広げるには高緯度地域ネットワークの拡充が不可欠でした。

    ・それから現在まで、SASのスタッフの懸命な努力でデイリー運航を続ける現在の成田コペンハーゲン線も、63年前に開設されたこの北極航路がベースになっています。

    ・日本各地からの旅行者を、羽田とコペンハーゲン経由でヨーロッパの各都市への可能性も高いです。

    ・東京オリンピックイヤーの2020年を目標に、同社はそんなシナリオを描いています。


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    1784223日、「漢委奴国王」の金印発見の日

    ・江戸時代の1784(天明4)223日、筑前国(福岡県)の志賀島で、百姓甚兵衛が水田の溝を修理していたところ、二人持ちの大石が現れ,これを掘り起こすと金印が出てきたと伝えられています。これが、「国宝」に指定された貴重な文化財です。

    ・金印は、約2.30センチメートルの四角形で、厚さ0.85センチメートルで、重さ108.7グラムの上に、蛇の形をしたつまみがあり、印面の文字には、隷書体で「漢委奴国王」と刻まれていました。『後漢書』東夷伝にみえる倭の奴国の王が、光武帝に朝貢したときに賜わったものと考えられています。1世紀頃の日本と中国との関係を物語る重要な史料です。福岡藩主黒田家に伝えられ,現在は福岡市博物館に所蔵されていて、国宝に指定されています。

    ・これは、中国の歴史書「後漢書」にかかれている、57(建武中元2年)に後漢の光武帝が、日本の奴国の王に与えた金印でした。この頃、大陸の強い国が、ほかの国の王を認めて交流を許す習わしがありました。

    1931(昭和6年)に、同金印は当時の国宝保存法に基づく国宝に相当)に指定され、世に知られるようになりました。福岡藩主黒田家に伝えられたものとして明治維新後に黒田家が東京へ移った際に東京国立博物館に寄託されました。

    ・その後福岡市美術館の開設に際して1978(昭和53)年に、黒田家から福岡市に寄贈され、1979年から福岡市美術館、1990(平成2年)から福岡市博物館で保管・展示されています。


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    1987(昭和62)年223日、「カミオカンデの日」

    1987(昭和62)年223日は、「カミオカンデ」が、ニュートリノを初めてとらえた日です。

    1987223日、岐阜県飛騨市神岡の地下1,000メートルにある、素粒子の観測装置「カミオカンデ」が、大マゼラン星雲の超新星爆発で発生したニュートリノを、世界で初めて検出しました。

    ・「カミオカンデ」は、小柴昌俊教授が提唱し、1,983年に完成しました。

    ・「ニュートリノ」は、物質を作る小さい粒子、素粒子の一種で、観測が非常に難しいとされています。

    1987223日、ちょうど32年前の今日、地球から16万光年離れた大マゼラン星雲でおきた超新星爆発にともなうニュートリノが地球に到来島した。

    ・スーパーカミオカンデの前身の検出器カミオカンデは、ニュートリノを11個検出しました。

    ・超新星爆発からのニュートリノを検出したのは世界初であり、この検出により、超新星爆発の仕組みの解明が大きく前進しました。

    ・また、2002年には小柴昌俊 東京大学特別栄誉教授がこの功績に対し、ノーベル物理学賞を授与されました。

    ・カミオカンデの超新星爆発ニュートリノの発見がきっかけとなり、ニュートリノ研究の重要性が認識され、タンクを巨大化したスーパーカミオカンデの建設が認められました。

    1996年からスーパーカミオカンデは観測を開始し、1998年にはニュートリノ振動を発見しました。その功績により2015年には東京大学の梶田隆章教授がノーベル物理学賞を授与されました。

    ・今もしも銀河系内で超新星爆発が起これば、30年前の約1000倍のニュートリノをスーパーカミオカンデでとらえることができます。

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    1989222日、観測衛星「あけぼの」打上げ成功の日

    1989(平成元)222日は、オーロラ観測のため宇宙科学研究所が開発した科学衛星で、オーロラ粒子の加速域などを中心に観測を行ないました。

    ・上層数百キロメートル高度の電離圏や地球の磁力が及ぶ範囲である地球磁気圏は、宇宙の中の諸現象を直接観測できる貴重な舞台です。「あけぼの」衛星は、宇宙におけるプラズマ現象のうち、特にオーロラ粒子の加速機構の解明を主な目的として、宇宙科学研究所によって開発されました。

    ・地球の南北の極域で出現するオーロラは、宇宙から飛来するプラズマ粒子が加速されて降下し、地球大気と相互作用することによって発光します。オーロラ粒子の加速される場所や、オーロラ粒子を加速する機構を解明するために、打上げられました

    ・打上げは、平成元年の本日、M-3SⅡロケット4号機により鹿児島宇宙空間観測所(現在・内之浦宇宙空間観測所)から打上げ成功しました。

    • オーロラ粒子加速メカニズムについて、多くのデータを使った統計に裏打ちされた、普遍的結論を導くことに成功しました。プラズマ粒子、磁場、電場、波動、オーロラ撮像による加速域の長期間にわたるデータを取得し、太陽活動、地球磁気活動、季節依存性に対する統計解析を行うことにより、オーロラ粒子加速域は高度3000から10000kmに分布し、冬半球で低高度に、夏半球で高高度に発生することを解明しました。 

    •磁場に沿った大きな電場がオーロラ粒子を加速します。太陽光が当たらない冬半球における電離圏で、電気抵抗が増大し、加速域の大きな電場を維持すること等を明らかにしました。また、「あけぼの」衛星は、磁気圏中低緯度の直接観測でも、重要な成果をあげました。プラズマ圏や放射線帯が、地球磁気活動に伴って消長すること等を明らかにしました。

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    1963(昭和38)年222日、「世界友情の日・国際友愛の日」

    ・今日1963(昭和38)年222日は、平和で国境を越えて世界の人々とも手をつないで明るい社会を作る「世界友情の日・国際友愛の日記念日です。

    ・この記念日は、健やかな子どもを育成する世界的な社会教育運動とされるボーイスカウト・ガールスカウトの創始者ロバート・ベーデンパウエル夫妻の誕生日から、1963(昭和38)年のボーイスカウト世界会議で制定し、1965(昭和40)年から実施されました。

    ・ボーイスカウト・ガールスカウトの始まりは、さまざまな野外教育を通じて、少年・少女たちが将来社会に役立つ人間に成長することを願ってスタートしました。

    ・少年・少女たちの旺盛な冒険心や好奇心をキャンプ生活や自然観察、また、グループでのゲームなどの中で発揮させながら、「遊び」を通して、少年たちに自立心をはじめ、協調性やリーダーシップを身につけさせることが目的とされています。

    ・ボーイスカウトの精神は、現代にも受け継がれ、青少年少女の育成に役立つよう、この活動は、世界で繰り広げられています。

    222日、「世界友情の日・国際友愛の日」を迎え、春という季節は、「友情」の有難さや素晴らしさを再認識できる機会となりました。



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    1872221日、「日刊新聞創刊の日」

    1872(明治5)221日は、日本初の日刊新聞「東京日日新聞」、現在の毎日新聞が創刊されたことに、由来する記念日です。片面だけ刷られた創刊号は、1140文でした。3年後には、世界初となる戸別配達を開始しました。

    1872年の221日に、東京で初めての日刊新聞が発行されたことにちなんで制定されました。初めて発行された新聞は「東京日日新聞」です。東京日日新聞は、日本の日刊新聞である「毎日新聞」の東日本地区の名称で、現在の毎日新聞東京本社発行による毎日新聞の前身にあたります。

    ・創刊者は戯作者の条野伝平氏、浮世絵師の落合芳幾氏らで、江藤新平氏らが後援しました。1911(明治44)年には大阪毎日新聞と合併して全国紙へと踏み出しました。

    ・実際は日本で初めての日刊新聞は、1871128日に創刊された横浜活版舎で、のちの「横浜毎日新聞」でしたが、194011月末に、帝都日日新聞に吸収合併されて、日本初の日刊紙は、消滅しました。従って、今日は、現存する新聞社では、日本初の日刊新聞の「東京日日新聞」、現在の毎日新聞が創刊されたことに、由来する記念日です。

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    1999(平成11)年221日、国際母語デーの日

    1999(平成11)年221日は、ユネスコ(国連教育科学文化機関)が、221日を「国際母語デー」と定めました。長年、日本に住んでいる人は、日常にあふれている「日本語」を母語として強く意識する機会はあまり多くはないと思います。しかし、ある日突然、慣れ親しんだ言葉に触れられなくなってしまったら、本当に怖いです。

    ・いま、世界にはおよそ7,000の余の言語が存在すると言われています。言語は各民族が長い歴史のなかで築いてきた文化を支えるものですが、消滅の危機にある言語も少なくありません。この状況に対しユネスコ(国連教育科学文化機関)は、221日を「国際母語デー」と定めました。

    ・国際母語デーは、ユネスコが1999年に、文化や言語の多様性、それぞれの母語を尊重することを推進することを目的に制定しました。

    1952年に当時パキスタンの一部だったバングラディッシュのダッカで、ベンガル語を公用語に求めるデモで死者が出たことにちなみ、221日に定められました。

    ・現在のバングラデシュは、パキスタンという地域から独立した国です。独立前は東パキスタンと呼ばれ、多くの人がベンガル語を話していました。しかし、政府は西パキスタンにあり、そこで話されていたウルドゥー語を母語にしようとする動きがありました。

    ・それに反発した東パキスタンの学生が集会などを開いて、抗議活動を行った学生が射殺されるという事件がありました。歴史の中で初めて、母語の存続に命をかけて守った日だったのです。

    ・日本で出版され、国や文化、時代を超えて親しまれている絵本に、各言語の翻訳シールを貼り付け、子どもたちが母語で読める絵本となったものが届けられています。

    ・絵本を届ける先はカンボジア、ラオス、ミャンマー、ミャンマー(ビルマ)難民キャンプ、アフガニスタンなどの国々です。

    1999年にはじまった「絵本を届ける運動」は、毎年多くの方が参加されて、これまでに約27万冊を超える絵本が届けられました。

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    1998220日、「旅券の日」

    1998(平成10)220日は、外務省が、海外で、パスポートを紛失したり、盗難にあったりするケースが増えていることから、その重要性を認識してもらおうとの趣旨で、この日を記念日に制定しました。

    ・海外旅行に必ず必要なパスポート。それは日本政府が、海外であなたが日本人であることとあなたの氏名や生年月日などを証明する国際的身分証明書であり、また、万一何かが起こったときにその国の政府に対してあなたに必要な保護と援助を与えるよう要請する重要な公文書です。現在日本国民の約4人に1人がパスポートを所持しています。

    ・なぜこの日であるかというと、1878(明治11220日に、海外旅券規則7ヵ条が制定されたのを、記念して、記念日としました。

    ・パスポートの紛失や盗難件数は、平成27年で年間約38千件も発生しています。実はそのうちの約8割以上は日本国内で起きているのです。パスポートを紛失する原因の多くは、しまい忘れ、誤ってゴミと一緒に捨てた、引っ越しの際の紛失など不注意によるものがその多くを占めていますが、最近は空き巣によりパスポートが盗難の被害にあうケースも多く報告されています。

    ・知らないうちに知らないところで、あなたのパスポートが不正に使用されないように、パスポートの管理には海外、国内とも充分注意しましょう。

    ・外国に入国するためには、国によっては、パスポートに一定以上の有効期間が残っていることを要求している場合があります。パスポートの所在を確認するだけでなく、そのパスポートがいつまで有効なのかも併せて確認しましょう。


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    1993(平成5)年220日、X線天文衛星「あすか」打上げの日」

    ・「あすか」は1993220日に宇宙科学研究所のM-3SIIロケット・7号機によって打ち上げられ、20007月に観測不能に陥るまでの7年半にわたり世界の天文学者たちから利用され観測を続けてきました。

    ・あすか (15号科学衛星ASTRO-D,別名ASCA) は日本の宇宙科学研究所が打ち上げた4番目の宇宙X線観測衛星である。1993220日に鹿児島宇宙空間観測所(現内之浦宇宙空間観測所)からM-3SIIロケットによって打ち上げられました。2000714日、巨大太陽フレアにより地球の大気が膨張した影響であすかの姿勢が崩れ、観測不可能に陥りました。その後も最低限の機能による運用を続けたものの、翌200132日に大気圏に突入し消滅しました。

    ・この日1993220日は、天体から来るX線を検知して宇宙を探る日本では4個目のX線観測衛星の打ち上げに成功した日です。

    ・「あすか」から得られた科学的成果は、ブラックホール近傍での物質の流れや宇宙のX線背景放射の解明、ブラックホールの発見など多数あります。

    X線は地表まで届かないので、このような衛星による観測が行なわれます。

    X線天文衛星は、いわば日本のお家芸。1979年に日本初のX線天文衛星「はくちょう」が打ち上げられ、以後「てんま」(1983年~1989)、「ぎんが」(1987年~1991)、そして「あすか」(1993年~2000) と続き、いずれもX線天文学の最前線で活躍してきました。

    ・第15号科学衛星「あすか」は、日本で21番目の国産X線天文衛星でした。


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    1987219日は、「初の海洋観測衛星「もも1号」打上げ成功」

    1987(昭和62)年219日は、日本初の海洋観測衛星「もも1号」打上げ成功の日です。

    ・もも1 (MOS-1) は、宇宙開発事業団(NASDA) が打ち上げた海洋観測衛星であり、日本初の地球観測衛星です。

    ・昭和62年(1987年)219日に、N-IIロケット8号機で種子島宇宙センターから打ち上げられました。

    ・赤外放射計やマイクロ波放射計などのセンサを搭載し、地球観測システム開発を目指しました。

    ・海洋観測衛星「もも1号」(MOS-1)は、地球資源の有効利用、環境の保全等に資するため、人工衛星による地球観測システム開発の一環として、地球観測衛星の共通的技術の確立及び海洋現象の観測を主目的としたわが国初の地球観測衛星です。

    ・これらによって得られたデータは農林・水産資源、水資源の利用状況の調査、海洋・大気汚染の監視などに利用されました。

    ・もも1号は19951129日に停波し、運用を終了しました。

    1996年には、後継機「もも1b」がうちあげられました。

    ・もも1bMOS-1b)は、もも1号と同等の性能を有し、後継機として打ち上げられ、1996417日をもって運用を停止しました。


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    1877219日、「万国郵便連合加入記念日」

    1877(明治10)219日は、低廉均一の料金で、世界を結び、情報交換や研究を行って、郵便業務の発展を図ることを目的とした万国郵便連合に加入した万国郵便連合加入記念日です。

    ・万国郵便連合(UPU)ができたのは1874年(明治7年)109日で、万国郵便条約によって設立されました。本部は、スイスのベルンにあります。日本は、世界で23番目、アジアでは最初に加盟しました。第二次世界大戦中は一度脱退し、1948年(昭和23年)61日に再加盟しました。

    ・万国郵便連合とは、郵便業務の効果的運営によって諸国間の通信連絡を増進し、文化、社会及び経済の分野における国際協力に寄与することが目的です。万国郵便連合の設立により、地球上のほぼすべての域から固定料金に近い形で郵便物を送ることができ、国際郵便、国内郵便がともに同様に扱われるようになりました。

    ・万国郵便連合の設立によって、次の3点が合意形成されました。
    1.
    地球上のほぼすべての域から固定料金に近い形で郵便物が送れること。
    2.
    国際郵便、国内郵便がともに同様の扱いがなされること。
    3.
    国際郵便料金は、それぞれの国で徴収し、使用すること。

    ・特に切手を貼った郵便物については、どの国家の切手でも国際的に通用することを万国郵便連合憲章(UPU憲章)で決めています。また、国際返信切手券の発行事務などを行っています。

    ・国際連合の設立後、1948年、国際連合の専門機関の一つとなった。現在の加盟国は、20139月現在で192カ国です。

    ・万国郵便連合の公用語はフランス語ですが、1994年より作業言語として英語が指定されています。また発行する文書は国連公用語6言語に翻訳されることが規約で定められています。

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    2005218日は、「第1回目の札幌雪まつりが開催された日」

    1950218日は、第1回目の札幌雪まつりが開催された日です。

    ・きっかけは、地元の中学生と高校生が、札幌の真ん中に位置する大通公園に、6つの雪像を作ったことです。

    ・雪像展や雪合戦やカーニバルなどを開催して、予想を超える大人気となり、札幌市民を中心として、5万人以上が雪まつりを楽しみました。

    ・それから毎年、札幌の冬を彩る行事として親しまれ、現在は、世界中からたくさんの人が訪れるイベントとなっています。

    1953年には、高さ15メートルの大雪像「昇天」がはじめて作られました。

    1955年には、自衛隊が参加し、大規模な雪像づくりに挑戦。

    ・第10回開催の1959年には雪像制作に2,500人が動員、テレビ、新聞でも紹介され、翌年からは本州からの観光客も増えて大盛況となりました。

    ・こうして、札幌の雪まつりから日本の雪まつりへと発展していきました。

    1965年、第二会場として真駒内会場を正式に設置しました。

    1972年には、冬季オリンピックが札幌で開催、「ようこそ札幌へ」のテーマで雪まつりは世界に知られるようになりました。

    1974年はオイルショックで試練の雪まつりとなりました。雪はこびトラックのガソリンが手に入らず、雪像の中にドラム缶を入れるなどして乗り切りました。この年から国際雪像コンクールもスタートしました。

    ・第70回さっぽろ雪まつりは211日をもって全て終了いたしました。大通会場は1934千人、つどーむ会場は803千人の方々が来場しました。


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    1978218日、「禁煙運動の日」

    1978(昭和53)218日は、東京・四谷では、「禁煙権確立をめざす人びとの会」が設立され、日本でも本格的な禁煙運動がスタートしたことに由来します。

    ・嫌煙権はこの年、「嫌煙権確立を目指す人びとの会」の中田みどり氏が提唱し、広まった言葉です。この会は「たばこの煙に汚染されていないきれいな空気を吸う権利」など3つの嫌煙権を掲げてスタートし、集会や街頭デモも行って嫌煙権確立を呼びかけました。

    ・当時は、禁煙運動という言葉も珍しく、多くのマスコミがこの集会を報道して、一気に禁煙運動が盛り上がっていき、その年の4月には、全国の国立病院の待合室が、禁煙になりました。

    ・嫌煙権というのは、タバコを嫌う、あるいはタバコを吸う人を嫌うという好悪の意味ではありません。タバコを吸う人に禁煙を強制するようなものでもありません。「嫌煙権確立を目指す人びとの会」は、「たばこの煙によって汚染されていないきれいな空気を吸う権利」、「穏やかではあってもはっきりとたばこの煙が不快であると言う権利」、「公共の場所での喫煙の制限を求めるため社会に働きかける権利」の3つの嫌煙権を掲げていました。要するに公共の場での喫煙マナーの徹底を求めていたのです。

    ・確かに昭和の頃は、タバコはどこでも吸い放題だったようです。そういう世の中だったからこそ、嫌煙運動が必要だったのでしょう。

    ・時代は流れ、公共の場では分煙や禁煙の場所が増えました。1988年には地下鉄の終日全面禁煙が実現しました。1998年には世界中の航空機が全面禁煙となりました。喫煙可能な喫茶店やレストランはめずらしくなり、逆に愛煙家が集まる場所となりました。


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    1978217日、「天使のささやきの日」

    1978(昭和53)217日は、北海道雨竜群幌加内町母子里では、非公式ながら、氷点下41.2度の国内最低気温を記録しました。「天使のささやき」とは、氷点下10度以下になると空中に出来る氷の結晶である「ダイヤモンドダスト」のことを言います。

    ・ダイヤモンドダストは、極寒の時期にいくつもの気象条件が揃ったときだけに出現する、美しい自然現象です。氷点下の快晴の早朝に、無風状態で湿度があると水蒸気が急速に冷却されるため、雲になる前に氷の粒になります。空中で舞い散るこの無数の氷の粒が、日光に反射してキラキラと輝くことから命名されたようです。別名として「天使の囁き」などとも表現されています。

    ・そこで、1987(昭和62)年より、地元の有志が実行委員会を結成して、この極寒の寒さを通して人々の出会いの場と、「天使のささやきを聴く集い」と名付たイベントを2月に開催するようになったことにちなみ、1994(平成6)年に、記念日に制定されました。

    ・幸いにも、北海道大学低温科学研究所の施設が、母子里にあり、情報も入手し易いし、同大学の雨竜地方演習林の学生宿舎も利用出来るため、今では、日本各地からの若者も参加するようなりました。

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    2005217日は、「中部国際空港セントレア開港」の日

    ・今日2005(平成17)年217日は、愛知県常滑市の海上に、「中部国際空港セントレア」が開港した日です。

    ・伊勢湾海上に、海の環境を変えないよう配慮して造られた人工島です。

    ・「セントレア」は、名古屋市の中心部から南へ約35km、知多半島の愛知県常滑市の沖合約1.5kmの伊勢湾海上の人工島に位置します。

    ・「セントレア」は、英語で、中部地方を意味する「センター」と空港の「エアーポート」の組み合わせで、一般公募の中から選ばれました。

    24時間運用可能な長さ3,500mの滑走路を有する、関西国際空港に次ぐ国内第2の海上国際空港として2005217日に開港しました。

    ・成田国際空港、関西国際空港とともに国際航空路線に必要な国際拠点空港としてその航空需要を担うことを国の航空政策上位置付けられています。

    ・建造物の評価では「中部国際空港旅客ターミナルビル」が、そのユニバーサルデザインの実践等が評価され2005年度のグッドデザイン賞を獲得しました。

    ・ボーイング社の機体パーツを運ぶ専用輸送機、ドリームリフターが飛行してくるのは、国内で、セントレアだけです。


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    1883216日、「天気図記念日」

    1883(明治16)216日は、日本で初めて天気図が作られたことに由来します。

    ・全国11か所の測候所から電報でデータを集めて、ドイツの気象学者エリヴィン・クニッピングの指導により、7色刷りの天気図を作りました。

    ・正式に天気図を印刷して発行するようになったのは1883年の31日からです。そして、この日からは、毎日1回発行されるようになりました。同年823日からは新橋と横浜の停車場に掲示されました。

    ・エリヴィン・クニッピング気象学者は、蒸気船に乗って日本にやってきました。それも自分が乗っていた船が日本に売却されることになったので、そのまま東京で降り立ち日本に住むことになったようです。

    ・航海士でもあった彼は日本の気象情報を調査して、その後、東京気象台に入社することになるのです。そして、日本で初めての天気図(1883216日)を作り、日本初の天気予報(188361日)も行い、日本で初めての暴風雨警報を発令しました。

    1875(明治8)年に気象庁の前身の東京気象台が設立され、地震観測と13回の気象観測を行っていました。1887(明治20)年には、東京気象台が中央気象台となり、1924年(大正13)年に天気図が新聞に掲載されるようになりました。

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    2005216日は、「京都議定書発効の日」

    1997年、地球温暖化防止の京都会議で、採択された「京都議定書」が、今日2005(平成17)年216日、この日に発効しました。

    ・今から15年前の2005216日、先進国に二酸化炭素などの温室効果ガス削減を義務付けた京都議定書が発効しました。

    ・京都議定書は、199712月に京都市の国立京都国際会館で開かれた第3回気候変動枠組条約締約国会議(地球温暖化防止京都会議、COP3)で同月11日に採択された、気候変動枠組条約に関する議定書です。

    ・正式名称は、「気候変動に関する国際連合枠組条約の京都議定書」です。

    ・京都議定書の内容は、先進国等が約束期間において数量化された約束に従って温室効果ガスの排出を抑制しまたは削減すること等を定めています。

    ・日本では2002531日に国会で承認され、200264日に国際連合に受諾書を寄託しました。

    ・京都議定書では、1990年の6種類の温室効果ガス総排出量を基準として、2008年から2012年の5年間で、先進国全体で少なくとも5%の削減を目指し、日本では6%削減することを目標としました。

    ・そして201645日に環境省・経産省は、2016331日国連ホームページにて、日本は「達成」したと公表しています。

    ・二酸化炭素などの排出大国であるアメリカと中国は、現在も批准していません。


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    1877215日、「西南戦争開戦の日」

    1877(明治10)215日は、、西郷隆盛氏を盟主に、約13千人を超える鹿児島士族らが、明治政府に対して兵をあげ、「西南戦争」の開戦の日です。

    ・明治維新と呼ばれる近代化は、急激であったため、士族の社会的地位が急に低下して、生活が苦しくなり、新政府への不満が高まった背景がありました。

    1877(明治10年)215日、50年ぶりの大雪の中、薩摩軍が北上を始めます。かねてより「薩摩不穏」との情勢をつかんでいた熊本鎮台・谷干城司令長官は前日の14日に籠城を決意します。

    ・同年319日、黒田清隆陸軍中将率いる政府軍が八代方面に上陸、薩摩軍が包囲する熊本城を目指し北上を始めます。翌20日には田原坂が陥落し薩摩軍も必死に抵抗しますが、ついに414日政府軍が薩摩軍の囲みを解き熊本城に入城。52日間に及ぶ熊本城の籠城戦は終了しました。途中で西郷隆盛氏は戦死して、新政府は、総力を挙げて勝利しました。 その後、士族の反乱は終わり、明治政府は安定しました。

    ・西南戦争は、明治初期に起こった一連の士族反乱の中でも最大規模のもので、日本国内で最後の内戦でした。

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    1969215日は、「日本隊が南極点往復成功の日」

    ・今日1969(昭和44)年215日は、村山雅美隊長の第9次南極観測隊が、南極点往復の偉業を達成しました。

    ・日本第9次南極観測隊員11名は、前年の928日に、昭和基地を出発して、1219日に、南極点到達して、1969(昭和44)年215日に、昭和基地に、帰着しました。

    ・昭和基地の対岸から往復141日、5182キロに及んだ「極点旅行」往復を成功しました。。

    ・日本隊は南極点で数日を過ごした後、1969215日、昭和基地近くの終了地点に無事、帰投することになりました。

    ・村山雅美隊長が率いた第9次隊の陸路による南極点到達は、世界で第9番目でした。村山隊は、1968928日に昭和基地対岸の見返り台を出発し、83日後の1219日に南極点に到達しました。帰路は1223日に南極点を出発、翌1969215日に昭和基地対岸の見返り台に帰着しました。行動日数141日、総行程5,180kmでした。雪上車4台と橇16台の編成でした。

    ・途中で、気象、地形、地質、地磁気などの貴重な観測調査が行われました。日本南極観測隊の内陸行動は、第9次隊の南極点往復旅行から、深層掘削のためのドームふじ基地まで、長い歴史があります。そこで使われた車両は、キャビン型の雪上車でした。


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    214日、「バレンタインデー

    ・今日この日214日は、女性から男性に恋を打ち明ける日とされ、日本では、独自に愛の印として、チョコレートを贈る習慣があります。1958(昭和33)のこの日に、メリーチョコレートが、東京新橋の伊勢丹で、販売促進のための販売セールを始めたのが、この日です。

    バレンタインデが、「愛の日」となった由来は、3世紀まで遡ります。古代ローマ帝国の皇帝クラウディウスⅡ世は、未練を残して、若い兵士が戦場に行っては、士気が下がると、若い男性の結婚を禁止しました。しかし、バレンタイン司祭は、皇帝の命に逆らい、多くの結婚式を実施しました。皇帝の怒りに触れた司祭の処刑の執行日が、214日でした。

    ・当時ローマでは、214日はすべての神々の女王ユーノーの祝日で、翌日の215日はルペカリアの祭りが行われる日でした。このお祭りでは、男性が桶の中から女性の名前が書かれている紙を引き、相手の女性と祭りの間パートナーとして一緒に過ごすことになっていました。そして、パートナーとなった多くの男女はそのお祭りで恋に落ち、結婚したと言われています。

    ・バレンタイン司祭の処刑日はユーノーの祝日であり、ルペカリアの祭りの前日である214日があえて選ばれました。以降、毎年214日はバレンタイン司祭が処刑された日として国民でお祈りをするようになりました。

    ・この日は、聖バレンタインデーとなりました。その後、ヨーロッパでは、この日は、「愛の日」としてケーキや花などを贈り合います。


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