今日は何の日

「今日は何の日」は、今日、過去に起こった注目すべき出来事等をご案内致します。

    「今日は何の日」は、今日、過去に起こった注目すべき出来事等をご案内致します。

    1969720日、アポロ11号、月面に軟着陸」

    1969(昭和44)年の今日720日は、アメリカのアポロ11号が、月面の「静かの海」に、人類で初めて降り立つ快挙を実現しました。

    ・アポロ11号に乗り込んだ3人の飛行士は、ニール・アームストロング船長、バズ・オルドリン宇宙飛行士、マイケル・コリンズ宇宙飛行士は、アメリカ最大の英雄となりました。

    ニール・アームストロング船長が、月に初めて一歩を踏み出した時、「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」と、地球にメッセージを地球に送ってきました。

    ・船長に続いて月面を歩いたバズ・オルドリン宇宙飛行士は、月面を「荘厳な荒れ地」と表現しました。

    1961年に、当時のジョン・F・ケネディ大統領が、「1960年代が終わるまでに人類を月に立たせる」と宣言してスタートしたアポロ計画は、この日に、見事に成功しました。

    ・しかし、この計画は困難を極めました。まずは、人間を宇宙まで打ち上げるロケットの開発です。そして、最後には、人間の乗る部分を残して、あとは全て切り離してしまうことにより、遠い月までロケットを飛ばすことが出来るようになりました。

    ・アポロ計画で使用されたのは、フォン・ブラウン博士が開発を主導した「サターンV」ロケットです。全長約110mのサターンVは、現在でも史上最大のロケットとなっています。そしてサターンVには宇宙飛行士が乗り込む「アポロ宇宙船」が搭載されました。

    ・アポロ計画ではまず8号、9号、10号が有人飛行を実施し、そして1969年に打ち上げられた「アポロ11号」では、史上初めて人類が月へと降り立ちました。

    ・アポロ計画では、その後も12号、14号、15号、16号、17号と立て続けに、有人月面探査に成功し月から大量の資料を持ち帰り、月面車を利用した探査活動も実施されました。

    ・この日、彼らが持ち帰った月の石は、翌年の大阪で開催された万国博覧会で展示されました。

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    1960719日、女性大臣の日」

    1960(昭和35)年の今日719日は、日本の初の女性大臣として、中山マサ衆議院議員が、第1次池田内閣の厚生大臣になりました。

    中山マサ氏は、長崎市生まれで、イギリス人の父パワー氏と日本人の母、飯田ナカ氏の一人娘として生まれ、アメリカに留学した後、長崎市の活水女子英語専門学校、長崎市立高等女学校で教師を勤めて、1947(昭和22)年に旧大阪2区より、衆議院選挙に立候補して、当選し、その後、引退までに8回当選しています。

    ・中山マサ衆議院議員は、69歳で第1次池田内閣の厚生大臣として入閣し、日本初の女性大臣となった就任当時、中山マサ厚生大臣は「婦人が大臣になったからには、プラスアルファがなければ、つまり婦人問題に重点を置くということです」と、インタビューに抱負を語っています。

    ・中山マサ衆議院議員は、厚生大臣としての在任期間は5か月と短いですが、母子家庭への児童扶養手当を実現しました。

    ・中山マサ厚生大臣は、まさに池田内閣の看板として奔走したものの、第2次池田内閣では再任はされなかった。1969年(昭和44年)四男・中山正暉氏に地盤を譲り引退しました。

    ・まさに、その後の日本の女性大臣のとしての先駆けとしての功績は、多大なものがありました。

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    2011718日、なでしこジャパンW杯優勝」の日

    2011(平成23)年の今日718日は、日本の女子サッカーチーム「なでしこジャパン」が、6回女子ワールドカップドイツ大会決勝戦は、日本とアメリカ合衆国との間で、ドイツのFIFA女子ワールドカップスタジアム・フランクフルトを会場に行われた。

    ・決勝戦は、スコアー22での延長戦でも決着がつかず、PK戦にて日本がアメリカを3-1で下し大会初優勝を成し遂げました。

    ・本大会のグループリーグでは、日本はグループBでイングランドに敗北を喫し2位で通過、決勝トーナメントでは準々決勝でホスト国のドイツを延長戦の末に下し、準決勝でスウェーデンを破って決勝進出を決めました。

    ・アメリカもグループCを唯一負けたスウェーデンに次ぐ2位で通過、決勝トーナメントは準々決勝でブラジルを下し、準決勝でフランスを破って決勝進出を決めました。

    ・今回で6回目の出場となる日本チームは、グループリーグ21敗の2位で通過し、第2回大会以来の決勝トーナメント進出でした。これまで一度も勝利していなかった優勝候補のドイツやアメリカを破り、日本代表としては初のFIFA主催の世界大会優勝という快挙を成し遂げました。また大会のフェアプレー賞も受賞しました。

    MVPと得点王には澤穂希選手、また大会の優秀選手にあたるオールスターチームには澤穂希選手をはじめ海堀あゆみ選手、宮間あや選手、大野忍選手の4人が選ばれました。

    ・今回の第6回女子ワールドカップドイツ大会優勝について、「なでしこジャパン」は、団体として初めての国民栄誉賞を受賞しました。

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    1971(昭和46)717日は、世界女性初の欧州アルプス3大北壁」制覇

    1971年の今日717日は、日本の今井通子アルピニストが、グランド・ジョラス北壁の登頂に成功しました。先のマッターホルン北壁、アイガー北壁の登頂と会わせて、世界女性初の快挙でした。

    ・この日、このときグランド・ジョラス北壁の頂上では、隊長の高橋和之登山家と結婚式を挙げました。まさに、2重の喜びの達成でした。

    ・医師であり、女性初のヨーロッパ三大北壁完登者として「ミチコ」の名を世界で不動のものとした今井通子アルピニストは、その後、チョモランマ、キリマンジャロなど世界の高峰に次々と挑戦し、制覇する姿は多くの人々を感動させました。

    ・今井通子アルピニストは、1942年東京都出身で、1966年東京女子医科大学卒業。在学中に山岳部に入部し登山を始めました。1967年女性パーティーとして欧州アルプス・マッターホルン北壁登攀に初成功。1969年アイガー北壁、1971年グランド・ジョラス北壁と、世界女性初の欧州三大北壁完登者となりました。

    1979年ネパールヒマラヤ・ダウラギリの山登頂成功。1985年エベレスト中国側チョモランマ峰北壁に挑み、冬季世界最高到達点を記録しました。

    ・現在も東京女子医大で診察する傍ら、東京農業大学客員教授として環境問題を研究し、さらに国内外のトレッキングツアー、講演、などをこなしています。著書は『あなたと歩く世界の名峰』(小学館)など多数。

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    1999716日は、国土交通Day」記念日

    1999(平成11)年の今日716日は、国土交通省設置法が公布されたことを記念して「国土交通Dayが制定されました。

    「国土交通Day」は、日本の国土交通行政に関する意義・目的、重要性を広く国民に周知することを目的とした記念日です。

    ・「国土交通Day」は、国土交通省の発足した2001(平成13)年から記念日として数々のイベントが実施されています。この日の716日前後には国土交通省関係施設の見学会、国営公園の無料開放の実施に併せて各種の広報啓発活動が行われています。

    ・国土建設記念日は、旧建設省が実施していた記念日で、1948(昭和23)年に建設院が建設省に昇格した日を記念して710日でした。

    国土交通省は、「国土の総合的かつ体系的な利用、開発及び保全、そのための社会資本の整合的な整備、交通政策の推進、気象業務の健全な発達並びに海上の安全及び治安の確保を図ること」を任務とする国の行政機関です。

    ・国土交通省は、2001年の中央省庁再編により、運輸省、建設省、国土庁、北海道開発庁を統合して設置されました。外局として観光庁、気象庁、運輸安全委員会、海上保安庁が置かれています。

    ・国土交通省の本庁の屋上には、緑でいっぱいの庭園があります。これは、2000(平成12)年からつくられた庭園で、都会のヒートアイランド現象の緩和や良好な自然環境を作り出す目的で設置されました。この国土交通省の試みは、色々な公共移設や会社でも行われています。少しずつでも緑が増えることは、良いことですね。

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    1868715日は、大阪港開港記念日」

    1868年の今日715日は、大阪港開港記念日です。安治川の河口に開港されたことを記念して制定されました。大阪港といえば、大阪府大阪市にある日本を代表する港湾でスーパー中枢港湾の指定を受けている国際戦略港湾です。

    1868年(慶応4年)に開港して以来、1939年(昭和14年)には取り扱い貨物量日本一の港として栄え、現在では物流のほか、ショッピングやレジャー施設ができ、大型クルーズ船も続々と入港する港に発展してきた大阪港が、2018年で開港150年を迎えています。

    ・そもそも、大阪港の歴史は1400年前までさかのぼるとされています。それまで国際港として栄えていた難波津や住吉津といった海港は淀川が運ぶ土砂の堆積で衰退してしまいました。そこで、安治川上流の川口波止場に運上所をつくり、大阪港として開港しました。

    ・しかし、安治川も洪水のたびに土砂がたまってしまい、大型船は沖で小さな船に貨物を積みかえて、港に運ぶ必要がありました。そこで安治川河口に新しい大阪港をつくろうとなり、1897年に築港工事を開始して、約30年もの時間をかけて完成されました。

    ・その後の大阪港は、日本一の港として繁栄し、フェリーターミナルや客船ターミナル、鉄道や鉄橋などをつくり、いくつもの働きを兼ねた現在のような新しい港に変わっています。

    ・現在の大阪市では、大阪港を通して海や港へより親しんでもらおうと、「大阪港みなとまつり」を毎年開催しています。

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    1961714日は、検疫記念日」

    1961(昭和36)年714日に、厚生労働省と日本検疫衛生協会が制定した記念日です。

    ・検疫記念日は、1879(明治12)年714日に日本初の伝染病予防の法令である「海港虎列刺(コレラ)伝染予防規則」が公布されたことに由来しています。そして検疫の重要さを多くの人に知ってもらうために制定されました。

    1879年と1886年には、日本中で、コレラで10万人を超える死者が出ました。そのため、コレラの予防には、国内に菌が入らないこととされ、「海港検疫」が行われるようになりました。

    ・その後、これら以外の伝染病や動物に感染する病気が国内に入ることを予防のために、「伝染病予防法」や「海港検疫法」、「航空検疫規則」などの法が作られ、現在では、「検疫法」に基づいて港や空港での検疫が行われています。

    ・全国の主要な海港や空港などに設置されている検疫所では、検疫法に基づき、日本に常在しない感染症の病原体が海外からが船舶又は航空機を介して国内に侵入することを防止するため、海外からの来航者について検査等を行い、また、感染症の媒介動物である蚊やネズミなどの調査や必要に応じて駆除、消毒を行っています。

    ・この日から、1週間は、海の衛生週間として、防疫の大切さを知らしめる行事などが、行われます。

    ・横浜市金沢区長浜には、野口英世博士ゆかりの細菌検査室があります。細菌検査室は検疫所の施設の一つとして1895年に建設され、野口博士が勤務していた当時が偲ばれます。時は流れて1997年に細菌検査室や長浜ホールを含めた一帯が野口記念公園として開園されています。

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    1886713日は、日本標準時刻制定」発表日

    1886(明治19)年712日に、兵庫県明石市を通る東経135度の子午線を日本標準時と定め、全国の時間統一が決定しました。

    1888(明治21)年の11日より、これを実施するとの勅令が出され、翌日の713日に国民に知らされました。

    ・日本の時刻制度は、江戸時代までは、各地の地方時で行われていましたが、明治時代になって明石時刻を、日本標準時として定めました。これによって兵庫県明石市の正午が全国どこでも正午となりました。

    1884年のアメリカのワシントンで開催された国際子午線会議の決定を受けて、地球は、1360度を24時間で回るので、経度15度おきに、1時間ずつの誤差が生じますので、15度の9倍の東経135度の子午線が兵庫県明石市を通る東経135度の子午線を日本標準時と定め、全国の時間統一が決定しました。

    ・国際子午線会議では、イギリスのグリニッジ天文台を通る子午線を、世界中の経度と時刻の基準とする本初子午線として、そこから経度が15度へだたるごとに1時間ずつ時差を持つ時刻を、世界の各国が使用することを決議したのです。これを経帯時といい、世界中に24の経帯時ができることになりました。

    ・明石の子午線標識は、明石市立天文科学館北にあるトンボの標識ですが、明石市教育委員会が御大典記念事業として、子午線標識を正確な位置を建てかえることを計画し、1930(昭和5)年に建造されました。

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    1984712日は、ひかわ銅剣の日」

    1984(昭和59)712日は、島根県出雲市斐川町の荒神谷遺跡から弥生時代の銅剣が発見され、その数は、全国の出土品のうち最多の358本に達しました。

    ・その全てが、「島根県荒神谷遺跡出土品」として国宝に指定されたことから、斐川町が、記念日に制定しました。記念日の名称は、全国から公募で選ばれました。

    ・この遺跡では、銅矛、銅鐸も発見されました。また遺跡から西へ3キロメートルの山あいから同時代の集落跡も発見されています。

    ・これらの出土した青銅器は、祭祀に使われたものと見られています。これらの出土品は、現在全て「島根県立古代出雲歴史博物館」に常設展示されています。

    ・この間のいきさつは、1983(昭和58)年の広域農道の出雲ロマン街道建設にともなう遺跡調査が行われた際に調査員が田んぼのあぜ道で古墳時代の土器の破片を発見したことから付近の発掘が開始されました。

    ・この遺跡の南側に「三宝荒神」が祭られている事から荒神谷遺跡と命名され、翌1984(昭和59)年に谷あいの斜面を発掘調査したところ358本の銅剣が出土しました。

    ・荒神谷遺跡で大量の銅剣、それに銅矛や銅鐸までもが見つかったことから、出雲地方にも強い勢力をもつ国があったと考えられるようになりました。

    ・銅剣は1985(昭和60)年、銅鐸・銅矛は1987(昭和62)年に国の重要文化財に指定されていましたが、1998(平成10)年に一括して「島根県荒神谷遺跡出土品」として国宝に指定されました。

    ・このことから、大量の銅剣が発見された712日を記念して、斐川町では2000(平成12)年から、この日を「ひかわ銅剣の日」と定めました。

    ・遺跡自体は1987(昭和62)年に国の史跡に指定されていましたが、斐川町が中心となり1995(平成7)年に遺跡一帯に「荒神谷史跡公園」が整備され、2005(平成17)年には公園内に「荒神谷博物館」が開館し、出土品の期間展示などが行われています。現在、出土品は文化庁が所蔵し、2007(平成19)年3月に出雲市大社町に開館した「島根県立古代出雲歴史博物館」に保管され、常設展示されています。

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    1893711日は、真珠記念日」制定

    1893(明治26)711日は、御木本幸吉夫妻、三重県鳥羽の英虞湾で、世界で初めて真珠の養殖に成功したことを記念して、記念日を制定しました。

    ・昔から全世界の女性の心をつかみ続ける真珠。それまで成功したことがなかった真珠の養殖に世界で初めて成功し、一部の富裕層しか身につけることのできなかった真珠がより身近な装飾品となりました。

    ・御木本幸吉夫妻が真珠の養殖に成功したのは、箕作佳吉動物学者の協力を得て、夫婦で英虞湾の無人島で養殖場を始めました。そして、養殖を始めてから3年目の1893(明治26)年養殖所を開設してから3年目のことでした。

    ・御木本幸吉夫妻の苦労の末に、半円形ながら養殖真珠が世界で初めて獲れました。円形の真珠は、1905年に初めて完成しました。

    ・特許を取得して、以来、世界各国に輸出して、「世界の真珠王」と言われました。

    それまでは、高価な天然の真珠しかなかったので、養殖で、真珠の量産体制は、画期的なことでした。

    ・現在では、アコヤ貝の体内に、外とう膜の小片とともに貝殻で作った核を埋め込み、核のまわりに真珠質を分泌させて作って真珠を作っています。

    ・御木本幸吉夫妻が真珠の養殖を行った伊勢志摩では20165月にサミットが開催され、世界の主要国の首脳が集まって国際問題について意見交換を行いました。開催地の選定に際しては、日本の美しい自然をアピールできるという点も考慮されました。

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